第2話

「きた」


 車道を一台のジープが走ってくるのを認めて、時刻を確認した。午後五時。あと一時間と少しすれば日の入りだ。予定よりは少し遅れたようだが、致命的な差異ではない。


 僕らは予定通りに次なる潜伏地点に到着していた。そこは研究施設から約五キロの地点。同じ高さに施設が見え、そこへと繋がる車道をも見下ろせる格好のポジションだ。少し密度が薄いが、周囲は広葉樹に囲まれ、適度に僕らを隠してくれている。そこで二時間置きに見張りを交代しながら、潜入に備えて体力を回復させている。今の見張りは僕の番で、MK17から取り外したスコープで山道を監視していたところだ。


 スコープの倍率を上げる。後部座席に座った人物の顔が見えた。それは以前PMMの任務で相対した男とはまるきり別人だった。しかし、あれはマーシャだ。トレバーは監視カメラの記録映像も入手していて、そこから抽出したマーシャの映像を見せてくれた。そこで見た男と、後部座席の男は同一人物だ。ここを通過することも、トレバーが掴んだ情報通りだ。そして、マーシャは僕に気づくことなく施設に続く山道を登っていった。今のところ、計画は予定通りに進んでいる。なんの問題もない。


 僕は、マーシャが施設へと遠ざかっていくのをただ見送る。今ここで、マーシャを殺すわけにはいかないからだ。マーシャの記憶を移譲する体や記憶データのバックアップも破壊しなければならない。今のマーシャを殺したところで、次の体へ移動されてしまえば意味がない。それはバックアップについても同じことが言える。とはいえ、そちらを先に破壊するわけにもいかない。なぜなら、それらを破壊したことをマーシャに感づかれてしまえば、本来の目的であるマーシャを取り逃してしまう。まして、気付かれてしまったら僕らの命さえも危ない。いくら周辺の警備が手薄とはいえ、施設内にはそれなりの軍備を常設しているだろう。対して、僕らは二人しかいない。僕らは誰にも見つからず、すべてを成し遂げる必要がある。でも、僕らに選択肢はない。これは必ず成功させなければならない任務だ。


「予定通りみたいだね」


 休息用に作った隠れ場所から出てきたテメルが、隣に並んで呟いた。


「うん、このあとは確か、打ち合わせと会食だったよね」

「そうだ。会食が長引くと厄介だが、それでも日付が変わる前には終わるだろう」


 テメルが楽観的に言う。僕もその意見には同意だ。それに、僕らには他にもやることがある。会食後のマーシャを襲撃するのだから、打ち合わせと会食の最中に終わらせておく必要がある。あまりこの施設に長居するつもりはない。


「さぁ、見張りを変わろう。ノアは休んでて」

「うん」


 テメルに見張りの場所を譲って、僕は隠れ場所に入る。即席のギリースーツを被って身を伏せた。次の交代の予定はない。この休息が終わったら、僕らは施設へと入り込む予定になっている。熟睡とはいかないまでも、少しでも体を休め、体力を回復させておく必要がある。けれど、ようやくマーシャに手が届くことを思うと、なんだか心は静まらなかった。




「時間だ、行こう」


 午後七時。日はすっかり落ち、辺りは静かな闇に包まれていた。この島は年中暖かい、穏やかな気候だ。標高がある分、少し気温は下がるものの、それでも活動に支障をきたすほどのものではない。僕らは誰にも見つかることなく、休息を取ることができた。つまり、体調は万全だ。そして、これからが本番だった。


 キャンプに使ったものはここに置いていく。これからの作戦行動には不要なものだ。最低限、縄と水筒だけはベストにくくりつけておく。少し地面を掘って埋め、上から落ち葉をかぶせることでごまかした。数時間で任務を終える予定だ。見つかるリスクも低いだろう。


「うん」


 テメルに頷きを返して、僕らは研究施設に向かって進み始めた。


 ここから施設までは約五キロ。また山道をひたすらに歩いていく。しかし、最初の十キロと比べれば、高低差はあまりなく、木々も生い茂ってはいないから歩きやすい。しかし、木々の密度が薄い分、僕らの姿が捉えやすくなる。つまりは慎重に行軍せざるを得ないわけで、当然ペースにも響いてくる。だから、出せうる最高の速度を出して進みつつも、見つかりにくい道を選び、確実性を確保しながら歩みを進めた。


「止まれ」


 テメルから指示があったのは、歩き始めて四キロほど進んだときだった。すぐさま身を伏せて、テメルの視線の先を追う。そこには巡回する兵士の姿があった。彼らは周囲を警戒しながら、ゆっくりと山道を歩いていた。この島に上陸してから初めて見る兵士だ。ようやく警戒区域内に足を踏み入れた実感が湧く。そしてそれは、研究施設まであと少しであることも現していた。


 双眼鏡を覗いて、彼らを注視してみる。見たところ、兵士としては標準的な装備だ。メインアームはM16A1、アンダーマウントにはなにも装着されていない。特に変わった装備はない。あるとすれば、四倍まで拡大できるスコープが装着されているくらいか。暗視ゴーグルの類は認められず、索敵は兵士の視力、注意力頼りのようだ。腰には無線機とサイドアームが吊り下げられている。


「どうする」


 テメルが尋ねる。とはいえ、選択肢はそう多くないように思えた。やり過ごすか、始末するかだ。


「やり過ごそう」


 彼らが定期連絡を指示されている可能性がある。連絡が途絶えてしまえば、僕らの存在が露呈してしまいかねない。マーシャを葬り去るまで、できれば僕らが脱出してすべてを終えるまで、その事態は極力避けなければならない。それに彼らは特殊な装備をせずに巡回している。静かに背後を回れば、気付かれる可能性も低いだろう。


「了解」


 僕が答えるやいなや、テメルは行動を再開した。巡回の兵士の視界に入らないように位置を取りつつ、他の兵士がいないか気を配りながら前進する。もっとも危険な位置は山道を横切らなければならない瞬間だ。そこでは遮蔽物は一切ない。万が一巡回の兵士が振り返れば一巻の終わりだ。僕らは慎重に、タイミングを図って山道を横断する。


 まずはテメルから。僕は巡回兵から目を離さない。いざとなれば、一撃で葬り去らなければならない。しかし、幸いにも彼らが振り返ることはなく、テメルは山道を渡りきった。そして、次は僕の番だ。ゆっくりと、気配を悟られないように横断する。この道に、彼ら以外の兵士はいない。だからこそ大胆にこの道を横切ることができるわけだ。あと二メートル。長いようで、短い距離だ。慎重に、物音を立てないように足を運ぶ。テメルが渡るときは僕が援護していたように、テメルもしっかりと巡回兵を警戒してくれてはいるが、ここで発見される愚は犯したくない。


 そろりと足を伸ばして、そして、辿り着いた。巡回兵は僕らに気付かないまま山道の先へと消えていった。


「行こう」


 ほっと息を吐くのもそこそこに、僕らは先へ進むことにした。この先にマーシャがいる。僕はもう、内に飼った獣を抑えられそうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る