第3章

第1話

 騒々しい足音で目が覚めた。部屋の外で、たくさんの人が走り回っていた。そこに誰かを探し求める声が混じる。


 マーシャに宣戦布告をした夜。僕はオリビアの部屋で過ごした。奴に宣言した以上、いつなにが起こっても対処できるようにしている必要があった。だから、僕らは身を寄せあって朝を迎えた。もう、そこにはオリビアに対する疑念はなにもなかった。オリビアはオリビアであり、クロエでもある。僕の心は決まっていた。それだけは、マーシャに感謝できるかもしれない。

 肩にもたれかかったオリビアを起こさないように慎重に抜け出して、扉越しに外の様子を窺う。


〈いったい、なにがどうなってんだ……〉

〈部隊長はどこだっ、なんでこんなときにいないんだよっ〉


 走り回る人々は口々にぼやいていた。どうやら、部隊長を探しているようだ。なにが起こったのかはわからない。けれど、きっとマーシャの仕業だろう。なんとなく僕はそう当たりをつけて、扉から身を引いた。どうやら、もうここは安全ではないかもしれない。


「オリビア、起きて」


 ベッドにもたれかけさせていたオリビアの肩を揺する。オリビアが薄っすらと目を開ける。


「ノア……」


 寝ぼけ眼に僕が映り込む。その僕は少し頼りなさそうな顔をしていた。それじゃいけないと、気を引き締める。ここから先は僕がどうにかしなければならない。マーシャの手から、オリビアを、クロエを守りきらなければならない。ライアンも、トレバーも、もういない。


「ここを出よう。必要な荷物をまとめて。僕も今から荷物を取りに行く。僕が戻るまで、部屋に鍵をかけて、誰も入れないで」


 一息に言うと、オリビアはすぐさま覚醒して、小さく頷いた。事の緊急性を理解してくれているようだ。


「気をつけて」


 部屋を出て、鍵がかかる音を確認して、僕は走りだした。

 オリビアの部屋から僕の部屋まで、歩いて五分。走れば二分といったところか。なるべく部隊員に怪しまれないように、混乱に乗じて廊下を走る。マーシャがなにを仕掛けたのかわからないけれど、基地は混乱の極みだった。どこを見ても隊員たちが走り回っている。その表情は一様に焦りに染まっていた。


 一つ目の角を曲がる。

 誰も僕に注意を払わなかった。誰もが部隊長ただ一人を探し求めていた。なにが起きているのかは掴めないままだったけれど、僕にとっては好都合だ。下手に目につかぬよう、衝突にだけ気を払う。


 二つ目の角を曲がる。

 なにが起きているのか、少し考えてみる。マーシャは僕らの居場所を奪うと言っていた。僕らの居場所はここ、PMMだ。この部隊があるおかげで、僕らはここにいられる。それを奪うということは、僕らがここにいられない理由を作り出すということ。つまり、部隊の解体か、除隊させられかねない罪を僕にかぶせること。そして、圧力をかけてオリビアを差し出すように要求すること。走り回る隊員の様子から、二つ目はなさそうだ。誰も僕を捕らえようとしない。最悪なのは三つ目だ。全員が敵に回る。誰も味方がいない。だが、オリビアの私室を誰も訪ねてこなかったことから、可能性としては低そうだ。となると、原因は一つ目か。いったいどんな手を使ったのかまではわからないけれど、可能性は高そうだ。


 三つ目の角を曲がる。

 部屋はすぐだ。鍵を取り出して、解錠する。やっぱり誰も僕に注意を払わない。自室へはすんなり戻ることができた。そうして、僕はすぐさま準備にとりかかった。とはいえ、持ち出すものは多くない。部屋に保管してある銃器と、ここ数カ月の給与をまとめて手近な鞄に放り込む。他の装備は武器庫に置いてあるし、必要以上の現金は口座の中だ。武器庫は諦めたほうがよさそうだけど、現金はなるべく早く引き出したほうがいいだろう。止められてしまったら、手も足も出ない。


「どこに行くつもり」


 突然背後から声がした。鞄にしまったばかりの銃を構えながら振り返る。

 入り口を背に立った、テメルがいた。すっと伸びた右腕には銃が握られている。銃口はぴったりと僕の額を捉えていた。三メートル前後。いくら射程の短いハンドガンとはいえ、扱い慣れた人間が外す距離じゃない。


「ここを出る」

「それは見ればわかるわ。こんなときに、なにをするつもりなの」


 銃口はぶれない。


「なにが起こってるのかは知らない。でも、きっとマーシャが絡んでる。もうここにはいられない」

 銃口を向け合ったままテメルと対峙するのは、とてつもなく心臓に悪かった。テメルの技量の高さは訓練で嫌というほど思い知らされている。テメルを組み伏せることができたのは、あの最初の一回だけだ。かれこれ一年近く共に鍛錬を続けてきたが、一向に追いつける気配はない。そんな相手に、まっすぐ銃口を向けられている。

「どういうこと」


 テメルの顔に戸惑いの色が浮かぶ。因果関係がわからないのだろう。確かに昨日に今日の出来事で、マーシャとのやり取りを僕は誰にも相談していない。これを知っているのはオリビアただ一人だ。


「昨日、マーシャから通信が入った。要求はオリビアの身柄の提供。応じなければ、僕とオリビアの居場所を潰すって」


 端的に事実だけを述べる。


「そういうこと……」


 テメルは呟いて、銃口を下げた。安堵して、僕も銃を下ろす。少なくとも、指先ひとつで死ぬ危機は脱したわけだ。すると、そこで新しい懸念が湧き上がってきた。

 僕はオリビアを自室に置いてきたままだ。鍵をかけるように伝えてあるとはいえ、マーシャの目的がオリビアだともし隊に伝わってしまう可能性を考えると、悠長にしている時間はない。問題は、テメルをどうやり過ごすか……。


「それで、どうするつもり」


 テメルの問いに、僕は今は答えないことにした。


「テメルは僕らをどうしたい」


 だから、代わりに訊いた。テメルが僕らを見逃してくれるのか、それとも僕らを捕え、マーシャに差し出すのか。その答え次第では、実力行使に踏み切るしかなくなるかもしれない。だから、少しでも優位に立てるように引き金に指をかけたまま身構える。

 しかし、テメルはあっさりと答えた。


「どうもしないわ」


 あまりにあっさりとした答えにどう受け取るべきか思案していると、テメルが続けた。


「ノアが厄介事に巻き込まれたのはわかった。でも、その内容まではわからない。だから、今の時点ではどうにもしようがないわ」


 言って、銃を腰のホルスターにしまった。


 その言葉を受けて、僕は思考を巡らせた。テメルを信じて打ち明けるメリットとデメリットを考える。ライアンならどんな選択をするかを思い出す。トレバーならどうやって情報を精査したかを想像する。テメルは僕らを村から助け出してくれた。入隊を推してくれたから、僕らはここにいられる。だから、テメルには恩がある。それは紛れもない事実だ。けれど、テメルは隊の存続と僕の事情と、どちらを酌んでくれるだろう。短いけれど、訓練を共にしたテメルの考え方は、ある程度は理解しているつもりだ。だからこそ、出会って一年そこらの僕らの事情と、部隊というテメルの居場所を天秤にかけて、僕らに与してくれる可能性は低そうに思える。様々な事情を持った裏切りを一切許容しないほど頭が硬いわけではないが、テメルは義理堅く、情に厚い。部隊の存続に向けて動く可能性も十分にあった。だから、迷う。どちらにすべきか……。


「……テメル、ついてきて」


 僕は腹を決めた。もしテメルが部隊についても、力づくで逃げ出す。いくら実力差があるとはいえ、一対一だ。粘れば勝機がないわけではない。それよりも、テメルが僕らについてくれる可能性に賭けたい。テメルがいてくれれば、単純に戦力になるからだ。僕ひとりですべてをやり切るより、テメルがいてくれたほうが達成できる確率も上がるだろう。だから、僕はテメルにすべてを打ち明けることを決めた。テメルなら、オリビアも抵抗はないだろう。


「うん」


 ひとまず、テメルは頷いてくれた。僕は荷物を詰めた鞄を肩にかけて、自室をあとにした。

 相変わらず、ライアンには敵わないなと思った。ライアンなら、きっと僕なんかよりもっと早く、決断を下せるだろう。そして、そのときにはもう、テメルを仲間にする算段をつけているはずだ。それに引き換え、僕はいつまでも迷ってばかり。迷って迷って、手探りで進むことしかできない。僕はいつになったらライアンに追いつけるのだろう。

 そんなことを考えながら、僕はテメルを伴ってオリビアの部屋へ向かった。

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