第5話
目を覚ますと、隣にクロエがいた。
「また、夢を見たの」
言いながら、額の汗を拭ってくれる。
「うん」
僕は体を起こした。少しだけ吐き気がした。そろそろ寒くなり始める秋口なのに、背中にじっとりと汗をかいていた。シャツが張り付いて気持ちが悪い。
「今、何時」
窓の外へ目を向けると、未だ闇に包まれていた。
「二時くらいかな。ノアがうなされてるのが聞こえて」
「そっか」
クロエからタオルを受け取って、首筋を拭う。まだ、僕に絡みついていた気持ちの悪い感触が残っている。
あれは僕がまだここに逃げてくる前、農園で家畜以下の労働力としてこき使われていた頃の夢だ。僕は運良くそこから逃げ出すことができた。でも、他の仲間たちは誰もついてこられなかった。そのあと、彼らがどうなったのか僕は知らない。もしかしたら、他の機会にうまく逃げられたかもしれない。でも、もしかしたら、見せしめに殺されてしまったかもしれない。奴隷は貴重な労働力だから。そうは言っても、その命の値段はとてつもなく安い。そして、代わりがいくらでもある。いなくなっても、また買えばいい。それが僕がいた農園の主の考え方だった。
逃げ出した僕はクロエの両親に拾われてここにきた。ずいぶん前に紛争に巻き込まれて亡くなってしまったけれど、今でも感謝している。僕にこうして住むところを与え、家族を与えてくれた。初めは馴染めなかった。けれど、今そばにいてくれるように、クロエが献身的に僕に接してくれた。
視界になにかが覆いかぶさって、温かい感触が僕を包んだ。甘い匂いがする。後頭部を優しく撫でられて、抱きしめられているのだと気がついた。
「大丈夫だよ、ノア」
クロエが耳元で囁く。
「誰もノアをひとりぼっちにしないから」
「うん」
息を吸うとクロエの匂いがした。それはとても甘くて、少しだけ甘酸っぱい。ささくれだっていた心の表面が、すっと凪いでいくのを感じる。
しばらくされるがままにしていた。暖かくて心地いい。
「落ち着いた」
クロエが体を離して、僕の顔を覗き込む。それに僕は頷きを返す。
クロエはいつだってこうして僕を安心させてくれた。僕がここにいられるきっかけを与えてくれたのはクロエの両親だけれど、僕がここに居続けられるのはクロエがいてくれるからだった。僕がここに連れてこられた頃のことはあまり覚えていない。けれど、傍らにいつも温もりがあったことは覚えている。それは僕を温めようとするような過剰な熱さではなくて、逆に擦り寄らないと冷えてしまうような冷たさでもなかった。ただそばにいて心地がいい温度。それがだんだんと僕のこわばりを解いていってくれたように思う。
「大丈夫、ありがとう」
クロエの手を握る。クロエは優しく握り返してくれた。
「よかった。寝られる」
「うん、大丈夫」
頷くと、クロエは微笑んだ。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
小さく手を振って、クロエは部屋を出て行った。
それからは嫌な夢を見ることもなく、温かい気持ちの中でぐっすりと眠ることができた。
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