第12話 暴力

 今更の話ではあるが、子供にとって時間はゆったりと過ぎて行く。俺はそれを体感していた。同じ時間を生きているはずなのに、大人と子供とでは、時間に対する感覚が違う。同じ空間同じ時間であっても、有意に受け取る情報量が段違いなのである。大人は、慣れで情報を制限し、意識してか取捨選択している。子供は、情報すべてを取り込むが、その都度情報処理をしている。情報処理をする時間を体感時間と考えれば、子供は大人より時間が長く感じるということになるのだろう。

 庄司と出会ってその翌日から、俺と熊澤君、庄司はよく話すようになっていた。いや、お互いに名前呼びすることになって、グループを作ったとクラスメートからはみなされるようになったはずだ。それは、アンバランスなグループに見えただろう。活発なものは活発なもの同士、物静かなものは同じ傾向の生徒と、成績が良いものはやはり成績が良いものと、成績が悪い生徒は同じ傾向の生徒と固まる傾向になるから、外見が粗野で勉強ができそうには見えない庄司は、体育の時だけヒーローになる小沢や安藤、喧嘩っ早い若生や原などとグループを作るものだと目されていたはずだ。それが、成績は良いが一人でいることが多い俺や、熊澤君という、庄司とはどう見ても合わない組み合わせに見えるグループが突然できたのだ。変に思うのは当然だろう。

 それはそれとして、慌てたのは田中達だろう。実のところ、田中達三人は喧嘩が強いわけではない。喧嘩が強いと目される若生や原に何かとすり寄っている傾向はみられるが、実のところ弱いものより強いだけの単に粋がっているガキである。子どもは、お互いの力関係は敏感である。お互いの腕っぷしを本能で嗅ぎ取り序列をつける。見た感じ自分たちより遙かに序列が上の転校生が、問題もしていなかった自分が虐めていた弱いグループに入ったのである。俺や熊沢君に手を出せばどうなるかは火を見るより明らかだ。教室内の勢力図が書き換えられたのである。だが、それはクラスの中だけの話だ。ほかのクラスや上級生を含めての学校というコミュニティでは、どうかわからない。

 庄司のことを「勉強ができそうもない」などと言ったが見かけだけでなく、本当にできなかった。算数などやっと九九を卒業したというレベルだ。で、俺に頭を下げてきたのだ。勉強を教えてくれというわけだ。どうしてかというと、熊澤君いや、名前呼びしなきゃいけないから、慎一か、あるいは、「シン」でいいだろう。庄司は安司だから「ヤス」、俺は明彦だから「アキ」でいいんじゃないか? 今度二人に話してみようか。まあ、それはともかく、ヤスは久美子さんにぞっこんなのだ。9つも年が離れているとはいっても、惚れた女に格好良いところを見せたい若い雄としては、常にコンプレックスであった成績のことを何とかしたいと考えたらしい。体が他人より大きい分だけませていると言っても良いだろう。それで、クラスでも成績上位の俺に教えを乞うたというわけだ。俺が思うに、小学校に入って以来12回もの引っ越しを経験しているのが問題なんだと思う。特に昨年と今年はもう5回目の引っ越しなんだという。だから、根本的にヤスの頭が悪いわけじゃない、と思いたい。


 場所はシンの家に決まった。10月入ってすぐの日曜日だ。久美子さんはヤスにとっては残念なことに生憎と留守らしい。日曜だというのに大学に出かけているのだそうだ。日本唯一の看護大学に通っていることも知った。

 なのに、当日、待ち合わせの時刻を30分過ぎても、ヤスは現れなかった。

「どうしたんだろう? 約束を破るような奴じゃないのに・・・電話も来ないし・・・」

 シンの言葉に俺はうなずいた。ヤスの家には電話はない。俺の家もそうだ。でもシンの家には電話はある。そこらじゅうにあるタバコ屋の店先には必ず赤電話があるのだから、何かあって電話をかけるのも可能なはずなのだ。

 嫌な予感がした。


 適当なことを言って、熊澤宅を辞すとバスに乗って、ヤスの家に向かった。ヤスの家は、俺が乗り降りする終点の一つ手前のバス停から、真っ直ぐ尾根に向かう途中にある、この辺りでは珍しいメゾネット住宅だという。急ぎ足でそちらに向かおうとした俺は、途中の竹やぶに薄汚い格好の少年が座り込んでいることに気が付いた。

 庄司安司であった。ヤスの服装は泥にまみれ、破かれたノートや教科書の白いページが何枚もそこここに散らばり、鉛筆やら消しゴムやらも水たまりに浸かっている。

 放心したように上を向いていた少年は、俺が呼び掛けると、ピクリと肩を震わせた。

「ヤス・・・」

「アキぃ・・・」

 見ると、ヤスの目は決壊寸前だった。あ、泣くなと思ったとたんに、大声で泣き出した。

「アキ、悔しいよ。俺、悔しいよぉ」

 縋り付いて泣きじゃくる、俺よりはるかに大きな少年に、背中をポンポンと叩いて慰めることしか、俺にはできなかった。

 これ以上ないくらいに困惑して空を見上げると、そこには見事なさば雲が広がっていたのであった。

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