第4話

 車を二日間走らせて、僕らの育った街へ帰ってきた。


 車は切り立った岩壁が抉れた、ちょっとした洞窟のような場所に隠してある。加えて、対面も岩壁になっていて、上から見るとまるで大地に裂け目があるような地形だ。まさに、車を隠すにはもってこいの地形だった。そして、岩壁は僕らをも隠してくれた。そのせいで、僕らは思わぬ足止めを食らうことになった。


 僕が街に足を踏み入れることができなかったのだ。


 考えてみれば、当然のトラウマだった。僕はここですべてを失ったのだ。その記憶は今でも脳裏に焼き付いている。統率の取れた兵士たちに手も足も出なかった。一瞬で意識を刈り取られて、なにもできないまま気づけばすべてが終わっていた。ある意味でクロエは助かったけれど、それでも、かけがえのない家族を二人も失ったのだ。街へ足を向けると、どうしてもその記憶が頭を埋め尽くす。ライアンやトレバーが感じた痛みや恐怖を思うと、足がどうしようもないほど重くなってしまう。


 幸いと言っていいのか、襲撃の記憶をクロエは保持していなかった。マーシャがその部分の記憶を抜いたのだろう。自分が殺されたときの記憶なんて、残っていてもいいことなんてない。きっとマーシャも自害したときの記憶までは保持していないだろう。苦痛が与えられるただそれだけの記憶など、あっても闇雲に苦しむだけだ。


 そういうわけで、僕が街へ足を踏みれるのは、岩壁の裂け目へたどり着いてからさらに一週間が経ってからになった。


 街は思ったよりも原型を留めいていた。石造りの住居から、その間の路地から、今にも住人が飛び出してきそうなくらいだ。もっと荒れているものだと思っていた。なにせ、街の人々が一人残らず殺されたのだ。砲撃によって住居は崩れ落ち、爆撃によって大地に穴が空いているような、そんな状況を想像していた。よほど訓練された部隊だったのだろう。まるで、人々だけをどこかへ隠してしまう集団神隠しでも起こったみたいだった。とはいえ、よく見ると住居の壁には弾痕が残っていたり、一年以上放置されたことによって崩れかかっている建物もある。目の前には、木戸が外れ、室内が丸見えになっている建物があった。そして、最もショックが大きいだろうと予測していた人々の骸は、街のどこにもなかった。血の染みさえ見当たらない。


「私達が埋葬したの。この辺りはまだよかったけれど、駅前はひどかった。まるで地獄だったわ」

 その辺りは周辺の地域から流れてきた人々が路上で寝起きしていたエリアだろう。小規模なスラムと化していたそこでは、誰もがまともに反撃ができなかっただろうことは想像に難くない。武器を所持できるなら、そもそも路上で生活などしていない。周辺の紛争地帯から集めてきたとしても、スラムの住人を守りきるだけの装備は揃えることができなかっただろう。

「それじゃあライアンたちも……」


「おそらくね。でも、本当のところはわからない。なにしろ、生き残りはあなたたちだけだったの。殺された人たちがどこの誰だったかなんて、誰にもわからない」

「……」


 あのとき。僕は気を失って、気づいたら国連管理下の病院だった。だから、事の顛末はわからない。僕は、ライアンの、トレバーの、そしてクロエの最後を、看取ることができなかった。せめて、苦しまずに逝けたなら。そう願うことしかできない。


「なんか、やっぱり、辛いね」


 オリビアが言った。顔を向けると、肩を抱いて少し震えていた。


「クロエとしての記憶はなくても、オリビアが覚えてる。私は私の最後を見ていないけど、それでも、なんとなく、感じる」

「……」


 かけられる言葉はなかった。僕も、テメルも。なぜなら、僕らは死んだことがない。当然だ。僕らは死んでしまったら、すべてがおしまいだ。そんな経験はすることができない。だから、それを経験し、死を感じているオリビアに、クロエに、僕らはなんて言えるのか、ちっとも思いつかない。


「……行こう」


 だから、先を促すことしかできなかった。僕らはトレバーが遺した車を、電子機器を手に入れる。そして、それを使ってマーシャから隠れる。人間を僕らにぴったり貼り付けでもしない限り、街中のカメラやネットワーク上のアクセスログからしか僕らの居場所や動向は探れない。トレバーの遺産はそれらから僕らを守ってくれる。サイバーテクニックには疎いけれど、トレバーがやっていたことを再現できるなら、そうやって姿を隠すことも可能であるはずだ。なにも言えない代わりに、僕らは静かに街中を進んでいった。

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