第4話
見覚えのある農園にいた。周りでは僕と同じ様な背丈の少年や少女、つまりは子供たちが僕と同じ様な作業をしていた。摘む。摘む。摘む。ひたすらに摘み取る。ただただ刈り取る。名前も知らない背の低い木になった、よくわからない小さな果実を無心に摘んでいく。名無しの木は見渡す限りに広がっていた。反面、子供たちは両手の指で余るくらいの人数しかいない。僕らは朝から晩までただ果実を摘み続ける。それでも、到底終わりは見えない。
『いずれ終わる』
隣の少年が言った。彼の名前はわからない。でも、去年もここにいたと言っていたから、みんなからはリーダーのように扱われていた。だから、もしかしたら、その言葉も彼なりの励ましなのかもしれない。僕らに向けてなのか、自身に向けてなのかは、わからないけれど。
しばらくそんな日々が続いた。同じ顔ぶれ。同じ作業。同じ食事。同じ衣服。同じ寝床。僕らの飼い主は、僕らを平等に扱った。僕らを等しく飼い、年齢も性別も体格も腕力も差別せず、僕らに平等に仕事を与えた。賢さや愚かさ、能力、主義や思想に流されることなく、飼い主は常に平等だった。そこは誰も差別されることのない、平等な世界だった。
ところがある夜、その均衡が崩れ落ちた。
リーダーが死んだ。理由はわからない。飼い主に呼ばれて、しばらくして寝床に戻って、横になって、それから薄いペーストみたいな食事の時間になっても、彼は目を開けなかった。
僕らは平等だった。誰一人差別されてなどいなかった。等しく扱われていた。でも、リーダーだけが死んだ。僕らは平等なんかじゃなかった。
そして、僕らは走り出した。寝床を飛び出して、農園を駆け抜ける。そこには高揚感があった。解放感があった。僕は解き放たれる。平等ではなかった。等しくなどなかった。だから、僕は選ぶことができる。
後方から飼い主の怒声と、飼い犬の鳴き声が聞こえてきた。それでも、僕の高揚感が萎えることはなかった。きっと追い付けない。絶対に捕まらない。そんな根拠のない自信が僕を後押しした。
ただひたすらに走る。足を振り上げ、地を蹴る。日中は名無しの実を摘んだ、明かりのない農園をひた走る。
そうして、ついに農園の果てにたどり着いた。ここが、僕の世界の境界だ。僕はこの柵の外を、まだ知らない。気づけばここにいて、指先ほどの小さな果実を摘んでいた。でも、今日、この夜、僕は選べることを知った。だから、僕は外の世界へ行くことができる。
躊躇いはなかった。僕は選んでいたから。後方からの声はどんどん近付いてくる。躊躇う猶予もなかった。
背丈の倍はありそうな柵に手をかけて、がしゃんがしゃんと派手な音を立てながら、柵をよじ登る。頂上には有刺鉄線が張られていて、乗り越えようと掴んだ手を、掛けた足を容赦なく貫いた。それでも僕は躊躇わなかった。きっと手足はずたずただったと思う。でも、柵を越えて向こう側へ降り立ったとき、僕が感じたのは痛みではなかった。腹の底から湧き上がる衝動に従って、叫び出しそうになった。自由になれると思った。この先に自由があると、そう確信していた。そして、振り返った。
そこには誰もいなかった。
一緒に走っていると思っていた子供たちが消えてしまった。そこには今しがた越えたばかりの柵と、その向こうに広がる平等の世界しかない。気づけば、飼い主と飼い犬の怒声も聞こえない。一瞬にして、僕は世界と取り残された。
みんなどこへ行ったのだろう。これから一緒に自由になるのに。これから外の世界へ旅立つのに。この柵を越えれば、これからがあるのに。
くしゃっと、地につもった枯れ葉を踏む音が聞こえた。誰かがいる。僕は反射的に音のしたほうへ顔を向けた。
『ひどい奴だな、お前は』
そこには、死んだはずのリーダーがいた。
『置いていくのか、俺を』
柵を両手で掴んで、僕を眺めている。その目には怒りも嘲りも浮かんでいない。無、だった。
『置いていくのか、俺たちを』
なおも言葉は続く。それを止めようとした。違うと言おうとした。でも、声が出ない。空気は喉を通るのに、それが声に、音にならないまま消えていく。
『自由なんてないぞ』
『お前は縛られたままだ』
『この農園に』
『平等の飼い主に』
『俺たちに』
『お前自身に』
続けざまに言葉が投げられる。それらは僕を容赦なく殴りつけた。心に噛みついて、端から削り取っていく。意識の深いところへ、心の柔らかいところへ、ずきずきと痛みを届ける。
思わず目を閉じた。なにも見たくない。なにも見えない。暗闇だけが僕を支配する。
『逃げられないぞ』
でも、耳を塞ぐことはできなかった。そこに手をやっても、声は、音はどうしても鼓膜へ届く。届いてしまえば、それは脳へと到達し、僕に言葉を理解させる。理解してしまう。それを締め出すことはどうしてもできない。やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。頭を振って、耳を塞いで、なにも考えないことに意識を集中する。
不意に僕の腕になにかが絡みつくのを感じた。それは妙に暖かくて、それなのに芯に冷たさを感じる、奇妙な感触だった。不快感が募る。反射的に腕を引いても、それは外れてはくれなかった。もがけばもがくほど、深く絡みついてくる。しなやかにうねり、腕を締め付けてくる。僕はどんどんそれに取り付かれていった。肩に、胴に、首に巻きついてくる。体を振って、どうにか拘束を逃れようと試みる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。離して。放して。それはついに膝を捕らえた。堪えきれず、僕は目を開けた。
目の前に僕がいた。
『逃げられないよ』
虚ろな目をして、僕が僕に語りかける。その目はなにも見ていない。ただ目を開いているだけだ。どこにも向けられていない。
『どこにも行けない』
やめろ。
『居場所なんてない』
やめろ。
『逃げ場なんてない』
やめろ。
『自由なんてないよ』
やめろ。
『なにも選べないよ』
やめろ。
『僕にはなにもないんだもの』
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