第5話

 想定通りというか、当然ではあるけれど、街中で人に会うことはなかった。すでに、ここは死んだ街だった。PMCの部隊に狩り尽くされ、すべてが死に絶えた街。長年過ごした街ではあったけれど、街そのものやそこに住まう人々に愛着はなかった。だから、人がいないことで不気味さを感じこそすれ、特別な感傷はなにもなかった。


「着いた……」


 けれど、自宅はそういうわけには行かなかった。

 二階の窓を見上げる。あそこから、僕は街を見下ろして、兵士たちが動き回る様を見ていた。そして、オリビアが眠る部屋へ向かい、そこで気を失った。一切の抵抗ができなかった。それなりに仕事をこなしていた自負があった。それなのに、当時はなにが起こったのかまったく理解できなかった。それくらい、圧倒的な力量差があった。悔しいとさえ思えなかった。ただ、自分の無力をひたすら噛み締めた。そのせいで、僕は家族を失ってしまった。それだけが後悔だった。僕のせいで、僕が防ぎきり、守りきれなかったばっかりに、みんなを死なせてしまった。


「ノア……」


 テメルが肩に手をかけてくれた。

 いつの間にか目を伏せていたらしい。視界に映る僕のつま先は、少しだけ自宅から逸れていた。PMMで支給されたデザートブーツは、僕の悔いを如実に現していた。


「……うん、大丈夫。行こう」

 もう一度視線を上げて、足を踏み出した。今は、トレバーが遺した車を手に入れなければならない。そのためには、僕が自ら行くしかない。意を決して、玄関の木戸を開けた。


「ちょっと待って。車でしょ、どうして家に入るの」

「中に隠してるんだ」


 テメルの疑問に簡単に答えて、僕は家の中へと足を踏み入れた。

 街の様子と同様に、室内も荒らされた様子はなく、隣室からひょっこりライアンかトレバーが顔を出しそうな気配を残している。僕は息を整えて、居間を抜けて奥へと進んだ。

 一階は居間と右手に隣接する台所、反対側に洗面所と浴室がある。それから、今は使われていない、クロエの両親の部屋が居間の向こうにある。そのうち、僕らの目的はクロエの両親の部屋だ。


「……こんなところに、車なんてなかったわよ」


 テメルがつぶやく。


「テメルが見つけてないなら、うまく隠せたみたいだね」


 言いながら、床の板の目を辿っていく。そして、部屋の中央より少し奥へ行ったところで、立ち止まった。ここに隠し扉がある。本当は薄い鉄板が欲しいのだけれど、今は持ち合わせがない。というわけで、ナイフを使うことにした。だいぶ刃が分厚いけれど、この際仕方ない。それに、車を手に入れてしまえば、ここに隠し扉があることを隠し続ける必要がない。つまり、隠し扉としての役目を終えて、ただの跳ね上げ式の扉であってもいいわけだ。そうやって言い訳をしつつ、僕は床板の隙間にナイフを突き立てた。


「またこんな仕掛けを……。トレバーの仕業なの」


 床にぽっかりと空いた穴を見て、最初に声を挙げたのはオリビアだった。そういえば、クロエにはこの扉の存在を知らせていないのだった。クロエを任務に連れていくことはないし、伝えないうちになんだかんだと時が過ぎてしまった。


「そうだね、この仕組みはトレバーが考えてた」

「もう……お父さんとお母さんの部屋なのに……」

「……ごめんね」


 トレバーの代わりに謝っておく。確かに、クロエに一言断っておくべきだったかもしれない。ここはクロエにとって、両親の思い出が詰まった部屋だ。知らない間にいじくり回されるなんて、気分のいいことじゃないだろう。けれど、オリビアは笑って許してくれた。


「いいよ。ノアが決めたことじゃないだろうし、みんなにとって必要だったんでしょ。それなら、許してあげる」

「……ありがとう」


 クロエに謝れたところで、改めて穴に向き直る。この先にトレバーが遺した車がある。ちゃんと動けばいいけれど。


「行こうか」


 背後の二人に声をかけて、僕は穴に潜り込んだ。

 床に空いた穴は縦に腰くらいの深さがあって、そこから先は横穴になっている。だんだんと下る作りになっていて、下りきった先は高さが二メートルくらいの通路になっていたはずだ。当然、電気なんて通ってない。


「テメル、明かり、ある」

「えぇ、一応」


 腰にくくりつけたポーチのひとつから、ペン型の小型懐中電灯を取り出した。小さいが、光量は十分で、狭い廊下を縦に並んで歩く分には不自由しない。テメルから受け取って、足元を照らす。記憶の通り、小さな段が下方に続いている。


「足元気をつけてね」


 先に階段を降りきって、二人が降りてくる足元を照らす。通路は幅が一メートルくらいの狭いものだった。記憶の通り、人が一人通るのがやっとだ。とはいえ、どのみちライアンとトレバー、それから僕しか使わない通路だから、それで構わないわけだけれど。


 二人が通路に降り立ったのを確認して、一列になって通路を進んだ。地中を掘り進んだ通路の壁や天井は一応補強をしてあるものの、全長一キロもあるそれが、よく一年も崩れずに保ったものだと思う。誰も使わない建築物は朽ちやすいというが、あまり朽ちている様子もない。一年程度では影響がないのだろうか。

 そんなことを思いながらの十分はあっという間だった。すぐに車が隠してある扉の前についた。この先は村から少し離れた洞窟に繋がっている。外から行ってもよかったのだが、恐ろしく面倒な回り道をしなければならず、結果的にこの通路を使ったほうが時間がかからない。


「ノア、こんな通路、よく――」

「しっ」


 オリビアの口を塞いだ。

 扉の向こうに気配があった。誰かがいる。


 テメルが僕の変化を感じ取って、扉の脇に張り付いた。その手にはすでに愛用のMk23が握られている。僕はペンライトを消して、テメルと反対の壁に張り付く。ハンドシグナルでオリビアには下がるように指示を出す。オリビアは頷いて、通路を戻って身を伏せた。


 依然として扉の向こうでは何者かが動いている。足音は殺しているようだが、気配はまるわかりだ。だんだんと扉に近づいてくる人間が二人。僕らの存在はすでにバレているだろう。誰かにここを嗅ぎつけられたか、どこかの浮浪者がたまたま見つけてねぐらにしていたか。どちらにせよ、排除するしかない。最悪の場合は、始末することも考慮に入れておく必要がある。


 暗闇の中、テメルと目を合わせてタイミングを図る。三、二、……。


 テメルが扉を蹴り開けると同時に室内に飛び込んだ。小さな光源を背に、浮かび上がった人影はひとつ。一人は扉に弾かれて伸びている。僕は目の前で呆然としている人影に踊りかかった。


「……あ、まっ」


 左手で右肩を掴んで、そのまま左足を相手の背後まで踏み込む。そして、勢いをそのままに腰を軸にして、首を刈り取るように左腕を振り下ろして地面に叩きつけた。反撃の隙きは与えない。倒れ込んだ相手の背中に膝を乗せて、後頭部にM92Fを突きつける。


「ちょ、たんまっ、僕だよ」


 暗闇の中、人影が喚く。

 その声に、聞き覚えがあった。

 いや、まさか……。そんなはずはない。生き残りは僕ら以外にいないと聞いている。それはテメルが、PMMが調べた結果だ。だから、ありえない。でも、事実、この隠し通路のことをテメルは知らなかった。PMMにも調査しきれなかった場所があったとしたら……。


「ノアっ」


 組み伏せた相手が僕の名を呼ぶ。やっぱり、この声は……。


「……トレバー」

「そう、僕だよ」



「なんで……」


 ようやく絞り出た声はそれだった。うまく事態が飲み込めなくて、そんな言葉しか出てこない。それでも、トレバーの背中から降りることはできた。そしてそのまま、力が抜けてへたりこむ。陳腐な言い方をするなら、頭が真っ白になった。しかし、頭の中を占めるのはただの空白じゃない。いろいろな言葉がぐるぐると巡り、ちっとも言葉が像を結ばない。思考があっちへこっちへ飛び散って、一向にまとまる気配を見せない。その一方で、人はパニックになるとこんなにもこんなにも思考が無駄な空回りをするものなのかと、冷静に観察する自分もいた。


「ほんとに、ノアなの……」


 とはいえ、それはトレバーも同じようだ。考えてみれば当然だ。僕がトレバーの生存を知らなかったように、トレバーも僕が生きていて、まさか国連直属の部隊に所属していたなんて、想像できないだろう。PMMに関していえば、僕にだって想定外の出来事だった。なにか手がかりがあればすべてを調べ尽くしてしまうのがトレバーの性だけれど、引っ掛かりがなければ調べようがない。


「……うん」


 トレバーの問いに答える。だから、僕も問う。


「トレバーは、なんで……」


 あの日、いったいなにがあったのか。トレバーはクロエを起こしに行ったはずだ。それが、どうして。


「それは……」


 言って、トレバーは顔を伏せた。その横顔からは、深い後悔が窺えた。


「……奥へ行こうか、ここじゃなんだし」


 腰をあげて、トレバーはドアに吹き飛ばされて倒れたままの男性を担いだ。なんとか担ぎ上げたものの、その足取りはふらつき、頼りない。それでも、そのまま通路を奥へと進んでいく。


「……手伝うよ」


 トレバーに駆け寄って、男性の右腕の下から体を差し入れる。


「ありがと」


 そうして、僕らは車が隠してある洞窟まで歩いた。その歩みは、ひどくゆったりとしていた。まるで、そこまで辿り着くことを拒むように。

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