第6話 集団登校
梅雨に入っていた。
小学生はみな、黄色い帽子、黄色い傘で学校へ向かう。個性の埋没だの非難する人はいない。非難しても団体行動の重要さを逆に説教されてしまうだろう。そんな時代なのである。もっとも、黄色の帽子を忘れたり、黒い傘をさしてきて怒られるようなことはない。
雨雲は決して厚すぎることはなく、適度な明るさの中でしとしとと降る雨は、濡らしたものの色を際立たせる。道路標識の赤や青もいつもより綺麗に見えるようだ。団地の階段を降りてすぐの場所に、黄色い一団がたむろっていた。
今日は集団登校の日なので1時間近く早出である。年に何度かある行事の一つだ。団地の子ども会(自治会の中で小学生がいる家庭で作る組織)の分会主催で12、3人ほどの班を作り並んで歩く、黄色い帽子を被り、黄色い傘をさして歩くのだ。防災的な意味合いがあるんだろう。バスが止まっても歩いて学校に行けるように、とか。普段バスで通っているのに、よりによって雨の日に集団登校で、しかも徒歩でなんてとは思うが、文句を言って目立つのも嫌なので、ちゃんと参加する。学校まで普段なら歩いて30分の道のりだ。晴れているなら。まあ雨でも、1時間はかかるまい。当然というか、普段はかぶらない黄色い帽子、黄色い雨傘を今日は持ってきている。
「みかちゃん、ご挨拶は?」
「おはようございます、佐伯さえき美み香かです」
1年生の女の子とその母親から挨拶された。俺が手を繋いで歩く事になった下級生である。淡いピンクのブラウスに臙脂色のスカート。髪は耳の後ろ辺りで二つにまとめたおさげである。もちろん、黄色い帽子着用。持っている傘も黄色で、長靴も黄色でサイドにうさぎのワンポイント。後年のよくあるキャラクターグッズではなく単に耳の長いうさぎの絵。この行事では、5、6年生の上級生は、1、2年生の下級生の手を引いて歩くのだ。小さい子は上級生が守らねばならぬ。正直面倒な話ではある。でも、最低挨拶くらいはできないと。
「あ、おはようございます。十鳥とつとりです」
にっこり笑って、礼儀正しく。
「まあ、しっかりしてるわねえ。今日はよろしくおねがいね」
「はい、こちらこそ」
「みかちゃんも、お兄ちゃんの言うこときくのよ」
「うんっ」
「さ~、並んでぇー」
そうこうするうちに、子ども会の当番の人(誰のお母さんだったか忘れた)の号令で整列する。
というわけで、集団登校が始まった。が、緊張する。先頭は俺と佐伯美香ちゃん、その後ろに、諸橋卓巳もろはしたくみという同じ歳の隣のクラスの5年生が安田浩一やすだこういちという美香ちゃんと同じクラス1年3組の男の子、その後ろに俺と同じ階段で5階に住む同級生の石井靖いしいやすしが大塚幸子おおつかさちこという、2年生の女の子と、その後ろはこれまた5年生で1組の山本実やまもとみのると2年生の本田真希子ほんだまきこ、さらには3年生の諸橋泰史もろはしたいじと4年生の柳井俊治やないとしはる、総勢12人である。6年生はなぜかおらず、しかも女の子が少ない。さらにさらに、少し間を空けて、下級生の親が4、5人何やらぺちゃくちゃ話しながらついて来ている。親御さんに監視されてますよ。どうすんべ?
まあ、取り敢えず、小さい子の足に合わせて歩きましょうか。右手に小さな手を握って、左手で傘さして、おいっちに。あ、そこは水溜りだから、こっちに寄ってね。くぃ、くぃと引っ張ると、水溜りを避けて歩けるように端に寄るのを合わせてくれる。水溜りが過ぎるとまた元のコースへ。次の水溜りは逆に避けようね。ちょいと押してやって進路変更。で、元のコースに戻ると。
暫く歩くうちかなり大きい水溜りがあった。避けて通るのは、無理そう。でも、うさぎさんの長靴はあんまり汚したくないんだよね。どうしようか、じゃ、ピョンね。ピョンと跳んでみよう。俺は跳ばなくても大丈夫だな。美香ちゃんが跳んだ瞬間、つないだ左手を大きく引っ張り上げる。フワッときて、着地。俺の方は大股でひょい、とはいかなかったけど、うさちゃんは無事だったね。
あ~あ、俺のほうが水溜りに入っちゃった。少しだけどね。美香ちゃんはセーフ。
美香ちゃんは、俺を見上げて笑ってる。傘を少し傾けて、俺を見上げている。お気に召しましたか、お姫様? そりゃあもお、ニッコニコだ。
バシャバシャと音が聞こえる。後ろ? ああ~、わざと水溜りに入る奴があるかよ。おお~い、いい加減にしろよ~。先を急ごう。
「十鳥とつとりくん、あ、康二こーじくんは?」
「弟はね熱出して、今日は休み。楽しみにしていたみたいで、来られなくなっててしょげてた。同じ組なんだよね」
「うん。康二君ね~、女の子にモテるんだよ」
「ああ、幼稚園の頃からそうだよ」
「そうなんだ。ふふっ」
昨年、康二が幼稚園時代の運動会で、弟が走った時、敵赤組も味方白組も『こーちゃん、頑張れ!』の大合唱になったエピソードを教えてみた。それを見たのは母親で、教えてくれたのも母親だが。
弟よ、喜べ、風邪が治ったら、人気者確定だ?
坂を登って、下って、時々とりとめのないことを話しながら。ゆっくり歩く。景色は、住宅街から、田園風景の残る農道へ、川沿いの森の対岸の道に、そして、太い幹線道路を渡る横断歩道まで移り変わった。
その間約30分。いや、所要時間は腕時計とか持ってないからわからないけどね。1時間はたってないと思いたいけど。さあ、この信号を渡ってダラダラの坂を降りていって橋を渡れば、そこはもう学校だ。ふと、振り返ると、お母様たちは、小さく手を振っている。軽く一礼すると、笑みが広がる。ここで、親御さんの付き添いは終わりらしい。右手を離して、美香ちゃんを促すと、大きく右手を振った。背伸びしながら手を振っている。あー、傘は振らないようにね。
さ、信号が変わったよ。ここを渡って学校に行こう。
美香ちゃんの背を軽く押すと、左手を伸ばしてきた。その手を握って、信号を渡る。あと100メートルくらいかな。
行ってきまーす。
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