第9話

 夢を見ていた。目覚めは最悪の気分だった。


 どうして。


 なんで。


 そんな言葉が、脳内をぐるぐると巡る。


 枕元には、あの夜に訪ねてきた少女がいた。

 窓の外は暗かった。夜だ。雲ひとつない夜空に月がぽっかりと浮かんでいる。窓を背に立っている少女の表情はよく見えなかった。


「どうして君なんだよ」


 唇が震えた。どうして、どうしてどうして。呪詛のように繰り返す。


「どうして君なんだ」


 クロエは死ななくてよかった。殺されなきゃいけない理由なんて、なにひとつなかった。

 僕らはたくさんの汚い仕事をこなしてきた。中には、人を殺す仕事もあった。誰かが大切にしているものを奪うこともあった。だから、僕らが恨まれていたのだとしても納得できる。僕らは、きっと天国へはいけない。それだけのことをしてきた。


 だけど、クロエは違う。


 僕を、僕らを支えてくれていただけだった。ただそれだけだった。だから、クロエが殺されなければならない理由なんて、どこにもないんだ。


「なんでだよ」


 心はズタズタだった。もう誰もいない。その現実に押しつぶされそうだった。

 ライアンと一緒に壁を登ることもできない。

 トレバーのくだらない機会談義を聞くこともできない。

 クロエの温かい笑い声を聞くことも、掌の体温を感じることも、もう二度とできない。


 それが痛くて、痛くて、苦しかった。


「……どうして助けたの」


 そのとき、どこかでなにかがひび割れる音が聞こえた気がした。


 どうして。どうしてだって。クロエが死んで、君が生き残ったのに。どうしてだって。

 頭がくらくらした。目の前が真っ赤に染まっていく。

 クロエが死んだのに。クロエが死んだのに。クロエが死んだのに。クロエがクロエがクロエがクロエが。どうして助けたの。どうして。喉が、肺が、焼けるように痛い。心臓が圧迫される。ざぁざぁと血液の流れる音が聞こえた。


「おま……ぇ……が……」


 張り裂けそうだった。もう、限界だった。


 布団をはねのけて、少女に跳びかかった。力任せに押し倒して、首に肘を押し付ける。はずみで点滴台が倒れて、夜の病棟に響き渡った。


「ふ、ざけるなっ……お前がっ……お前のっ……」


 うまく言葉にできなかった。ただただ、目の前の少女が憎かった。


「このっ……」


 拳を振り上げた。殴りつけてやろうと思った。澄ました顔をして、クロエの代わりに生き残ったのに助けたことを責めて。僕からクロエを奪った元凶を。


風が吹いた。カーテンが揺れて、月明かりが僕らを照らした。


「やめなさいっ」


 叫び声が聞こえて、僕は何人かの大人たちに羽交い絞めにされ、押し倒された。


「はなっ……せっ……」


 体中に力を込めて抵抗を試みる。けれど、完全に伏された状態で、三人の男たちに全力でのしかかられてしまっては、振りほどくこともできない。


「彼女を病室へ、こっちには鎮静剤をっ」

「離せぇっ……」


 少女が看護師に助け起こされ、連れていかれてしまう。だめだ、だめだだめだ。僕はまだ――。


 腕にちくりと痛みを感じて、強烈な眠気が襲ってきた。瞼が重い。体から力が抜けていく。言うことを、聞かない。まだ、まだなのに……。


「ちく、しょぅ……」


 最後にゴンという鈍い音を聞いて、鼻を突き抜ける鋭い痛みを感じながら、僕の意識は暗転した。

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