第4話 趣味と鍛錬

 翌朝は6時に起きた。

 付近をジョギングするためである。ジョギングという言葉はまだ無いんだった。くたびれている半ズボンにTシャツ(Tシャツという言葉も一般的ではなかったかな)、適当な靴下、青いビニール靴。出かけようとした所で母親が起きてきた。

「どうしたの? どこに行くの?」

「ちょっと走ってくる」

 俺には確信があった。物心ついて以来ずっと運動音痴だったが、大学を卒業する頃までには普通になっていた。走ることについては、正しいフォームで走れば速くなる。

 階段を降りて軽く体操をする。なんかいい天気だ。俺の未来を象徴しているようだ。独り言を言って照れる。まだなんにも始まってもいない。

 さて、今日のコースは10棟から12棟住宅の周り、おおよそ250mを2周である。軽く足踏みし、走り始める。足をただ前後に動かすだけではない。円を描くような、自転車をこぐようなフォーム。うん、足裏に当たる地面が軽い。いける。俺は走りはじめた。


 全然ダメだ。甘く見てた。これほど筋金入りの運動音痴だったとは。自分ながら情けない。

 俺は、30分後、玄関で大の字にひっくり返っていた。呼吸と心臓が治まってきた所で、母親が出してくれた水を飲み、濡れタオルで汗を拭い、体を拭いた。

 何をやるにしても、もう少し体力がついてからだ。先は長そうだ。

 これから、学校に行かねばならない。ように、朝食を済ませ、バスで学校へ向かう。体力がついたら歩いて学校へ行くのもいいかもしれない。


 教室に入ると、熊沢君が話しかけてきた。早く来て俺に話しかけるタイミングを計っていたらしい。

 放課後一緒に行って欲しい所があるという。具体的な話を聞こうとしたが、言葉を濁すばかりである。まあいいやと、一応OKしておく。本当、ありがとうと大げさな熊沢くんに、じゃあと軽く手を上げて自分の席へ着く。田中たちは遅刻の常習なので、まだ来ていない。


 結局、田中は来なかった。風邪をひいたとかいう話である。鈴木と佐藤は来ていたが、落ち着かない様子である。俺と目を合わせないようにしていた。

 今日は、掃除当番だった。班員6人で、机を一旦後ろに寄せて箒がけする。自在箒は小学生が使うには少々大きすぎる。文句を言っても誰も聞いてくれるでなし、淡々と掃除を進める。机を戻し、ゴミを捨てて終わり。運よくじゃんけんに勝って、ゴミ捨ては女子2人に押し付けた。

十鳥とつとりくん」

 下駄箱で上履きを脱いだ所で熊沢くんが現れた。

「あ、なんだ、待ってたんだ?」

「うん、お願いしたし・・・」

「で、何処に行くんだ?」

「バス停までの道の途中の家」

 へえ。何をしようというのだろう、このお子様は。

 靴を履き替えた俺と熊沢くんは並んで歩き出した。

 熊沢くんは、昆虫採集や観察が好きなこと。その目的の家の生垣がカラタチで、アゲハの幼虫がかなり生息していること。幼虫を捕まえて蝶になる様を観察したいこと。カラタチが自分の家にはないので、時々カラタチの葉を貰いたいので、そのお願いに挨拶したいけど、一人では不安がるので、一緒に行って欲しいのだと、つっかえながら説明してくれた。

「いいよ。どの家?」

「えーっと・・・」

「?」

 熊沢くんは立ち止まった。

「この家だけど・・・」

 話しながら歩いていたので、目的の家まで着いてしまっていたようだ。

「表札、読めないんだ」

 恥ずかしそうに言う。

「ああ、服部はっとりさんな。たしかに、教えてもらわなきゃ、としか読めないよな」

 服部さん宅は、カラタチの生垣に囲まれてはいるが、玄関にはコンクリートの門柱があり、胸ほどの高さの鉄格子の門扉があった。門扉はいま開いている。一歩、二歩と二人で入り石段を上がって、呼び鈴ブザーのボタンを押した。

 待つほどなく、木の格子に磨りガラスの引き戸を開けて現れたのは、背の高い上品そうな婦人だった。割烹着を着ている。

 一瞬いぶかしそうに、しかし子どもと知れたからかすぐ笑顔になった。

「どちら様、何の用かしら」

「あ、僕、そこの日下くさか小学校の5年生で十鳥とつとり明彦あきひこっていいます」

 俺は、話し始めた。あれ、俺テンパッてる? 知らない大人に話すなんてもしかして初めてか?

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