第6話
地上には戻らず、僕らは格納庫からマーシャのいる最奥の屋敷を目指した。トレバーの手元にある見取り図では、地下通路が屋敷まで繋がっているそうだ。そういうわけで、格納庫に鎮座したヘリの脇を通り抜けて、照明の落ちた通路を進んでいく。明かりは天井に点々と灯っている非常灯だけだ。視界は悪いが、それは相手も同じだ。だから、存在を悟られないことが第一である僕らにとっては好都合だった。MK17を構えて、足音を殺しながら進む。通路は人がすれ違うのがやっとというくらいの狭いものだ。屋敷からヘリまでの移動を短縮するためのものだろうが、設備のメンテナス用途も兼ねているようだ。壁には様々な太さの配管が張り巡らされていて、ところどころに操作盤や圧力計が備え付けられている。
百メートルほど進むと、ロックされた扉に辿り着いた。トレバーに声をかけ、開けてもらう。シュッと音を立てて扉がスライドすると、上り階段があった。
テメルに合図して、僕が先陣を切ることにする。階段の先は跳ね上げ式の扉になっているようだ。隙間からは明かりが漏れていないことから、その先も暗い場所であることがなんとなくわかる。僕は扉の先の人の気配を探りながら、慎重に一段一段階段を上る。階段の頂点に辿り着いたところで、扉に耳を当て、足音を探る。しかし、なにも聞こえない。僕は意を決して、そっと扉を持ち上げてみた。すると、扉は抵抗なく押し上がった。どうやら、きちんと手入れされているようだ。軋みひとつなかった。隙間から覗くと、そこは小さな洋室になっていた。室内は暗く、照明はついていない。もちろん、人の気配もなかった。ひとしきり周囲を確認したところで、跳ね上げ扉を押し開けて、部屋へと上がった。階下で警戒していたテメルに手招きする。
改めて見回すと、なにもない小部屋だった。タンスや机、ベッドといった最低限の家具しかない。手入れがされていることから、不用品を詰め込んだ倉庫のような扱いではないことはわかるが、日常的に使われている部屋ではなさそうだ。どうやら、目的はこの跳ね上げ扉を隠すことのようだ。ということは、この通路はいざというときの避難経路か。道理で誰もいないわけだ。
とはいえ、僕らは無事に屋敷の中へ入り込むことができた。正面から堂々と入り込むよりはマシな侵入経路だったと思う。
「トレバー、現在位置は」
『一階の西側からふたつ目の部屋だね。その建物自体は南向きで東西に長いわけだけど、その端っこかな』
最初に入り込んだ研究棟からの経路を想像して、なんとなくの地図を描く。なるほど、本当にまっすぐ屋敷に上がってきたみたいだ。
「マーシャは今、どうしてる」
『ちょうど会合が終わって、今から食事会みたいだね。とはいえ、何人かは帰るみたいだね。こりゃそう長くはなさそうだ』
テメルに振り返る。
「どうする」
「順当なのは、奴の部屋で待ち伏せかな。会合が長くないなら、急いだほうがいいかもしれない。会合が開かれるくらいだから、見張りや護衛だってついてるだろうし、そうなるとルートは限られてくる。部屋で待ち伏せるにしても、正面からは入れないだろうね」
「わかった」
テメルに頷き返して、再びトレバーに問う。
「正面以外でマーシャの部屋に入り込む道はある」
『一番まともそうなのは……上からだね、これは。ダクトは狭くて人が通れるようなものじゃない。正面を除けば、それくらいしかなさそうだ』
トレバーがため息を吐きながら言った。どうやら、ろくな侵入経路がないようだ。上からということは、一旦屋上に上がって、そこからマーシャの部屋の窓から侵入するということだろう。確かに、ろくな経路じゃない。しかし、僕はそれを聞いて、ひとつ思いついたことがあった。
『屋上に上がるには三階まで階段を使わなきゃならない。そこそこ見回りがいるけど、行けそうかな』
「いや、屋敷の中は通らない。トレバー、この屋敷って石造りだよね」
その問いに、トレバーが息を呑む。
『そうだけど……まさか』
「うん、壁を上る」
屋上へ上がるならそれが最短だし、なにより楽だ。外縁の見回りにだけ気をつければ済む。見通しは良くなるが、それはこっちも同じ。とはいえ、うまく夜闇に紛れ込めば、そうそう見つかりはしないだろう。
『まぁノアがやるっていうなら、止めないけどね。マーシャの部屋は三階の中央だ。北側から下りれば窓があるはずだよ』
「ありがとう」
言って、通信を切断する。
テメルに振り返ると、少し困惑した顔をしていた。
「勝手に決めて、ごめん」
言うと、テメルは苦笑して、
「それはいいけど、やれるの」
「たぶん、大丈夫。前に、教えてもらったことがあるから」
教えてもらったっきりで壁を登る機会はなかったけれど、それでも、教えてもらったことはずっと残っている。あのときは結局登り切ることができなかった。けれど、今なら登れそうな気がした。
「わかった、それじゃあ、行こう」
「ありがとう」
テメルは了承してくれた。少々行き当たりばったりな経路だとは思うけれど、テメルが許してくれるのなら、悪くない経路に思える。一人ならまだしも、テメルがいてくれるなら心強い。
『もう少し待ってね。廊下に見張りがいる』
無線でのトレバーの情報をもとに、小部屋のドアに張り付いて外の様子を伺う。足音はひとつ。それがドアの前を横切り、遠ざかっていく。
『OK、階段を上っていった。今なら廊下は無人だよ』
テメルにハンドシグナルで部屋から出ることを伝え、タイミングを図って外に出る。廊下はトレバーの言うとおり無人だった。絨毯が敷き詰められていて、そっと足を下ろせば相当な足音を消してくれる。見回りが向かった方向とは逆、廊下を西側の端へ向かう。突き当りには窓があり、屋敷から出るにはそこが最も近いからだ。
窓の外に誰もいないことを確認して、窓の閂を外し、観音開きの窓を開ける。窓枠を乗り越え、地面へと飛び降りた。テメルもそれに続く。
――まずよく見るんだ。どんな岩にも掴める場所がある。体重を預ける場所がある。そして、頂上までの道筋を見極める。どうしたらたどり着けるのか。どうしたら振り落とされずに済むのか。そのラインを掴めれば、あとはその通りに手を置いて、足をかけるだけでいい。
うん。わかってる、覚えているよ、ライアン。あのとき登った壁の感覚は、まだ覚えている。ライアンが横についてくれているような感じがした。
MK17を背中に回して、大きな石を積み上げて作られた壁面を見上げる。長方形に切り出された石の縁には指がかかるギリギリの出っ張りがある。窓枠も足場に使えそうだ。見立て通り、登れないことはない。
ライアンに言われた通り、指をかける場所を選ぶ。足を置く場所を探す。体重を預ける場所を見極める。そうして僕は、屋上へと続くラインを掴もうと壁を見つめた。
「行く」
そうして掴んだラインに、右手の指をかけた。つま先を突き立て、体を持ち上げる。左手の指を次の石の縁にかける。一手一手を確実に、着実に道筋を辿っていく。
あっという間に二階部分に辿り着いた。屋敷は三階建てだ。あと一階分の高さを登らなければならない。けれど、それはちっとも苦ではなかった。むしろ、壁登りの楽しさのほうが勝っていた。
――いいぞ、その調子だ。
ライアンの声が聞こえた。下から声援を送ってくれる。手を置く位置に、足をかける場所に、ライアンの教えが手触りとともに蘇ってきた。僕ははやる気持ちを抑えつつ、緩みそうになる口元を引き締める。任務であることを忘れてはいけない。
そうして、楽しい時間はあっという間に過ぎた。屋上の縁に手が届く。僕は体を持ち上げて、そっと覗き込む。夜闇にまぎれて見えづらいが、見張りの兵士が一人、屋上から研究施設方面を監視していた。僕の存在には、まだ気付いていない。
今のうちに、その兵士を無力化しなければならない。僕は音を立てないように体を引き上げて、屋上に登り切る。そのまま兵士の背後から忍び寄る。手の届く範囲まで近づいてから、一気に仕掛けた。顎を掴み、膝に蹴りを入れて崩してから、後ろへ引き倒す。抵抗させないようにしっかりと固定して、頸動脈を締め上げた。兵士は声を出せぬまま、意識を手放す。僕はそれを静かに横たえて、身動きできないように縛り上げてから、登ってきた縁へと引き返した。
ベストに括り付けたロープを解いて、屋上から垂らす。テメルはそれを伝って、屋上へと登ってきた。
『マーシャの部屋の位置は東からみっつ目、だいたい二十メートルくらいかな』
トレバーの言葉に従って位置を図り、北側の縁からロープを垂らした。それを頼りに壁を下っていく。三階の窓の横まで降りたところで止まり、窓から室内を覗き込む。部屋は暗く、誰もいない。鍵は廊下と同じような閂だった。ピッキングに使う針を使って閂を持ち上げ、窓を開けて室内へと降り立った。同じくロープを伝って降りてきたテメルを室内に引き入れると、ロープを回収して窓に鍵をかける。
ついにここまで辿り着いた。ここがマーシャの部屋だ。会食が終われば、マーシャはここに戻ってくる。それがマーシャの最後だ。今すぐにでも飛び出していきたい。獣のような咆哮を抑えられない。そんな狂気じみた激情が胸中を渦巻く一方、冷静に状況を分析し、マーシャを殺して脱出するまでの算段をつける自分もいた。
マーシャは必ずここで、僕の手で葬り去る。そして僕は、自由を手に入れる。それが僕の、最後の仕事だ。
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