第2話

「二人の状況はわかったわ」


 オリビアの部屋へ戻ってから、僕はテメルに僕らが直面している問題を打ち明けた。つまり、昨夜マーシャがオリビアの返還を求め、僕がそれを断ったこと。そして、それに対する報復の可能性。テメルは僕が説明する間、一切口を開かずに聞いてくれた。じっと腕を組み、扉に背を預けて難しそうな顔をしていた。わかりにくさよりも、きっと状況の異様さに頭を悩ませているのだろう。死んだはずの人間が生き返る。そんなことが、現実に起こってしまっている。


「あの男、生きてたのね」

「生きてたっていうより、生き延びたって感じかな」


 マーシャはあの時確かに死んだ。だから、生きていたという表現は、適切ではないように思う。記憶だけを移植して体を乗り換えたから、生き延びたというほうがしっくりくる。


 記憶だけの移植。技術的にはオリビアにクロエの記憶を移したものと同じだ。マーシャはそれを自らにも使った。記憶だけを新しい体に移植した。それはどんな人間でさえも逃れられなかった死を、克服するような技術だ。つまり、記憶を新しい体に移し替え続ければ、永遠に生きながらえることができる。マーシャにとって死は過去のものだ。なるほど、あれほど潔く自死を選択できるわけだ。なぜならマーシャは死なない。あれはマーシャにとって死ではないからだ。たとえ一瞬の苦痛があったとしても、記憶さえあれば生きながらえることがわかっているならば、自死くらい容易いだろう。もしこの技術が普及してしまったら、人は死というものをどのように捉えるのだろうか。記憶だけを移植し続けながら、違う体で生き続ける。


 そんな未来を想像した途端、背中に薄ら寒いものが走った。肉体が、単なる入れ物だとしたら。記憶を移すには、移し先がなければならない。では、入れ物はどうやって確保するのだろう。その体は、いったい誰のものだったんだろう。もともと宿っていた記憶の行く先は……。


「それで、これからどうするつもり」


 テメルの一声で、現実に引き戻された。


「ここを出る」


 テメルがどういう決断をしたとしても、その結論に変わりはない。もうここにはいられない。マーシャがこの部隊に対してなにか仕掛けてくるのであれば、まずはマーシャの視界から消えることが先決だろう。いったん身を隠したあとは、どうしたら攻勢に出られるか、どこから攻めればいいのか、それを探ることになる。マーシャがオリビアを奪還すると決めたなら、僕はそれに全力で抗う。でも、防戦だけではいずれ疲弊し、オリビアを、クロエを失ってしまう。そうなる前に、僕はマーシャを始末する必要がある。そうしなければ、僕は僕の求めたものを守り切ることができない。


「そう……」


 言って、テメルは目を伏せた。顎に手を当てて、何事かを考えるような仕草をする。しかし、それは長くは続かなかった。


「じゃあ、私もついていくわ」

「えっ……」


 静かになりゆきを見守っていたオリビアが声をあげた。勢い余って、ベッドから腰が浮いている。その気持ちは僕もよくわかった。声こそ出さなかったものの、反応は僕も似たようなものだった。少しの期待はあったけれど、まさか本当にテメルがついてきてくれるとは思っていなかったからだ。テメルは部隊に所属して長い。まさか、その部隊を抜けてまで僕らに手を貸してくれるとは。


「どうして……」


 問いかけると、テメルはふっと息を吐いた。


「今度は私が状況を話す番ね……」


 そして、僕らを交互に見つめて、話し始めた。


「今から十時間前。国連本部から隊長宛てに通達があった。私は、隊長と監視地域の計画を練っていたから、その通達を受け取るのを見ていたわ。目を通した隊長はものすごい勢いで青ざめていった。国際連合安全保障理事会決議第一〇四六七号。十五カ国の満場一致で承認された決議だった。誰にも覆しようのないほど強力な決議の内容は、アジア、アフリカ地域における武力介入の全面禁止、および当該地域に展開している部隊の撤退。つまり、PMMの解体通告よ。隊長はすぐさまニューヨークへ飛んだわ。解体の撤回を求めてね。隊員たちには伏せてたんだけど、どこかからは必ず漏れるものね。見ての通り、基地中で大慌てよ」


 そんな状況になっていたなんて。隊員たちが走り回るわけだ。事情もわからず、解体の通知がきたという事実だけが出まわり、真偽を知る隊長を探し求める。騒ぎになって当然だ。同時に、すっと腹に落ちるものがあった。マーシャのあの自信に満ちた態度。彼にはこれが可能だったのだろう。国連安保理の、それも全十五カ国の承認による決議。そんなものをたった数時間で発行させられるような場所に、マーシャがいるというわけだ。そんな場所までどれだけの距離があって、そこへ辿り着くことにどれほど困難を伴うのか、ちっとも想像がつかなかった。それほど遠い場所のように感じた。とはいえ、そこへ行かないわけにはいかない。守るために。


 同時に、少しだけ罪悪感のようなものを感じた。僕らは僕らの居場所を守るためにここを出て、マーシャに戦いを挑む。けれど、隊員たちはそんなことはまったく考えていなくて、ただ僕らの巻き添えを食らったに過ぎない。それなのに、彼らも僕らと同じように居場所を追われてしまう。


「テメルは、いいの……僕らについてきて」


 隊長がいない今、誰かが部隊をまとめて指揮を執らなければならない。せめて隊長が帰ってくるまでは、部隊が部隊として機能している必要がある。隊長と計画を練る立場にいるテメルは、最適な人材に思えた。それなのに、無断で、しかも独断で部隊を離れてしまって、本当にいいんだろうか。


「その点に関しては心配しないで。隊長は了解してくれる」

「どういうこと」


「隊長は通達がきた時点で、解体は免れないと予想していた。満場一致の決議を覆せるほど、私たちに力はない。だから、隊長は自由に動けと言った。私は、自分の処遇を自分で選ぶ」


 そうテメルは言い切った。とはいえ、テメルが僕らについてくる理由があるようには思えない。隊長とそこまでの話をできるということは、部隊に所属して長いのだろう。たくさんの出来事があって、信頼関係を築いてきたはずだ。短いけれど、僕もバディとして訓練を共にしてきた。テメルが部隊を大切に思っていることは知っているつもりだ。それなのに、こうもあっさりと部隊から離れる決断をしてもいいのだろうか。


「だから行くの。みんな大切な仲間よ。私は仲間を放っておけない」


 その答えにも納得できずにいると、仕方ないわね、とテメルが笑った。


「あなたたちだって、大切な仲間なのよ」


 それに、とテメルが続ける。


「なんだか危なっかしいのよね。余計放っておけないわ。特にノアがね」


 そう言って、テメルは笑った。

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