第8話

「貴重なサンプルをどうもありがとう」


 ヒエロは僕らを迎え入れると開口一番にそう言った。ほとんど自室と化している応接室で、楽しそうに指をくねらせている。

 僕らは今日、ヒエロに呼び出されて病院に来ていた。要件はふたつ。オリビアについてわかったこと、そして先日逮捕したFWFの指揮官についてだ。任務から帰ると、指揮官は病院へ移送する手配が済んでいた。つまり、逮捕と同時に留置所ではなく病院へ搬送されたことになる。

 理由はナノマシンだった。以前逮捕したMSCの幹部らから採取されたナノマシン。体外に摘出することで自己分解により死滅してしまったが、ある程度の解析は済んでいた。少なくとも、別のナノマシンと照合できるレベルまで。


「結果が出たわ。いろいろペチャクチャわめいていたから、鬱陶しかったけど」

「どうだった」


 テメルが急かす。


「同じね。ぴたりと一致したわ」

「つまり」


 ヒエロがうなづく。


「えぇ、どこかで繋がっているのでしょうね。それがどこなのか、まったくわからないけれど」


 そう言って、ヒエロは研究データが印刷された書類の束を手渡した。受け取ってパラパラとめくってみるものの、なにが書いてあるのかさっぱり理解できない。


「それは今こっちで調べているわ。なにかわかればいいけど、今のところ手がかりなしね」

「そう……。じゃあ次にオリビアのことだけれど、彼女からも面白いことがわかったわ」


 僕は書類から顔をあげた。


「アポトーシス、って知ってるかしら」

「細胞にあらかじめ組み込まれた、自死の仕組みだっけ」


「ええ、その通りよ。ある目的に特化した体細胞は一定回数の分裂を繰り返すとそれ以上は分裂することができず、体細胞を自滅させる。分裂を正常に行うためにはテロメアというDANの末端にある構造が必要なの。それは分裂を経るたびに短くなっていく。そして分裂できない長さになったとき、体細胞は分裂を止め、死へと向かうわ。体細胞はそうして分裂を繰り返していく。これが代謝よ。そして、体細胞の中には幹細胞と呼ばれる細胞がある。これは分化と複製の能力を持った細胞のことよ。分化はある目的に特化した体細胞を作り出す能力。複製は文字通り、自らとまったく同じコピーを作り出す能力。分裂ではなく、複製。だから、テロメアの長さは変わらない。それはテロメラーゼという酵素が活性化しているからなの。これはテロメアの伸長を司る酵素よ。これがあるから、幹細胞は複製を繰り返すことができる。反対に、幹細胞から分化した体細胞にはテロメラーゼが活性化していない。だからアポトーシスが起こり、代謝が起こる。人体は、というより生物はそのバランスで構成されている。でも、オリビアはそうじゃなかった」


「どういうこと」

「オリビアの体細胞のすべてに、テロメラーゼが発現していた。だから、彼女の細胞は無限に分裂と複製を繰り返すことができる。言ってみれば、細胞レベルでの不老不死、みたいなものね」


「でもそれじゃあ、細胞が増え続けることになるんじゃないの」

「それがそうでもないの。彼女の細胞の分裂速度は一般的な人と比べて極端に遅いのよ。彼女の体では成長と修復に必要な数の分裂しか起こらない。だから、細胞が増え続けることはない」

「それじゃあ……」


「えぇ、彼女が老いることはないわ。ついでに、今ではほとんど分裂していない。つまり、これ以上成長することもない」


 聞いて、テメルが腕を組む。


「オリビアが特別なのはわかったけど、組織はなんのために彼女を閉じ込めていたの」


 ヒエロは肩をすくめた。


「さぁ。再生医療にはまたとない逸材ではあるけど、それならもっと情報が公開されていてもいいはず……。それに、学会も放っておかないでしょうね。そういう情報が一切ないということは……。相当後ろ暗いなにか、ってことになるわね」


「ナノマシンとの関連は」

「なさそうね。奴らから検出されたナノマシンの構成要素のうち、いくらかは有機物で構成されていたけれど、どれもオリビアの細胞とは一致しなかった」

「そう……」


 言って、テメルは背もたれに体を預けた。その顔は少し疲れているように見える。

 手がかりはまるでなし。唯一手がかりと言ってもよさそうな情報は、PMCの幹部から検出されたナノマシンが一致したということだけ。それもなんらかの繋がりがある、という程度の推測でしかない。情報がちっとも足りていなかった。


「今わかることはこれくらいね。と言っても、これ以上調べてなにかがわかるってわけでもないわ。残念だけど」

「わかった、ありがとう。オリビアは連れて帰るわ」

「えぇ、そうしてあげて」


 そうして、オリビアを連れて基地へ帰ってきた。その表情は少しだけすっきりとしているように見えた。

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