第16話

 いつの間にか、崖に到達していた。斥候に追いつき、木の影に伏せる。午後七時十分。ほぼ予定通りの行軍だった。時間にしてたったの三十分。体力はまだ余裕がある。


 辺りはすっかり暗くなっていた。今日は月も出ていない。光源も少なく、おかげで監視の目はかなり誤魔化せそうだ。暗色の野戦服に身を包んだ僕らをそう簡単には見つけられないだろう。そういうわけで、斥候が周囲を警戒しつつ、僕らは順にふたりずつラペリングで崖を下っていく。僕は二組目に降下した。下る最中、ライアンもやっていたことを思い出した。あのときは降り方までは教えてもらえなかった。登るだけで精一杯だったからだ。今なら教えてもらえるだろうか。


 降下してすぐ、手近な茂みに潜伏した。そこは建物の裏手で、人気はないものの物音を立てればすぐに見つかってしまうような場所だった。伏せながら、後続を待つ。とはいえ、そこは訓練を積んだ兵士たち。あっという間に八人すべてが降下を終えた。もちろん、ロープも回収する。ここからは物音ひとつ立てないよう、慎重に進む必要がある。


 真っ先に降り立った隊員がハンドシグナルで進行を指示する。それを見てテメルが僕の肩を叩く。僕はそれに頷いて、腰を低くしながら移動を開始した。ここで警備班とは別れる。彼らは周囲を警戒しつつ、退路を確保することが役目だ。


 ブリーフィングルームで見たとおり、この辺りは中東と聞いてイメージするような乾燥地帯ではなく、水と緑にあふれている。建物は第二次世界大戦後に建てられた金持ちの別荘をMSCが買い取ったものらしい。一般住宅だった名残でセキュリティ面では弱いものの、僻地に建てられている分、秘匿性は保てるのだろう。そのせいか、裏手の警備は薄かった。たまに巡回の兵がひとりだけ歩いてくる。それをやり過ごしてしまえば、ほぼ無人だった。


 建物の裏には裏口があった。巡回兵がいないうちに、ピッキングで鍵を開けて僕ら突入班は内部に侵入する。建物内部は中東風の作りになっていた。金持ちの別荘なだけあって、柱や天井の装飾は見事だった。隊の先頭を行っていた兵士が、ハンドシグナルで散開を指示する。そこからはテメルとふたりだ。 


 僕らは周囲を警戒しながら、慎重に歩みを進めていく。幸いにも、建物の中に警備の人員は多く配置されていないようだ。そもそも外部からの侵入がなければいいわけだから、周辺の守りを固めるほうがいいのは確かだ。そうはいっても、ゼロではない以上、警戒しないわけにはいかない。足音を立てないように、絨毯の上をそっと歩く。標的は決まっているものの、彼らがどの部屋にいるかまでは特定されていない。だから、僕らは監視の目をかいくぐりながら虱潰しに捜索していく必要がある。僕らが担当する探索領域は二階の南側だ。まずは階段を探さなければならない。


 建物を奥へ奥へと進んでいく。廊下には絵画や壺など、多くの美術品が飾られていた。元の持ち主の趣味か、業績が好調なMSCの余裕か。どちらにせよ、僕にはわからないけれど。


 扉を抜けて、中央ホールのような場所に出た。おそらく正面玄関を入ったところだろう。そこには歩哨がひとりだけいた。P90を携えて、正面玄関の奥で警戒にあたっている。非常に面倒なことに、それは僕らの進路でもあった。二階への階段はホール右手にあるのだ。だから、僕らは物陰に伏せながら、歩哨の彼を無力化することに決めた。とはいえ、住居の中だ。音を立てるわけにはいかない。だから、テメルは慎重に歩哨の背後へと回る。僕は万が一に備えて、MK17で狙いを定めておく。


 接触はものの数秒で終わった。背後から忍び寄ったテメルが腕を歩哨の首に絡ませ、絞め落とした。的確に頸動脈を締め、意識を絶ったのだ。きっと歩哨はなにがなんだかわからなかっただろう。念のため彼の手足を縛りつけ、無人の部屋に転がしておいた。見つかるまでの時間稼ぎにはなるだろう。僕らはそうして邪魔な兵士を排除しつつ、屋敷を進んでいった。


 二階はほぼ無人だった。歩哨は一階ホールの彼しか見ていない。やっぱり内部の警備は手薄としか言いようがなかった。企業の代表が来るのに、ここまで手薄でいいのだろうか。僕らが侵入する分には危険が少なくていいのだけれど。


 ひとつひとつの扉を開けながら、奥へと進んでいく。着々と首謀者へ近づいている実感がわいてきた。冷静にならなければならない。そうわかっていても、腹の底に重たいなにかが沈殿していくのがわかる。それは少しずつ降り積もりながら、爆発するときを待っているように感じた。


 そうしてついに、標的は目の前に現れた。

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