第8話

「と、PMCとナノマシンの関係はこんなところかな」


 トレバーとの話し合いを終えたあと、トレバーは再び僕らと行動を共にすることを了承してくれた。トレバーに拾われたソネルも一緒だ。


 そして今、トレバーからナノマシンについて調べたことの詳細を聞いていた。

 ソネルの所属していたPMCの基幹システムをクラックし、取引データを入手した。今やほとんどの取引が電子データによる契約だ。そのデータを入手するのは難なく行えたらしい。とはいえ、たとえ取引の情報が紙媒体であろうが口頭であろうが、トレバーには関係ない。施設内の電子機器にアクセスし、その端末のデバイスを使って音声や映像を入手する。そのデータの解析を行えば、取引の情報はほとんどわかってしまう。クラッキングだけでなく、音声や画像の解析もお手の物だ。


 とにもかくにも、入手した取引データを基点に、取引先を総当りで調査した。もちろん、アクセスログは消去しつつダミーのログを残した上で、いくつものサーバを経由し、ときにダミーの端末を踏み台にしながら、足跡の追跡可能性は徹底的に消し去った。加えて、複雑な処理が必要な作業には、自作ウイルスに感染させた世界中のパソコンに並列処理をさせて高速化を図った。

 そうして辿り着いた先が、サンテコントリビュシオン製薬だった。


「でも、SCPってただの製薬企業グループでしょ。どうしてナノマシンなんかを」


 トレバーの話を聞いていたテメルが声をあげる。僕は知らなかったが、世界的に有名な企業グループらしい。


 SCP。トレバーいわく、スイスに本部を置き、世界各地に支社を持っている、世界に影響力を持つ製薬企業グループだそうだ。傘下の企業は二百を越え、昨年の売上高はグループ通算で一七〇〇億ドルを越えている。安価で安全な薬の開発と供給を一手に担う一方、難病として指定されているような疾病に対する新薬の開発も積極的に行っており、いくつもの新薬が各国の認可を得ている。加えて、疾病に対する薬の開発だけでなく、健康増進や不足を補うためのサプリメントの開発も手がけていた。要するに、薬に関することならなんでもござれな超巨大企業グループだ。


「表沙汰にはされてないけどね。三年前にとある企業を買収してるんだ。それがクリエイトテックインフォメーション。こっちも結構な規模を持つIT企業グループだよ」


 また知らない企業が出てきた。


「OSを作ってるところだっけ」


 テメルもそれくらいしか知らないようだ。


「それだけじゃないよ。独自OSを搭載したパソコンや携帯端末も作ってる。今や世界で七割のシェアを持つ巨大企業さ。SCPがナノマシンの開発をしたいってんで、CTIを買収したんだ。CTIとしても、新たな分野への挑戦は悪い話じゃなかった。ただ、相手が悪かったみたいだね。CTIはSCPの言いなりみたいだ。でも、その裏の事情までは探れなかった。さすが、ふたつとも世界規模の企業なだけはあるね。無茶苦茶なセキュリティだよ。あれで費用対効果は大丈夫なのかってくらい、がっちがち」


「そうしてまで隠したいことが、ある」

「うん、たぶんね」


 とはいえ、とトレバーが続ける。


「SCPがCTIを買収してナノマシンを開発していることはわかった。ノアが持ってきてくれた情報と照らし合わせると、ナノマシンの開発目的は記憶の操作。それも、ありもしない記憶をでっち上げたり、人ひとりの記憶を別人に移植したり、無茶苦茶だけどまぁ原理はわからなくはない。でも目的がまだわからない。なんで奴らはPMCに虐殺なんて起こさせたのか。ナノマシン自体は完成しているようだけど、未だにその子を求める理由はなんなのか。その辺がわからないなぁ」

「医療用のナノマシンとの関連は」


 テメルが声をあげる。確かに、現在普及しているナノマシンは、医療用に特化したものだ。細胞の働きを助け、自己治癒能力を高めることで病や怪我の治療を補助する代物。そのナノマシン自体はSCPでもCTIでもない、別のIT企業が製造、開発している。SCPがナノマシン開発に着手するとなれば、自らの土俵である医療分野に展開するほうが、もっとも効果的だろう。すでに新薬で信頼は勝ち得ているし、CTIという世界的企業を傘下に迎えたなら、技術力だって折り紙付きだ。


「ないだろうねぇ。機能がまるっきり違う。記憶の操作なんて機能を、どうやって医療用に転用するのか、ちっとも想像つかないや」

「記憶喪失、とか」


 思いつきを声に出してみる。


「偽物の記憶を書き込んでどうするのさ。それに記憶障害は脳の障害によって起こるんだ。破れた紙に絵は描けないよ。まぁ心因性なら使えないわけじゃないけど」


 けれど、あっという間に却下された。まぁ僕も、正解だなんて思っちゃいないわけだけど。


「ま、ノアたちの状況はわかった。僕もついてくよ。ソネルのことが解決した今、僕がここに居続ける理由もあんまりないし。ソネルはどうする」


 トレバーは振り返って、背後に立ったままのソネルに声をかけた。


 改めて、ソネルを見やる。年のころは二十代後半といったところか。見たところ、テメルと同世代といった感じだ。それにしても、先程のテメルを拘束した技術は見事だった。出会い頭に扉でふっ飛ばされて伸びていた人物とは思えない身のこなしだった。いくらテメルの初手が遅れたとはいえ、あれほどの技術はなかなか見られるものではない。ソネルが所属していたPMCがよく訓練されていたことが容易に想像できる。さぞ練度が高かったことだろう。


 しかし、トレバーに話しかけられたソネルは、さきほどとは打って変わって少し間の抜けた反応を示した。


「んぁ……あぁ、俺はそれでいいぞ。まぁ、行く先がないのは、お前と同じだし」


 どうにも他人事のような話し方をする。とんでもない戦闘技能を見せた人物とは思えない反応だ。それを訝しんでいると、


「さっき、ソネルの部隊が復讐を理由に村々を襲ってたって言ったよね。それの後遺症なのかな。意識、というよりは認識、なのかな。それがうまいこと働かないみたいで、なんだか現実感が希薄なんだってさ。それでも自衛はできるし、戦闘は体で覚えてる。現実感が薄いだけで、自分のことは認識できてるから、ちょっと抜けてる以外は特に問題はないんだけどね」

「そうなんだ」


 トレバーが説明をしてくれた。


 記憶を操作され、罪のない人々をたくさん撃たされる。そのうえ、後遺症まで残ってしまう。マーシャはいったい、なにを目的にこんなものを作ったのだろう。トレバーもわからないと言っていたが、それは僕も同じだった。オリビアにクロエの記憶を植え付け、さらにそれを返せと迫る。マーシャの目的はいったいどこにあるのだろうか。


「で、僕らはノアについていくわけだけど。これからどうするの」


 トレバーが尋ねる。

 僕らはもともと、いったん身を隠して、それからマーシャを葬るつもりでいた。けれど、トレバーが生きていてくれたおかげで、少し計画を変更する必要が出てきた。だが、それはいい方向への修正だ。トレバーがいてくれれば、時間をかけて身を隠す必要もなくなる。なぜなら、痕跡を消し去るなんてことは、トレバーにとっては朝飯前だからだ。加えて、一切の痕跡を残さぬまま、マーシャの居場所を探ることだってできるだろう。幸い、テメルの助言でPMMの基地から持ち出してきた武装もある。そこから導き出される結論は、ひとつだった。


「マーシャを殺して、終わらせる」


 元はといえば、マーシャが元凶だ。僕の家族を殺した黒幕はマーシャだった。今やオリビアさえも奪おうとしてくる。人の命を、自らの命さえも、欠片も省みることなく捨て去ることができるマッドサイエンティスト。PMMを抜けた理由も、結局はそれだ。マーシャを殺して、すべてを終わらせる。あいつを殺さない限り、僕らはいつまでも追われ続けることになるだろう。そんなのはごめんだった。


「うん、わかった。じゃあ、なにをすればいい」


 トレバーが身を乗り出す。久しぶりの「仕事」だ。トレバーも少しは心が踊っているのかもしれない。その表情はどこか楽しげだ。


「マーシャの居場所が知りたい。それから、マーシャが次に記憶を移す体が保管されている場所も」


 そうして、マーシャへの報復は思ったよりも早く始まった。ここからは、僕らの番だ。

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