第4話

 B棟へも、塀の内側への侵入と同様に、裏口からピッキングで入り込んだ。中は真っ白な空間で、いかにも研究施設といった内装だ。結局内部へ入らず仕舞いだったが、ヒエロの研究施設もこんな感じなのだろうか。そういえば、受付はとても質素で、白い空間だったように思う。


『下りの階段は反対側だ。外周を回って、階段を探して』


 リノリウムの床を踏みしめながら、トレバーの指示に従って僕らは施設の奥へと進んでいく。トレバーは予め、施設の見取り図は手に入れていた。おかげで迷うことなく進んでいける。しかし、それだけだ。施設のコントロールを奪えたわけではないから、監視カメラや電子ロックには干渉できない。


 白く明るい空間に黒色のBDUを着た僕らはとても目立つ。まして銃を構えた人間なんて、この施設内にはいないだろう。まずい状態だ。こんな装いでは、影を見られただけでも存在が明るみに出てしまいかねない。変装用に衣服を調達するか、早いところC4を仕掛けてここを出なければならない。角を曲がるたび、扉の前を横切るたびに、角の向こう、扉の向こうの気配を探りながら進む。今のところ、研究員とはすれ違っていない。しかし、それも時間の問題かと思われた。


 外周を回って階下への階段へと向かっている道中、無人の部屋を見つけた。主は席を外しているようで、パソコンが立ち上がったままになっている。テメルに合図すると、小さく頷いた。それを確認して、僕はそっとドアノブをひねる。すると、それは抵抗なく回り、ドアを押し開けることができた。音を立てないように体を滑り込ませて、室内を警戒する。二十畳ほどの狭い部屋だった。右手側の壁面と中央には実験を行うための机が設置されていた。中央の机は表裏の両側に作業スペースがある。机には上下二段になったラックが設置されていて、机上はもちろん、ラックの上にも実験器具やらなにかの資料が山積みになっていた。そして部屋の奥には事務作業用と思われるデスクと、電源が入ったデスクトップパソコンが置かれていた。


 誰もいないことを確認して、パソコンへと近づいていく。見たところ、LANケーブルは差さっているし、ネットワークへは繋がっているようだ。


「これにしよう」


 僕について部屋に入ったテメルに声をかけて、ポーチからUSBメモリを取り出す。もし見られても違和感を持たれないよう、背面のUSBポートに差し込んだ。


「トレバー、USBを差したよ」

『ん、了解、ちょっと待ってね』


 トレバーに声をかけると、すぐさまキーを叩く音が聞こえてきた。ほどなくして、


『OK、確認したよ。侵入するにはちょっと時間がかかるけど、データのコピーが完了したらそこから出ても構わない。もう少しだけ待機できるかな。そこは安全かい』

「たまたま席を外しているだけみたいだ。いつ帰ってくるかは、わからない」

『そうか。すまないけど、堪えてくれ。二分もあれば完了する』

「わかった」


 トレバーにそう答えた矢先だった。テメルがなにかに気づいて、急いで身を隠すように指示を出してきた。主が帰ってきたようだ。間が悪い。僕は急いで身を隠せる場所を探す。とはいえ、狭い研究室だ。適切な選択肢などあまり多くはない。テメルは入り口脇に設置されていたロッカーへ入って身を隠している。しかし、どれだけ探しても、すっかり隠れられそうな場所は見つからない。


 そうこうしているうちに、部屋の主がドアを開けた。結局隠れ場所が見つからなかった僕は、机の裏に身をかがめるしかなかった。こうなれば、主が気付かないことを願うしかない。

 主は三十代くらいの男性だった。少し小太り気味で、白衣を肘のところまでまくっている。その肌はいかにも研究者然としていて青白い。どうやらコーヒーを取りに行っていたようだ。自前であろうマグカップを手に持って、今しがた僕がUSBメモリを接続したパソコンの前に座る。そして、コーヒーに口をつけたかと思うと、すぐさまパソコンで作業を始めた。


『あと一分だ』


 トレバーが進捗を教えてくれる。USBメモリの差し口をパソコンの背面にしておいてよかった。正面に挿していたら、すぐにばれてしまっていただろう。絶対に、ここで見つかるわけにはいかない。だから、なんとかしてこの危機を乗り切らなければならない。そのためには、どうすればいいのか。


『私がやる』


 無線からテメルの囁き声が聞こえた。机の影からそっとテメルが隠れたロッカーを盗み見ると、静かにロッカーの扉が開くところだった。白衣の男性はイヤホンで音楽を聞きながら作業している。ロッカーの扉が微かに軋んだ音は聞こえていないようだ。テメルはそのまま男性の背後まで忍び寄る。男性は、気付かない。


『あと十秒だ』


 トレバーがそう告げたのと同時。テメルの腕が、男性の首に絡みついた。そのまま頸動脈を締め上げる。男性は声をあげることさえ叶わず、必死に抵抗を試みるも、テメルの腕はしっかりと首に食い込んでいて、びくともしない。やがて、男性の体から力が抜けた。テメルはだらんとした体を床に横たえる。


『完了だ。もう大丈夫だよ』


 その言葉を聞いて、僕は立ち上がった。パソコンの背面からUSBメモリを抜き取る。


「どうする」


 床に寝かされている男性を見て問う。殺してはいない。気絶させただけだ。うまく締めないと殺してしまうこともあるけれど、テメルにそんな心配は無用だ。


「とりあえず縛って隠しておこう。しばらく寝ててくれればそれでいいし」

「うん」


 僕は部屋を物色してガムテープを探し出した。それを男性の手首と足首、膝に何重にも巻きつけ、動けないように固定した。さらに、肘の位置で腕ごと胴体を固定する。これだけやれば、自分ひとりでは身動きが取れないだろう。誰かに助けてもらわなければならない。最後に口もガムテープで塞いでおく。そこまでやって、男性をロッカーに押し込んだ。若干幅広のロッカーでよかった。細いものだと、男性の体が入り切らない。


『ノア』


 そうこうしているうちにトレバーから通信が入った。


「なに」

『うまく侵入できたよ。これで内部の情報はばっちりだ。セキュリティもこっちで乗っ取った。カメラもロックもなんとかなるよ』

「うん、わかった」


 予定通りだ。事は順調に運んでいる。この部屋の主である男性研究員と鉢合わせた以外は、すべてがうまく行っている。セキュリティが乗っ取れたなら、もう怖いものはないようにさえ思えた。


「さぁ、早いとこ片付けよう」


 そうテメルに促されて、僕らは部屋をあとにした。

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