第4章
第1話
『いいかい。今回の目的はマーシャを完全に抹殺することだ。記憶移譲先の個体はもちろん、記憶データのバックアップも破壊する。それから、本人も。それらをすべて達成できれば、僕らの勝ちだ』
トレバーとの再開から一ヶ月。僕らはあちこちへ移動を繰り返しながら、マーシャの居場所を探し続けた。僕ら自身の隠蔽はトレバーがいれば造作もない。おそらくマーシャは、完全に僕らを見失ったことだろう。そうしながら、僕らはマーシャの足取りを追い続けた。マーシャを葬り去る。マーシャの記憶ごと、マーシャの新しい転移先ごと、この世から抹消する。それしか、僕らが元の暮らしへ戻る方法はなかった。だから、身を隠しつつ、マーシャを探し続けた。
そして、見つけた。
トレバーが潜り込んだCTIのサーバから、マーシャの行動予定を拾い上げた。それは、キプロス島の山間にある研究施設への視察予定だった。そして、その研究所の地下には、記憶の移譲先に使われるであろう人体が複数体確認された。願ってもいない機会だ。だから、僕らは決断した。視察に訪れたマーシャを殺す。そして、すべてを終わらせることを。
キプロス島に近いトルコの沿岸都市から船を出し、キプロス島の沖合十キロからは装備を抱えて泳いで上陸した。月明かりのない夜の上陸だ。誰にも気付かれてはいないだろう。上陸した僕らは遊泳装備を見つからないように始末してから、沿岸の岩場を伝って森の中へと進んだ。そこから先は山になっている。オリンポス山。標高二〇〇〇メートルほどの山の中腹、一〇〇〇メートル付近にマーシャが視察に訪れる研究施設がある。
沿岸部から三キロほど、高さにして五〇〇メートルほど山を登ると、すでに街は遠く、辺りを木々に囲われた自然の中だった。施設はそこから更に直線距離で十五キロほど先にある。距離は大したことないが、道程のほとんどが登りだ。計画では、潜入は明日の夜。そういうわけで、僕らはそこで体を休めることにした。
一緒に上陸したテメルとともに適当な岩場を探す。できれば少し抉れたような地形が望ましい。煙を逃がす先にさえ注意すれば、火を焚くこともできる。幸いにも手頃な岩場はすぐに見つかった。僕らはそこを今夜の寝床に定めて、手近な枯れ木で簡単な屋根と壁を作る。これが僕らを夜風と視線から守ってくれる。そうして簡易的な休息所を確保したあと、僕らは簡単な食事を済ませて、装備の点検を始めた。
「これが終わったら、テメルはどうするの」
海水が入らないように丁寧にパッキングした装備を、ひとつひとつ慎重に開きながら尋ねる。テメルは僕らに着いてきてくれた。僕らを追うのはマーシャだけだ。だから、マーシャを殺せば、僕らには平穏が訪れる。すなわち、これがすべて終わったら、テメルが僕らに着いてくる理由もなくなる。そのあと、テメルはどうするのだろう。
「どうするかなぁ」
同じようにパックを開けながら、テメルが答える。その目は装備に向けられていて、表情は窺えない。そこにどんな考えがあるのか、どんなことを思い描いているのか、僕には想像すらできない。テメルは僕らを放っておけないといって、PMMを抜けてここまで来た。その理由を、テメルは詳しく語らない。だから、僕も聞かずにいた。語ろうとしないテメルに、それ以上深く尋ねることはしたくなかった。それはこれからも変わらないだろう。
だからだろうか。テメルがこれからどうするのかが気になるのは。
マーシャを葬り去れば、PMMも復活できるかもしれない。この戦いが終わったら、テメルはPMMへ帰るのだろうか。きっと、テメルほどの有能な兵士なら、PMMは歓迎するだろう。そのとき僕らは、また家族だけで生活を始めるのだろう。もしかしたらソネルはとどまるかもしれない。そうして、テメルがいない、四人での生活が始まる。
それにはなんとなく、寂しさを感じた。
「まだ考えてないなぁ」
続いて、銃の分解整備を始めたテメルが呟いた。
「任務は始まったばかりだし。どういう結末を迎えるかわからない。そんなわからない先のことを考えても、なんにもならなそうだからね。だから、私は今に集中しようと思ってる」
目の前のことに集中する。テメルらしい答えだと思った。テメルはいつだってそうやって進んできたのだろう。だから、僕らに着いてくるなんていう荒唐無稽な判断を、あんなに短い時間で下すことができたのだろう。
「そう、だね」
この戦いには、僕らの自由がかかっている。マーシャを捉えられる機会は、そう簡単には巡ってこないだろう。これは千載一遇のチャンスだ。逃したらきっと、次はない。不要な思い煩いはいったん脇に置いて、僕も任務に集中すべきだろう。だから、僕はテメルに習って、手を動かすことにした。
「さぁ、さっさと終わらせて、早めに休もう。明日の朝は早いよ」
「うん」
翌朝、日の出と共に僕らは出立した。潜伏していたキャンプのあとは、なるべく消し去った。焚き火のあとは丁寧に埋めてある。掘り起こされでもしない限りは、あそこで一泊したことはわからないだろう。計画では、正午過ぎくらいまでに研究施設から五キロ程度離れた場所に到着し、日の入りを待つ。白昼の潜入なんて考えられない。そういうわけで、この山道をいかに素早く攻略し、潜入までに体力を回復させられるかが重要になってくる。
そういうわけで、僕らは一心に研究施設を目指した。幸いなことに、見張りや巡回は見当たらない。研究施設付近に行けば警備に立つ歩哨がいるのだろうが、山道までは警戒していないようだ。そもそも、この研究施設は極秘扱いのようだ。施設があることさえ、一般には公開されていない。トレバーが探り当てなければ見つからなかっただろう。つまりは一級のクラッカーでなければ探り当てられない場所なのだ。知られさえしなければ、攻められることもない。加えて、下手に外縁の巡回をさせてしまうと、なにかがあると疑われてしまう。巡回や見張りの兵士が見当たらないのは、おそらくその辺りが理由だろう。
とはいえ、それは僕らにとって好都合だった。時折立ち止まって休息を取りつつ、敵勢地域内とは思えないような速度で行軍を続ける。このペースを維持できるのなら、予定通り正午付近には潜伏地点に辿り着けそうだ。
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