第3話
『ノア、聞こえる』
分厚い塀に囲われた研究施設前に辿り着いたとき、イヤカフからトレバーの声が聞こえた。
「うん、聞こえてる」
『ん、感度に問題はないみたいだね』
そう前置きして、
『予定通りに辿り着いたみたいだね。状況を説明しておくと、ちょうど今、マーシャと幹部連中との打ち合わせが始まったところだ。おそらく、あと二時間は出てこないだろう。そのあとは会食だから、まだしばらく余裕はある。
その間に、まずはバックドアを仕込むウィルスを施設内の端末にダウンロードさせてほしい。イントラに繋がった端末であれば、なんだって大丈夫だと思う。内部に侵入できれば、あとはこっちでなんとかする。そこから記憶データのバックアップを破壊するウィルスを注入するよ。それが終わったら、移譲先になる体の破壊だ。こっちは物理的に破壊しなきゃならないから、プラスチック爆弾を仕掛けるんだ。起爆は最後だから、見つからないように頼むよ。施設には電波妨害もなさそうだし、ノアたちの様子はしっかりモニターできてる。なにかあったら呼んで。やれることはやるよ』
「うん、わかった」
『じゃあ、頑張ろう』
「うん」
トレバーとの通信が切断されて、ノイズが消えた。トレバーが見てくれているというだけで、なんとなく安心する。いざというときにはどうにかしれくれるという安心感だろうか。
とはいえ、仕事をするのはトレバーだけじゃない。僕らもきっちり役目を果たさなければならない。そういうわけで、僕はMK17のスコープを単眼鏡代わりに、施設の周囲を観察した。正面の鉄門は堅く閉ざされていて、ノックしたところで開けてもらえそうにない。鉄門の両脇には二名の兵士が立っていて、それぞれ周囲を警戒している。両兵士がそれぞれの背後をカバーするように視界を確保しているおかげで、近づくことも容易ではない。正面からの潜入は難しそうだ。
視界を右へスライドさせる。コンクリートで作られた塀はゆうに百メートルはあるだろう。角には見張り台があって、その上には監視の目を光らせている兵士がいた。正面の塀を迂回して脇から侵入する手もあるけれど、見張り台の兵士の視界に長く留まることになる。それに、迂回したところで侵入できる隙が見つかるかどうかは賭けでしかない。加えて、右手側は崖になっていて、積極的に採用したい経路とは言いづらそうだ。見張りの兵士の視線があるなかで、あの崖をじりじりと進むのはかなり分の悪い運試しになるだろう。見つかれば蜂の巣だ。
続けて、視界を左へスライドさせる。右手側と同じように見張り台の上から兵士が警戒している。しかし、その脇は深い森になっていて、うまい具合に僕らを隠してくれそうだ。正面や右手から施設へ近づくよりは、よっぽど現実的な手立てだろう。
そういうわけで、僕らは左手側から塀を迂回して塀の内側への侵入経路を探すことにした。
ここからは、一切物音を立てるわけにはいかない。テメルに簡単に道筋を説明して、行動を開始する。まずは僕が先行した。テメルは監視の目を警戒しつつ、ハンドシグナルでサインを送り続ける。木の影から影へ、地面のくぼみからくぼみへ、じりじりと森の中を進む。
ある程度進んだところで、テメルに前進の指示を出す。見張り台、門前の歩哨から目を離さず、こちらが視界に入りそうなタイミングでは停止の指示を出す。しくじるわけにはいかない。そう思いはすれど、焦りはない。時間に余裕はあるし、この手の作戦だって、何度もこなしてきた。バディがテメルなら、なんの不安もない。一年という短い期間ではあるが、行った訓練の頻度や内容はどれも濃い。テメルの癖も、長所も短所もある程度は把握している。そして、この手の作戦行動に対するテメルの技術は誰に劣るものではないことも、十二分に承知している。
そうしているうちに、テメルが合流した。ここまで誰にも見られてはいない。幸先のよい出だしだ。同じ要領で、交互に森の中を進んでいく。誰にも見つかってはいけない。誰にも見られてはいけない。そんな綱渡りみたいな状況を、僕とテメルは順調に攻略していく。ひりつくような緊張感が押し寄せる。それでも僕らは、前へ進んでいく。枯れ葉を踏みしめる音、小枝を踏み割る音、枝葉にこすれる音、飛び立つ虫や鳥の羽音。僕らはそんな小さな音さえも排除しながら進む。なにひとつ、敵に気付かれる痕跡を残してはならない。これがこの任務に課された絶対のルールだ。このルールを破ったが最後、僕らに待っているのは死だけだ。
やがて塀の迂回に成功し、施設の左手側の山中に回り込めた。改めてスコープで観察する。施設の左手側は、縦に二百メートル以上はあろうかというほどに広かった。塀が視界いっぱいに延々と続いている。しかし、幸いなことに正面ほど警備は厳重ではないようだ。歩哨は折らず、ただただ長くコンクリート製の塀が立ちふさがっている。僕は手前から奥へとスコープ越しに侵入経路を探す。すると、現在地から五十メートルほど先に、廃棄物用のコンテナが二台置かれているのが見えた。その隣には、廃棄物を搬出するためであろう、人が出入りするための鉄扉が備え付けてある。そして、そこには歩哨の姿がなかった。ようやく入れそうな入り口を見つけられたようだ。テメルにも手振りで伝える。僕と同じようにスコープで確認したテメルは僕を見て頷いた。決まりだ。僕らはそこを侵入経路に決めた。
僕らは夜闇に紛れて森を抜け、鉄扉へと近づいて素早くコンテナの影へと体を滑り込ませた。音を立てないようにそっとノブをひねると、案の定というか、当たり前だが鍵がかかっていた。とはいえ、それも想定内だ。僕はベストにくくりつけたポーチのひとつからピッキングツールを取り出し、コンテナに隠れながら鉄扉に張り付いた。PMMでは解錠技術も訓練していた。手先が器用なのか、僕はそれが得意だ。そういうわけで、ものの二十秒ほどで解錠が完了する。ピッキングツールをポーチにしまい、MK17を構え直し、そっと鉄扉を押し開ける。近くに兵士がいないことを確認して、テメルとともにするりと扉の内側へと滑り込む。
塀の内側は、まるで窓のない病院のような趣だった。五階建てほどの建屋が複数があり、それぞれが渡り廊下で結ばれている。建物は正面から見て二列に並ぶように建っており、さらに前後でも二棟に分かれている。建物ごとに研究分野が異なったりするのだろうか。また、資材を運搬するためだろう、貨物トラックが数台置かれ、近くにはコンテナが積まれていた。病院といったが庭はなく、代わりに資材を運搬するための通り道が整備されている。今はまだ研究員も研究を続けているのだろう。まれに建屋から建屋へ移動する白衣の人物を見かける。警備の兵士はというと、塀の内側にはほとんどいなかった。正門付近や建屋の入り口付近に一人、二人立っているだけで、それ以外には見当たらない。知られないことをアドバンテージにして、警備には手を割いていないのかもしれない。さらにその奥にはますます病院然とした、けれど他の建屋とは趣の異なる建物が建っていた。おそらく、あそこにマーシャがいるのだろう。
「トレバー、聞こえる」
『うん、ばっちりだよ』
無線で呼びかけると、すぐさま応答してくれた。
「建屋がいくつかあるみたいだ。どこに移譲先の体があるか、わかる」
『ちょっと待ってね』
言うなり、ものすごい勢いでキーボードを叩く音が聞こえた。そして、ほんの数秒後、
『わかったよ。B棟だ。今ノアたちがいる場所から見ると、左手側の手前から二棟目かな』
「了解、ありがとう」
『ちなみに、地下にあるから、気をつけてね。地下で見つかったら、逃げるにも一苦労だよ』
「そんなヘマはしないよ」
『うん、頑張ってくれよ』
無線を切って、テメルに振り返る。
「B棟だ。まずはそこへ行って、C4を仕掛けよう。ウィルスはその道中で流し込む」
「了解」
テメルが頷く。目的地は決まった。あとは、施設の中へ侵入するだけだ。決してたやすくはない。けれど、テメルと一緒ならなんの障害もなくクリアできるような気がした。
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