第6話

 ひどい雨が降っていた。

 それは突然訪れた。なんの前触れもなく。なんの予兆もなく。なんの前兆もなく。幸福の名を持つ災厄の種を連れて。


「匿ってくれ」


 一目見たときに厄介ごとの臭いがした。戸口に立っていた男の身なりはそれなりだし、この辺りで見かけるような垢と泥に汚れた衣類を着用しているわけでもない。ただ雨に打たれて濡れ鼠になっているだけだ。それでも、その鬼気迫る表情からは嫌な予感しか感じることはできなかった。


「とりあえず入れ」


 ライアンはその客人を招き入れた。今思えば、止めるべきだったのかもしれないけれど、そのときも僕は成り行きを眺めているだけだった。なぜって、僕らのリーダーはライアンで、ライアンが決めたことはいつだって正しかったからだ。

 いつ命を失うかもわからない紛争というただ中に置かれた僕らにとって、その正しさはすべてだった。


「助かる」


 男は一人の少女を伴っていた。見たところ、僕らと同世代だ。僕らの住まうこの石造りのぼろ家には最低限の明かりしかない。蝋燭なんて上等なものはないから、油に浸した紐に火を灯す。その微かな炎の揺らぎに照らされる横顔はどこか神秘的に見えた。


「どうぞ」


 客人を招き入れると同時に台所へ引っ込んでいたクロエが、カップに注いだ暖かい飲み物と体を拭うための布を差し出した。少女の肩には厚手の毛布をかけてやる。


「ありがとう」


 男はカップに口をつけると、深く息をついた。


「なにがあった」


 一息ついたところで、ライアンが問いかける。


「事情は話せない。だが、一晩でいい。ここで匿ってくれ」


 しかし、男の答えは芳しくなかった。それを聞いたライアンは顔をしかめた。


「俺たちの家は避難所じゃない。勝手に居座られても困る」

「報酬は払う。なんでも屋なんだろう」


 ピリッと緊張が走った。


「どうしてそれを知っている」

「調べさせてもらった。評判はいいそうだな」

「おかげさまでな」


 ライアンは吐き捨てるように言った。


「いいんじゃないかな。一晩くらいなら」


 部屋の片隅で推移を見守っていたトレバーが言う。その目は手元のノートパソコンに注がれている。


「周りに怪しい影はないよ。誰かに追われていたみたいだけど、一晩くらいなら襲ってくる心配もないんじゃないかな」


 それを聞いたライアンはさらに顔をしかめる。そうしてしばらく逡巡したのち。


「クロエ、寝床は用意できるか」

「大丈夫だよ。二人分なら、すぐに」

「すまないが、頼む」

「うん」


 クロエは寝室へ消えていく。


「一晩だけだ。翌朝には出ていってもらう」

「恩にきる」


 男は頭を下げた。



「まずいことになったみたい」


 二人の客人を招き入れて数時間後。トレバーが呟いた。


「聞こえたか」


 隣で寝ていたライアンが言う。


「うん。結構いるね」


 暗闇で誰かが動き回っている。ガスが噴射するようなくぐもった音も聞こえた。

 僕は傍に立てかけていたAKを手に取って、ストラップをかける。


「くそっ。やっぱり追い出すんだった」


 隣でライアンが悪態を吐く。

 明かりがなく、雨も降っていて視界はほとんど効かない。間の悪いことに今日は新月だ。月明かりも期待できそうになかった。


「明かりはつけるな。トレバー、クロエを起こしてくれ。ノア、客を頼む」

「了解」

「わかった」


 ライアンの指示を受けて、行動を開始した。そろそろと部屋を出て、廊下を進む。いくら暗闇とはいえ、住み慣れた我が家だ。見えなくても進める。途中、窓から外を眺めてみた。真っ暗でなにも見えない。けれど、そこには誰かがいた。こそこそと動き回りながら、なにかを探し回っている。

 広くない家だ。客人の寝ている部屋へはすぐにたどり着いた。そっと扉を押し開けて、中へ入る。まだAKの引き金に指はかけない。

 寝ている二人の枕元へ歩み寄って、男の口を塞いだ。


「っ……」


 男はすぐに目を覚ました。その目が見開かれる。


「静かに」


 それだけ言うと、男はうなづいた。状況は飲み込んでくれたみたいだ。そっと手を離す。


「誰か来たみたいだ。彼女を起こして」


 男は声を出さずにうなづくと、少女の肩を叩いた。

 僕はライアンと合流するために扉から外を伺う。大丈夫。まだ侵入されていない。

 十中八九、狙いはこの二人だろう。こんな貧困のスラム街に強奪するだけの金品なんてないし、売れるようなものはなにもない。あるとすれば人だけれど、それはあまり考えたくはない。


「いく――」


 背後にいる二人に声をかけようとして、それは途切れた。

 圧倒的な、暴力的なまでの光量が視界を焼き尽くし、炸裂音が鼓膜を破壊した。次いで背中に衝撃を受ける。どうにかAKを構えようとストックに手を添えたが、銃の横っ腹を殴られて放り出してしまった。引き金にかけていた指に鈍い衝撃が走る。それから顎に重たい衝撃を受けて、肩を床に打ち付けた。脳が揺れて、吐き気がした。

 一瞬の出来事だった。

 なにが起きたのかもわからないまま、床に這いつくばっていた。幸い、それ以上痛めつけられることはなかった。やがて徐々に視力と聴力が回復してきた頃ーまだ頭は揺れているー、僕を覗き込んでいる顔に気がついた。


「安心して。私たちは君たちを助けに来た」


 なにを言っているのか聞き取れなかった。暗視ゴーグルとマスクに覆われていて、口の動きも表情も読み取れない。

 でも、僕はそれ以上持たなかった。視界が暗く染まり、夜の闇と同化する。僕は意識を失った。

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