第7話

「記憶を、移植するナノマシン……」


 トレバーにすべての事情を話した。この街から助け出されてから、関わった任務と逮捕した要人から検出されたナノマシンの存在。オリビアを用いた研究。そして、オリビアを取り戻さんと現れた、マーシャの存在。


「それを使って、マーシャはPMCを操っていた。オリビアを使った実験もマーシャが主導してるんだと思う」


 でないと、マーシャ自身がオリビアを取り戻そうとする理由がわからない。


「活性化したテロメラーゼ。記憶を操作するナノマシン。虐殺へ駆り立てられるPMC……」

「じゃあ俺がしでかしたことは……」


 トレバーの後ろで話を聞いていたソネルが声をあげる。


「……そうだね、十分あり得るかもね」


 トレバーが答えるも、なんのことかさっぱりわからない。


「……どういうこと」


 問うと、トレバーは今しがた気づいたように、


「そういえば、紹介がまだだったね」


 言って、背後に立ったままのソネルを指す。


「ソネルだ。この街の外でぶっ倒れてたのを、僕が拾った。まぁそれだけだったらとっくの昔に放り出してるんだけど、面白そうな話があってね」


 トレバーはそこで一息入れる。


「ソネルは民間軍事会社の社員だった。そこで兵士として働いていた。ようは戦争してたって話なんだけど。でも、いつしか戦争じゃなくなったそうだ。ひたすらに、光学サイトに入る人間を片っ端から撃ち殺してたらしい。そこには明確な殺意があった。その殺意の根源もあった。ソネルの部隊が襲撃されたからだ。だから、部隊の仲間とともに報復していたんだ。許される行為じゃないかもしれないけど、誰も止めなかったし、止められなかった。

 でも、ソネルはある日気がついた。部隊は襲撃なんてされていないことに。考えてみれば当たり前のことだ。襲撃犯と目されていた人たちは、ただの一般市民だ。武器さえろくに持ってない。戦争とだってほとんど関わりはなかったはずだ。それに、部隊の誰も死んじゃいない。なにも破壊されちゃいない。襲撃があったという事実は部隊の記憶にしかなかった。そして、そんな事実は現実にはなかったんだよ」


 同じだった。僕らが逮捕したPMCの幹部たちも同じことを言っていた。彼らも正当な制裁だと言っていた。けれど、どこにもそんな記録は残っていなかった。部隊にもまったく損害はなかった。なぜ彼らが襲撃されたと思い込むようになったのか。なにが報復という狂気に彼らを駆り立てたのか。当時はPMMでの取り調べやヒエロによる調査でもなにもわからなかった。


「もしかしたら、ノアが逮捕したPMCの中にも、そんなことを言ってた奴らがいたんじゃないかな」

「うん、いた。というより、そんな奴らばかりだった」

「そういうことね」


 そこまで言って、トレバーは一人で頷いた。トレバーの中で、なにかひとつ決着が着いたみたいだ。


「疑ってごめん、クロエ」


 そして、唐突にオリビアに向かって頭を下げた。僕もオリビアも面食らう。今の対話の中で、トレバーがなにかを求めて、そして得たことはわかった。でも、まさか、今の会話でクロエの存在を信じてくれるとまでは思っていなかった。


「どうして、急に……」


 理由がわからない。ついさっきまでのトレバーは憎しみに囚われていた。それを、こうも簡単に溜飲を下げられるものなのか。いっそ軽薄にも見えてしまうけれど、僕はトレバーがそんなに薄情な人間でないことは承知している。どちらかというと粘着質なタイプだ。いいことにも悪いことにも。


 昔、トレバーの夕食のおかずを一品、僕が間違って食べてしまったことがあった。確か、鶏のもも肉だったと思う。ちょっとやることがあるからと自室に篭っていたトレバーを置いて、僕らは三人で夕食を食べ始めた。その日はお腹が空いていたのだと思う。つい、二本目のもも肉に手を出してしまった。運悪く、そのタイミングで自室から出てきたトレバーは僕が二本目にかぶりついているところをばっちり目撃してしまった。そのときの剣幕は今でも忘れられない。


 それからというもの、トレバーはことあるごとにちくちくと僕を突いた。見かねたライアンが窘めるほどだ。それでもトレバーは止まらなかった。食べ物の恨みは怖いというが、想像を超えていた。結局、次の任務の報酬をすべてトレバーに渡すことで決着した。もちろん、本当に徴収された。最初は冗談かと思ったけれど、トレバーは冗談で済ますようなタイプではなかった。トレバーの食べ物には冗談でも手を触れてはいけないと理解した瞬間だった。

 だから、なぜトレバーが謝罪をするに至ったのか、ちっともわからなかった。


「信じられる話だからさ。むしろ、すっきりしたくらいだ」

「どういうこと……」


 トレバーは、うんとひとつ頷いて、


「僕はソネルがどうしてそんな状態に陥ったのか、それを調べてたんだ。他にすることもなかったし、できることもなかったから。同じような事件が相次いでいること、それがすべて、現地に展開しているPMCによって引き起こされていたことがわかった。それからいろいろと調べてみたら、原因がナノマシンにあることまでは突き止めた。製造元とPMCの関連もばっちりだ」

「突き止められたのか」


 テメルが驚きの声をあげる。PMMですら、国連直属の部隊ですら調べきれなかったことを、トレバーが調べ尽くしてしまったのだ。トレバーに調べられないことはないと思っていたけれど、まさかこれほどとは。


「まぁまともな調べ方じゃ辿り着けないような情報だったんだけどね」


 そう言って、続ける。


「でも、ナノマシンがどんな作用をもたらすのか、それだけがわからなかったんだ。製造元のプロテクトが堅くてね。なかなか中核までは入り込めなかった。そこの研究データさえあれば、ナノマシンの機能がわかったんだけど。

 で、そこにノアが帰ってきてくれた。それも、僕が求めている情報付きでね。疑いようはなさそうだから信じたんだよ。きっと、僕が調べていたナノマシンと、クロエの記憶を移植したナノマシンは同じの機能を持つものだろうね。個人の記憶の完全移植と証拠隠滅を図れるのだから、そっちのが性能はよさそうだけど。そうなると、オリビア自身の記憶も作られたもの、書き換えられたものって可能性もあるけど……まぁありえないだろうね。それなら襲撃してきたりしないし、そもそも僕らに近づくメリットがない」


 そこまで言い切ったあと、トレバーは肩をすくめて続けた。


「というわけで、ノアの話を信じることにした。オリビアのことを完全に許せたわけじゃないけど、それでも、僕らと同じだってことは理解したよ」


 その答えを聞いて、僕は安心した。同時に、改めてトレバーの凄さを目の当たりにしたように感じた。僕はこんなに簡単に折り合いをつけることができなかった。オリビアに辛く当たってしまったし、クロエのことも簡単には信じることができなかった。


 それなのに、トレバーは自身が持っていた情報と僕が持ち込んだ情報を組み合わせて、あっという間に結論まで辿り着いてしまった。加えて、そこからわかった事実のみを元に理性的な判断を下すことができた。一時は感情に身を委ねかけたが、それでも自ら持ち直した。まだ、僕にはできない芸当だ。この安定性も、ライアンがトレバーを重用する理由なんだろうな、と素直に思う。


 その点、僕はまだまだ未熟だ。もっと成長しなければと思う。戦闘にまつわる技量だけでなく、人としての器量。でないと、僕はまた、大切な家族を、仲間を失ってしまう事態になりかねない。それだけは、絶対に避けなければならない。そのためにPMMを抜けてきたのだから。


「ありがとう」


 その言葉は、素直にこぼれ落ちた。

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