第5話 趣味と想い出

「ここではなんだから、お入りなさい」

 振り返ればそこは通学路である。通る生徒を、後ろを気にしている熊沢君を見て取ったか、服部のおばさんは僕達を中へ招いてくれた。客間に通してくれて、麦茶を出してくれた。座布団がふわふわで心地よい。

「ありがとうございます。改めまして、僕は十鳥とつとり明彦あきひこといいます。こっちが、」

「僕は熊沢慎一です。同級生です」

「とつとり君にくまざわ君ね。今日はどういう御用かしら」

「・・・・」

 俺は、黙ってしまった熊沢君を肘でつついた。熊沢君のつばを飲み込む音が聞こえた気がした。

「ここのカラタチの垣根のことなんですけど・・・」

 熊沢君は話し始めた。それを聞くともなしに考える。なんか、俺、熊沢にすげ、頼られちゃってる?

何か、この震えるような気持ち。感動してるような。そうだ、喜多方時代のよっちゃんに俺が抱いていた思いのような・・・

 やはり、身体にはその時代の記憶があって、一旦人生を終わってから割り込んだ俺よりもはるかに鮮やかな記憶が蘇ることがあるようだ。前の人生でも体験していた、二人分の共通の鮮烈な記憶。

 俺には理想のガキ大将像というものがある。

 横浜に越してくる前にいたのは、福島県の喜多方市であった。人口2万ほどの地方都市であったが、官舎は町中ではなく自然に囲まれた一角にあった。すぐそばに子どもでも飛び越えられるほどの小川があった。喜多方市は会津盆地の西に位置する穀倉地帯であったから水田に水を引く用水路だったかもしれない。夏はその小川にホタルが舞い踊るような、そんな場所だった。当然蚊や蚋の類が多く、就寝時には蚊帳が欠かせなかった。近くの雑木林ではセミが鳴き騒ぎ、カブトムシやクワガタムシはその手の技術があれば山のように採集できた。小じんまりとした古寺の墓地では人魂が出るとまことしやかに囁かれ、子どもたちの恐怖を煽っていた。冬場は身の丈以上に雪が積り、小柄な母は雪かきが過剰な労働のようでよく寝込んでいた。

 親が公務員で転勤族の悲しさ、俺が越してきたのは小学2年生の時であった。友達ができないのではないかという心配は子どもにとっては、背筋が凍るほど恐ろしいものである。その心配を軽々と打ち壊してくれたのが、よっちゃんだった。

 どんなふうに出会ったかは覚えていない。気がついた時にはいっしょに遊んでいた。よっちゃんは、当時小学6年生。官舎のすぐ近くの農家の子だ。坊主頭で身体が大きく、足が早く、木登りが得意。逆上がりも、学校帰り肉屋のコロッケの買い食いも、カブトムシやクワガタムシの幼虫の育て方も、楽しいこと、悪いこと(大人にとって)はみんなよっちゃんが教えてくれたように思う。近所の小学生5人ほどのグループのリーダーだった。暇な時はどんなイタズラをしてやろうかと企んでいるようなそんな子どもだった。幼少の頃からインドア派で外で遊ぶより本を読むのが好きな子どもだった俺は、よっちゃんに引っ張りまわされて否応なしに真っ黒に日焼けしたいたずら小僧になっていた。足は一番遅く常に足手まといにはなっていたが、仲間はずれにはされなかった。幼少期の2回分の夏休み、俺の原体験というものがあるとすればあの時がそうだった。

 思い出すのは、『ハチの巣爆破事件』である。寺の境内のはずれにあった大きな柿の木にできた、直径30センチ程のコガタスズメバチの巣によっちゃんが火のついた爆竹を放り込み、爆破したのである。

 大騒ぎになった。蜂は怒り狂い、俺達は笑いながら逃げた。よっちゃんは木に登って爆竹をハチの巣に投入したはずだが、いつの間にか俺の前を走っていた。逃げる途中で目撃した、寺の本堂の玄関に居合わせた住職の驚愕の表情は更に笑いを誘った。逃げる途中、よっちゃんが、俺がハチに刺される寸前、バドミントンのラケットでハチを殴り飛ばし助けてくれたという大武勇伝があった。ちなみに、そのラケットは俺の家のものだった。「いいものがあるな、それ持ってこいよ」というよっちゃんの命令で持っていったのが功を奏したわけだ。爆発の影響で相当数のハチが麻痺状態だったのだろう、幸い誰も刺されなかったが、親たちにめちゃくちゃ怒られた。よっちゃんは親父さんと住職に十回ずつくらい殴られたらしい。翌日でっかいたんこぶを見せてくれた。みんなでたんこぶを見せ合い、よっちゃんはその大きさでみんなの尊敬を、不動のものにした。俺も他のメンバーも似たようなもので、その場は泣いて謝ったが、大なり小なりのコブはつくった。翌日にはみんなケロッとしていた。どんな大きなコブだろうとも、ハチに刺されるよりはマシだったには違いない。そして、騒動の最後は翌朝の我が母親の悲鳴である。バドミントンのラケットの網の目にハチの頭が残っていたためである。

 件のハチの巣は3日後には元通り修復されていた。自然のちから恐るべしである。その1週間後には駆除されてしまったらしく、特徴的な縞模様のボール型の蜂の巣はどこにもなくなっていたのだが。


 はっと気が付くと、熊沢君の説明は佳境に入っていた。過去に思いが飛んでいたのは5分もなかったようだ。熊沢君は話すことは話したらしく、一旦を俺をチラ見する。頷いて、居住まいを正す。

「よろしくお願いします」

「お願いします」

熊沢君が頭を下げるのに合わせて、俺も頭を下げる。

「分かりました。今年は、生け垣の刈り込みは秋にします。枝葉を採るのは、手でむしり取るのじゃなくて、花ばさみを使っていただきたいの。そして、幼虫はできるだけ採ってくださいね。そうそ、あと一つお願いがあるの」

「はい、何でしょうか」

「その、アゲハチョウかしら。生まれるところの写真を一枚でいいから、おばさんにいただける?」

「はい、必ず!」

 熊沢君の声が興奮して高くなっている。よかったなあ、俺もうれしいよ。

「ありがとうございましたっ」

 その日、俺と熊沢君の初めてのミッションが成功裏に終了した。

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