第3話 不安
周囲の音がやけに大きく聞こえる。
それは、今この店内で静まり返っているのが自分たちだけだからだろう。
続く沈黙。それを最初に破ったのは唯子だった。
「結、婚……? それ、本当なの?」
「……本当だよ」
「相手は誰なの?」
そう訊いたのは美菜。
結婚の話なんて何も聞いてなかった二人はここにいる誰よりも驚いていた。
「……その、職場の人。去年から付き合ってて、先月プロポーズされたの」
「……そう、だったんだ。コトちゃん、おめでとう」
「ありがとう、唯子」
「おめでと。でもそれなら早く言いなさいよ」
「ゴメンゴメン、色々忙しかったんだもん」
相手の人はどんな人なのか、プロポーズの言葉は何だったのか。友人らに問い詰められる琴音。
その様子を諒人は黙って見ていた。
そして、何も言ってくれない諒人に琴音は不安を抱えていた。
■ □ ■
「そろそろ解散にしようか」
日を跨ぎ、そろそろ終電の時間が近付いてきた頃。美菜がテーブルの上のグラスを片しながら言った。
昔と違って、今はもうみんな社会人。明日も普通に仕事が入っている。
またね、と各々別れの言葉を交わして帰路に着く。
実家に戻る琴音と、その近所に住んでる諒人。二人は肩を並べて進む。
道中、二人に会話はない。ただただ無言で歩いていくだけ。
別れる前は毎日のように一緒に歩いていた道。
あの頃は、諒人と別れるなんて思いもしなかった。
まさかこんなことになるなんて。お互いが納得して別れようと決めたはずなのに、今になって気持ちが揺れてしまうなんて。
琴音は諒人に気付かれないように溜め息を吐いた。
「……なぁ、琴音」
「え、なに?」
不意に掠れた声で呼ばれ、少しドキッとしながら反応する。
街灯が少なくて顔がよく見えない。
琴音は動揺が声に出ないように気を付けて話す。
「結婚、するんだってな」
「……うん」
「良かったな」
「……そう、かな」
「安心した」
「え?」
「お前、俺のせいで結婚って言葉を聞くのも嫌がってたじゃん」
淡々と話す諒人。
確かに当時はそうだった。顔を合わせる度にお互いの家族等に言われ続けて、それが嫌になって別れてしまったくらいだ。
でも、別れたのはそれだけじゃない。
お互い、結婚しようと言う意識にならなかった。
好きだったけど、それで終わってしまった。
ただただ、子供だった。
でも、今は。
大人になって、改めて彼に会って。
何も思わないなんて、ない。
「……諒人、は」
「うん?」
「私が結婚するって聞いて、何とも思わないの?」
「……」
「……ゴメン、勝手なこと言った」
琴音は足を止めた。
少し歩いたところで諒人も足を止め、振り返る。
僅かな月明かりだけが二人を照らす。薄暗く、車も通らない静かな道。諒人は一歩、琴音に近付いた。
「……私、まだ返事してないの」
「え?」
「彼に、結婚しようって言われたけど返事はしてないの」
「……」
「本当に、結婚していいのか……分からないんだもん」
ボロボロと、琴音の目から涙が零れ落ちる。
諒人と別れ、地元を離れて上京して。
そこで知り合った、年上の男性。職場の上司。色々と支えられ、プライベートでも仲良くするようになって、付き合うようになった。
本当に、好きだと思った。愛してると、愛されてると思った。
諒人と付き合ったときとは違う。結婚を意識するようにもなった。
だけど、ふとしたときに思うことがある。
諒人は。諒人だったら。
長い。長い付き合いで、彼の行動や仕草が頭の中に残っている。
だから何気ない会話や彼の行動に、諒人と重ねてしまうことがある。
8年も家族のように付き合ってきたのだから仕方ないのかもしれない。だけど、そう思うたびに彼へ罪悪感が生まれてくる。
そんな気持ちを抱えたまま結婚なんてできない。
「……琴音」
「どうしたらいい? 私、このまま結婚していいの? もうわかんないよ……」
琴音は両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いた。
諒人と再会して、結婚するんだとみんなに報告して、何か気持ちが変わると思った。
それと同時に、諒人も同じように悩んでいるんじゃないかと、そうであったらいいのにと思ってしまった。
当時のことを思い出に、過去に出来ない出来ない自分。
だけど諒人は平然としてて、結婚の話をしたときもいつも通りだった。
諒人の中ではもう、自分のことは過去なんだ。そう思うと悲しくて、好きだった気持ちなんてもう僅かD目生残ってないんじゃないかって、自分勝手なことを考えてしまう。
「……なぁ、琴音」
「……っ?」
「俺、付き合ってる子いるんだ」
諒人は静かに話し始めた。
その子と同棲をしていて、結婚も考えていること。
そして、琴音と付き合っていたときのこと。
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