第7話
『会食が終わった。すぐに戻ってくるよ』
マーシャの自室に潜伏して、一時間が経過した頃。トレバーからそう連絡があった。ついに、この部屋にマーシャが戻ってくる。
「護衛は」
『特に引き連れてはいないみたい。でも、部屋の前にSPが二人ついた』
「わかった」
ほどなくして、足音が向かってくるのがわかった。マーシャだ。トレバーの言う通り、足音は一人分だけで、他の人間の気配はない。
僕とテメルは目配せして、扉の両サイドに陣取る。扉の影にならない側にいるテメルは、少し離れた物陰に隠れた。そして、足音は部屋の前で止まった。部屋の前で待機していたSPと少し言葉を交わしてから、扉を開けた。
マーシャが部屋に入ってくる。そして、扉が閉まったことを確認して、後頭部に銃を突きつけた。
「部屋の前にいる奴らを下がらせて」
僕に続いて、テメルも物陰からゆっくりと出てくる。
「おや、こんなところまで来たのか。……まぁいい。追いかける手間が省けたのだし」
両手を掲げつつも、マーシャの態度からは余裕が感じられる。それもそうだろう。こいつには、死んでも次がある。死が死ではない。頭を撃ち抜かれるくらい、なんとも感じないだろう。その余裕にも腹が立つ。
「いいから、奴らを下がらせて」
「わかったよ。そう急かさないでくれ」
ゆっくりと振り返って、扉へと向かう。改めて、マーシャの顔を直視する。やはり、以前に見た人物とはまったくの別人だった。改めて、マーシャが体を入れ替え、記憶だけを引き継いでいることを実感する。今の体は以前の体と比べて、少しビジネス寄りのようだ。PMCのボスというより、どこかの企業の社長といった雰囲気がある。だが、その目つきだけは以前と変わらなかった。人をなんとも思っていない、冷徹な目つき。そこからは人に対する情が微塵も感じられない。
僕はマーシャから目を離さないようにゆっくりと後退して、扉の影に身を隠す。テメルも壁に背を預けて外からは見えない位置からマーシャを牽制する。扉を開いている間におかしな動きをすれば、いつでも撃ち殺す。
マーシャが扉を開ける。
「今日はもう下がっていい」
「しかし、なにかがあると」
「こんなところまで誰も来やしないさ。いいから下がれ」
「しかし……」
SPはなおも言い募ろうとする。しかし、しばしの逡巡のあと、諦めたように告げる。
「かしこまりました。近くの部屋には待機しておりますので、ご用の際はお呼びください」
「あぁ」
そして、扉が閉められる。
「手を上げて、こっちを向け。ゆっくりだ」
銃を突きつけたまま要求する。マーシャは大人しく従った。
「口を開けろ」
開いた口内を覗く。また服毒されては敵わない。記憶のバックアップや移譲先の体を破壊していない今は、まだ死なれちゃ困る。案の定、左奥の奥歯に被せものがあるのを見つけた。白いそれは、治療とは違うだろう。僕はそれを指先で摘み取る。唾液に濡れたそれを裏返すと、少量の液体が詰まった薄いカプセルがはめ込まれていた。強く噛みしめればそれが破裂し、致死量の毒薬が口内に流れ出す仕組みだろう。手の込んだことをするものだ。
「徹底しているね」
取り出した毒薬を投げ捨て、他に仕込みがないかを検めていると、マーシャが呟く。
「黙ってろ。お前は僕が殺す。勝手に死なれちゃたまらないからな」
「やれやれ、いったいどんな目に合わされることやら」
この状況になってもまだ、マーシャは飄々と言葉を発する。本当に、神経を逆なでするのが上手い男だ。
「座れ」
一通り確認が終わり、銃口で小突きながら椅子に座らせる。そのまま拘束用のバンドで椅子に両手足を固定した。まだ殺すわけにはいかない。こいつには、聞きたいことがある。
「なにが知りたい」
マーシャが先んじて問う。記憶を移譲してきただけはある。場馴れしているということか。
でも、ここで主導権を握られるわけにはいかない。銃のストックで横っ面を張った。口の中が切れたのか、マーシャの口角から赤い筋が垂れる。
「僕が喋る。お前は聞かれたことだけ答えればいい」
「手厳しいね」
今度は逆の頬を張った。
「どうして、オリビアが必要なんだ。記憶の移譲ならもう完成してるだろう。なにをするつもりだ」
マーシャは俯いたまま肩を揺らす。まだ笑う余裕があるようだ。だが、これ以上殴ると喋れなくなる可能性がある。そう思って、今は堪える。
「そんなことを聞きに、ここまで来たのか」
「いいから答えろ」
なおも小馬鹿にした態度を崩さないマーシャに、一喝する。
「わかったよ。仕方がないね」
そこで一拍を置いて、
「君たちは記憶の移譲がメインだと思っているようだが、それは違う。記憶のうんぬんはあくまで主目的の補助でしかない。目的を達成するために必要だったから開発されただけだ」
「それならなんで、罪のない人々を襲わせた」
詰め寄る。補助であるなら、それを利用してPMCを暴走させる必要などなかったはずだ。そのせいで補助であるそちらが耳目と集めてしまい、PMMからも目をつけられているのだ。メリットがない。
「それが最も人にストレスを与える行為だからさ。人が人を殺す。それだけのストレスに対して、偽の記憶がどれほど強固に人格に作用できるか、確かめる必要があった。ようは実証実験だ。それには、あの土地と環境が大いに役立ってくれた」
思わず横っ面を張ってしまった。
「それだけのために、どれだけの人が犠牲になったのか、わかってるのか」
マーシャは不敵に目で僕をにらみ返す。
「わかっているさ。だが、必要なことだ。真の目的を達するためには、必須の技術だったのだからね」
折れない。マーシャの心は、事ここに至ってもまだ芯を保ち続けている。いったいなにが、マーシャをこうまでさせるのか。
「真の目的って、なにをするつもりなんだ……」
マーシャは俯く。明りのない部屋で、マーシャの姿がゆらりと揺らめいた気がした。静寂。
そして、顔を上げた。その目には、何物にも折られぬ決意が見て取れた。
「人類に新陳代謝を促すことだ」
「新陳代謝……」
思ってもいなかった言葉に、思わず声が詰まった。新陳代謝。それも人類の。いったい、どういう。
「そうだ。人は永く生きるようになった。昔とは比べ物にならないほど永くだ。かつて人類は二、三十年しか生きられなかった。食うのがやっとの生活をし、ろくに医療の恩恵など受けられなかった。しかし、現代は違う。世界の平均寿命は八十まで上がった。困窮に喘ぐ人口が減り、誰もが衣食住を得られ、医療の力で病気を克服した。
そして生まれたのが、この世界だ。人は永く生き、老いていく。しかし、そこには歪みが出来上がる。社会保障、医療費、すべてが高騰している。それらに所得を圧迫された世代は、子を成さない。自らの生活で手一杯だからだ。女性の社会進出もそれを後押ししているな。ろくな制度もなく、身体的、経済的な余裕がない現状では、とてもじゃないが子を成す余裕などない。平均寿命とは反比例するように、出生率は下がる一方だ。そんな世界に、未来はない。
だから、我々は考えた。人類はもう一度、生まれ直す必要がある、と」
「それがどうオリビアと関係するんだ」
まだ、マーシャの話の結末が見えない。
「君たちは調べたんじゃないのかい。オリビアの体を。そして知ったはずだ。オリビアが特殊な体の持ち主であることを」
「テロメラーゼ」
背後でテメルが呟いた。その単語はきちんと覚えている。オリビアの体では、テロメラーゼが活性化しているということ。そして、細胞分裂が極端に遅いということも。しかし、それがどう繋がるのか。オリビアが特異体質であることと人類の新陳代謝に、関係性を見出だせない。
「そう、我々が求めているのはそれだ。我々は、なぜオリビアの体でだけそれが活性化しているのか、それを知る必要がある」
「新陳代謝って、いったいなにをするつもりなんだ」
「言っただろう。人類はもう一度生まれ直す必要がある。もともと人類は短命だ。人はそんなに永く生きる必要はないんだよ。だから、我々は人類の寿命を短くすることにした。高騰した社会保障、医療費を削減して余裕を取り戻し、出生率の向上を図る。そのために、人の寿命を三十年程度に戻す」
それがなにを意味するのか、僕にはすぐには理解できなかった。けれど、マーシャの言葉を咀嚼するうちに、じわじわと理解が追いついていく。
「そんなことを、世界規模でやろうってのか」
「そうだ」
最初の威勢など残っていなかった。想像を超えたマーシャの思惑に、それを達成しようとする眼差しに、気圧され始める。
「それがなにを意味するのか、わかってるのか」
「もちろんだ」
マーシャは一瞬の迷いもなく、即答する。その瞳には、少しも狂ったところなどなかった。真剣に未来を見据え、世界のためにと行動をしているのだと、その目は訴えていた。
「今や世界の十三%が高齢者だ。三十歳以上ともなれば、五十%にもなる。世界の半数、四十億人を犠牲にしてでも、私は未来のためにこれを成す。その覚悟はできている」
「そんなこと、世界が許すわけ、ないだろう……」
稚拙な反論しかできない。あまりの規模の大きさに、思考は半ば停止していた。
「おや、忘れたわけではなかろう。君たちが所属していた部隊は、どうして解体されたのか」
はっと息を呑む音が聞こえた。テメルが呆然と呟く。
「国連決議……国連からの、解体命令……」
マーシャが口元を歪める。
「そうだ。この構想は、世界に承認されている。もう誰にも止められはしない」
マーシャは嗜虐的に笑った。僕らがどう足掻いたところで現実は変えられない。それが愉快なんだろう。事実、僕はそんな大規模な構想をどうにかする手段なんて、ちっとも思いつかない。僕らはただ静かに暮らせればよかったのに。巻き込まれた事態の規模が想像を遥かに超えていた。もう、僕らの手でどうにかできる範疇を超えている。
『ノア、もういい。殺ろう。そいつを殺れば、時間稼ぎくらいはできる。出直そう』
イヤカフから、トレバーの声が聞こえた。
そうだ。僕らはまだ、負けたわけじゃない。オリビアは無事だ。僕らがオリビアを隠し切ることができれば、奴らの構想は実現しない。
「おや、お仲間かい」
僕の表情の変化を察知したのだろう。マーシャが僕に語り掛ける。その顔には、まだ余裕の色がある。
「トレバー、やって」
『あいよ』
耳元でキーを叩く音が聞こえた。数秒の後、
『OK、三十秒で完了する』
「ありがと」
僕はホルスターからサプレッサーを装着したグロッグを抜いた。それをマーシャの額に突きつける。
「なにをしたのかはわからないが、私を殺しても無駄だ。それは学んだはずだろう」
やはり、死ぬことなんてなんとも思っていないのだろう。なるほど、世界の半分を殺せるわけだ。人の選択を奪っておいて、自らには選択の余地がある。なんてことはない。こいつには死ぬことに対して、ちっとも実感がないだけだ。当然だ。死んだって、すぐに生き返るのだから。
だが、それももう終わりだ。
「テメル」
「うん」
背後でテメルが頷いた。
その直後、屋敷が揺れた。地の底で発生した重い爆発音が腹の底に響く。
「……なにをした」
「地下の体を破壊した、って言えばわかるだろう。もう、お前が生き返ることはない」
マーシャのこめかみに汗が伝った。ようやく事態を把握したようだ。
「これで最後だ。お前は、今、ここで、死ぬ。僕が、殺す」
言い聞かせるように、ゆっくりと発音する。事実、これがマーシャの最後だ。
『ノア、終わった。バックアップは全部跡形もなく削除したよ。サルベージしても欠片も掘り出せないようにした』
そのトレバーの言葉を受けて、
「バックアップも今消し飛ばした。記憶データからの復旧も無理だ」
マーシャが顔を伏せた。観念したのか。とはいえ、こいつを逃すつもりはない。今更の命乞いにも応じる気はない。こいつはここで殺す。
しかし、マーシャの反応はそのどれでもなかった。くつくつとマーシャの肩が揺れる。それは次第に大きくなり、堪え切れなくなったマーシャは顔を上げて高笑いを始めた。そして、ひとしきり笑ったあと、かっと僕を睨みつける。
「いいだろう、やってみるがいい。だが、油断はしないことだ。私が死んでも、代わりはいくらでもいる。いずれ、オリビアは我々が手に入れる。それまで、きっちり守ってくれよ」
ぷすっと音がして、マーシャの額に穴が空く。背もたれに身を預け、首を仰け反らせたまま沈黙した。辺りを静寂が包む。ぽたりぽたりと、絨毯に滴り落ちる血の音がやけに大きく聞こえた。
「ノア……」
肩に手が置かれる。
『爆発を聞きつけたSPが来るよ。早くそこを離れて』
トレバーの言う通り、階下から人が走り回る音が聞こえてきた。このままここに留まっていたら、やがて蜂の巣だろう。
「……行こうか」
テメルに声をかけてから、窓からロープを垂らす。まだ屋敷の裏側には人はいない。マーシャの安全確保と爆発の確認で人員が割かれているのだろう。今のうちに森に逃げ込めば、追手を巻くのは難しくないだろう。
ロープをふたつ折りにし、折り目をベッドの足に引っ掛ける。まずは、一端を伝ってテメルが先に降りた。続いて、反対側のロープを僕が伝い降りる。そのままロープを引いて、追手に使われないように回収する。そして、建物を背にして、森の中へと入った。そのまま背後を警戒しつつ、森を北へと進む。
歩き続けること十数分。少し小高い丘に出て、施設を振り返ってみた。地下で爆発させたからだろうか。表面上はあまり損害はないように見える。ところが、明かりが煌々と灯っていて、侵入者を炙り出そうとしているようだ。今回は彼らより僕らのほうが行動が早かった。だから、封鎖される前に外に出られた。近くに追手の影もない。もう僕らが捕まる心配はないだろう。
「……帰ろう」
どちらともなく呟いた。
なんだか酷く頭と体が重かった。いろいろなことがいっぺんにのしかかってきたように感じた。頭はうまく働かなかった。足取りも重い。
早く。早く帰ろう。オリビアに、クロエに会いたい。
不意にそんな思いが頭を過ぎった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます