LARGE

あきらっち

第1話 僕とラージの出会い

 二XXX年。世の中は変わったようで変わっていない。自動車や船が自由自在に空を飛び交うわけでもない。バスに乗る感覚で、ロケットで宇宙旅行ができるようになったわけでもない。今日も人類は大空に憧れながら、地上に足をつけて生きている。

 それでも百年前とは違うのは、パーソナルアンドロイドが地上で、街中で、海上で、人類と共に暮らしていることだろうか。五十年くらい前までは、アンドロイドたちはスーパーでレジ打ちしたり、介護の補助をしたり、事業向けに利用されていた。しかし今や、家事や子育ての補助のために、一家庭に一台アンドロイドを持つことも珍しくなくなってきた。自家用車を買うかのように、アンドロイドを購入できる時代になったのだ。


 そして今日、僕も念願の『AI操作免許』を取得した。数ヶ月に及ぶ講習と実技の末に、ようやく最終試験に合格して、免許センターで真新しいICカードを受け取った。

 『AI操作免許』というのは、自動車や船舶を運転するのに免許が必要なように、アンドロイドを使用するのにも免許が必要なのだ。少し前に、アンドロイドを悪用した犯罪が頻発したことが社会問題になって、アンドロイドを適切に使える者だけが使用できるように免許制になったという話だ。その頃の出来事は僕が生まれる前のことだから詳しいことは知らないけれど。


 なにはともあれ、ついに僕もずっと夢見ていたアンドロイドを購入できる。免許センターを出ると、陽光が降り注ぐ。もう夏が終わるというのに、熱気をはらんだまばゆい光は、シャツからむき出しになった素肌に照りつける。室内の冷房に慣れていた身体から汗が流れる。僕は額の汗を拭う。その手のひらで日差しをよけながら、空を見上げる。空が黄色い。太陽のあふれんばかりのエネルギーが空をその黄色に染めているようだ。まるで今の僕の気持ちを代弁してくれているかのように……。

 僕はICカードを空にかざす。それは太陽の光を反射して力強く輝く。

 僕はポケットから折り畳まれた紙を取り出す。汗で少しふやけていたから破かないように慎重に広げる。この時代、多種多様のスマートフォンやタブレットPCはあるけれど、紙の利便性も忘れられていない。その紙には『新機種入荷! なめらかな動きと強化された表情機能が、より快適な手話通訳を実現!』と印刷されている。

 自動車にも様々な車種があるように、パーソナルアンドロイドも様々な機種がある。万能な人間がいないように、アンドロイドも万能ではない。自分に必要な補助を、それが得意なアンドロイドを購入するのが常識だ。僕にとって必要なのは『手話通訳』だ。


 僕は耳が聴こえない。口もきけない。手話が会話する唯一の手段だ。


 僕に手話通訳をしてくれるアンドロイドを購入することが、僕の長い間の夢だったんだ。そのために、必死で働いてお金を貯めた。聴こえないがために、免許取得の講習も人一倍苦労した。それでも、僕の夢を叶えるためなら辛くなかった。僕は再び紙に目を落とす。最寄り駅からお店までの地図を頭の中に描く。よし! 買いに行くぞ。僕は思いあまって握り拳を作って、紙を握りつぶしてしまった。でも大丈夫、もう地図は覚えたから。僕は紙をポケットに押し込んで歩きだした。


 地下鉄の改札を抜けて地上に出る。真上にあったはずの太陽は傾き始めていた。太陽にたっぷり熱せられたアスファルトが陽炎を作り出している。うわ、暑そう。僕は少しためらったけれど、揺らめきの中へ足を踏み出す。

 むせ返るような熱をはらんだ空気がまとわりつく。暑い。たまらず、僕は肩に掛けていたリュックサックからミネラルウォーターを取り出してがぶ飲みする。

 街行く群を見ていると、誰が人間で誰がアンドロイドなのかすぐに分かる。人間とアンドロイドは姿形はそっくりで、一目見ただけでは見分けがつかないほどだ。けれど、見分ける方法はいくつかある。その一つが、この熱気の中、汗だらけでぐったりしたような表情をしているのが人間で、汗一つかかず涼しい顔をしているのがアンドロイドだろう。

 高齢の女性がアンドロイドに支えられてゆっくり歩いている。僕も、これからあのように、アンドロイドと二人三脚するんだ。僕はまとわりつく熱気を振り払うように再び歩きだした。


 うっかり道を一つ間違えてしまったけれど、ようやく目的のお店の前に到着した。看板には『聴覚支援AI専門店』とある。ここで間違いない。入り口の前に立つと、自動ドアが開いた。ようやく涼しい風にありついた。

 入り口近くにいた男性と目が合うと、彼は口を動かした。服装からすると、ここの店員さんのようだ。腕章をしていないからきっと人間だろう。僕は、彼が何を言ったのか分からずに首を軽く傾げると、彼は慌てたように、手を動かす。両手の手のひらを上向きにして並べ、右から左へ動かした。

『いらっしゃいませ』

 店員さんは手話を使えるようだ。僕は安心して、右手の人差し指と中指を立て、人差し指側を額にあてる。そして、両手の人差し指を立てて、向かい合わせに折り曲げる。

『こんにちは』

 僕も手話で返した。


『本日のご用件はなんでしょうか?』

 店員さんに訊かれて、僕はポケットから、しわだらけになった紙を取り出した。破かないように、できるだけ丁寧にしわをのばす。

『アンドロイドタイプの補聴器が欲しいんです』

 紙を見せながら店員さんに答える。店員さんは紙を見て軽く頷いた。

『承知しました。こちらのコーナーにございます』

 店内の奥へ案内された。

 そこには、十体以上のアンドロイドが整列していた。間近で見れば見るほど人間にそっくりだよ。皮膚の質感は生身の人間と遜色ないし。今の技術はすごいなあ。商品を観察しているとはいえ、じろじろ見ることに申し訳なく感じてしまう。ついつい、アンドロイドの立場になってしまう。それほどまでに、アンドロイドは僕たち人間にそっくりなんだ。一つだけを除いて。

 アンドロイドたちが並んでいると圧巻だな。そして、色とりどりの髪のアンドロイドたち。同じ色の髪はいない。

 人間とアンドロイドを見分ける方法の一つは髪の色だ。アンドロイドは、生身の人間と同じ髪の色を使ってはいけないことになっている。だから、黒や茶色、白にブロンド、そういう髪色のアンドロイドはいない。ここで並んでいるアンドロイドたちも、緑やオレンジ、ピンクなどのカラフルな髪をしている。

 とはいえ、人間が染髪するのは禁止されていないから、髪の色だけでは判断できないんだけれど。僕は生まれながらに赤茶色の髪をしているせいで『アンドロイドみたいな髪をしているね』って言われたこともあったんだ。僕は人間だからね。

 それにしても、本当にいろいろなアンドロイドがいるなあ。あ、これ、広告と同じアンドロイドだ。……広告を見たときには、いいなと思ったんだけれど、いざ現物を見ると、ちょっと違うというか、なんとなく相性が合わなさそうだなあ。

 首を傾げながら考え込んでいたら、突然肩を叩かれた。びっくりした! いきなり背後から肩を叩かれると驚くよ。

『お客さま、どうかされましたか?』

 振り向くと店員さんが心配そうな顔をしている。

『いえ、何でもないんです。ただ、これだけあると、どれを選んでいいのか分からなくなってしまって……』

 そう。どれがいいのか分からない。どのアンドロイドも、八桁の額の値札がついている。一家に一台が珍しくなくなったとはいえ、とても高価な商品なのだ。だから納得のいくアンドロイドを選ばないといけないんだ。

 それなのに、どのアンドロイドも、どこかしっくりこないんだ。

『そうですね。……。こちらはいかがでしょうか?』

 紹介されたのは、僕と同じくらいの背丈の、女性型のアンドロイド。髪は肩にかかる程度の長さでオレンジ色。

『最近、発売されたものでして。手話の動きが美しいと評判なんですよ。女性らしいチャーミングな表情が、男性ユーザーに人気なんですよ』

 店員さんの手話に力がこもっている。相当オススメなんだろうけれど、僕は女性型よりも男性型がいいなあ……。

 どう断ろうか考えていると、店員さんが僕の顔の前で手を振る。両手を軽く握り拳にして、上下に並べて、胸に当てる。「危ない」という手話だ。そして、手招きをする。

『危ないので、こっちに来てください』

 僕は反射的に店員さんに向かって一歩前に進む。そして振り返ると、一体のアンドロイドが台車で運ばれているところだった。その、アンドロイドの顔を見て、僕の全身に衝撃が走った。

『あ、アレ! あれがいいデス。あれをクダサイ!』

 僕は運ばれていくアンドロイドを指さして、店員さんにあわてて伝える。手話が乱れちゃったけれど、ちゃんと伝わったかなあ? よかった、伝わったみたいだ。店員さんは驚いた表情で答える。

『え…? あちらですか? あちらは旧型の中古の売れ残りで、廃棄処分するものなのですが……』

 え? 廃棄処分って? だめだよ、そんなの。捨てるくらいなら僕がもらうよ!

『いいんです。旧型でも中古でも。僕はあれがいいんです』

 僕はこれでもかと言うくらいに、手に力を込めた。

『……。そうですか。承知しました』

 店員さんは、台車を運んでいる人に向かって、口を開いた。なんて言っているのかは分からないけれど、呼び止めてくれているようだ。そして、台車が方向転換して僕の隣に止まった。

 そのときに気づいたけれど、台車を動かしていたのはアンドロイドだった。帽子から覗く髪の色と腕章で分かった。アンドロイドがアンドロイドを廃棄処分する。そう思うと、ちょっと切なくなってしまった。

 運ばれてきたアンドロイドを間近で見る。

 紫色の短髪。あご髭、髭を生やしたアンドロイドは珍しいな。がっしりとした肩。中古品だからか、皮膚はわずかにくすんでいたけれど、まだまだきれいだ。むしろこのくすみが無骨さを醸し出していてかっこいい。青いワイシャツと黒いネクタイが似合う。まさに僕の好みの男性像だ。

 僕はそっと彼の頬に触れる。冷たくて固い感触。けれど、不思議と温かさと柔らかさが、指先から心に伝わった気がした。間違いない。これが僕の相棒だ。

『お客さま? いかがでしょうか?』

 店員さんの手話が視界に入って、僕は我に返った。


『はい。これがいいです』

 僕は手をゆっくり大きく動かした。

 店員さんは少し考えた表情をしたあとに、右手の手のひらで胸のあたりを軽く二回叩いた。

『承知しました』

 どうやら、売ってもらえるようだ。ほっぺたが熱くなってきた。その場で飛び跳ねたい気持ちを必死で押さえつけた。

『ただいま準備しますので、少しお待ちください』

 店員さんは、アンドロイドを立ち上がらせて台車から降ろした。

 台車を押していたアンドロイドは来た道を戻っていった。なんとなくだけど、わだかまりがとけて解放されたような表情を浮かべたように見えた。僕の気のせいかもしれないけれど。

 姿勢良く立ち上がったアンドロイドは背が高かった。僕は百六十五センチくらいだけど、おそらく僕よりは二十センチは高いだろう。

 最近のアンドロイドは、技術の進歩で小型化しているから、成人の平均身長くらいの大きさが主流になっている。旧型のアンドロイドは図体が大きいものが多く、今となっては「ウドの大木AI」と揶揄されているらしい。使われていない旧型AIは、次々に処分されているという噂だ。

 店員さんは、アンドロイドの首筋のカバーを開いて、ケーブルをタブレットPCにつないでいる。まるで点滴されているようで痛々しかった。早く設定が終わらないかな。

『AI操作免許をお持ちでしょうか?』

 店員さんが訊いてくる。僕は頷いて、今日交付されたばかりの真新しいICカードを手渡した。店員さんは受け取ると、カードの顔写真と僕の顔を交互に見比べた。

『はい。それではこちらのカードを挿入しますね』

 アンドロイドの首筋にあるカード挿入口にAI操作免許を差し込んだ。

 ゆっくりとアンドロイドの腕が動いた。

『タダイマ、マスター情報を読み込んでイマス……』

 ぎこちない動きだ。けれど、どこか懐かしくて愛しい手話だ。

 アンドロイドの目が開いた。二、三度まばたきする。

『お客さま。アンドロイドの顔をしっかり見つめてください』

 店員さんの指示通りに、アンドロイドの正面に立って、彼の顔を極力まばたきしないように、まっすぐに見つめた。彼の瞳に僕の顔が映る。吸い込まれそうなほどに無垢な瞳だった。僕は何度も目を逸らしそうになるのを必死で耐えて、彼の瞳に目を注いだ。冷房が利いている店内なのに額から熱い汗が流れていくのを感じる。

『マスターの姿を認識シテイマス……』

 彼は表情をいっさい変えず、冷然にぎこちなく手を動かす。僕一人が舞い上がっているようで、急に恥ずかしくなってしまった。

『マスター情報をインプットシマシタ』

 彼はそう告げると、再び二、三度まばたきする。

『マスター情報を復唱シマス。誤りが無イカ確認お願いシマス』

 彼は僕の個人情報を読み上げていく。

 氏名、梶田渉(かじたわたる)。年齢、二十六歳。血液型、B型。住所など……。

 どの項目も間違っていない。僕は彼に向かってOKサインを作る。またもや、二、三度まばたきした。

 そして。

『マスター情報の登録が完了シマシタ』

 彼は僕に向かって、一歩踏み出した。そしてゆっくり手を動かす。

 胸のあたりで、左手の甲に右手の手のひらを重ねて、右手の人差し指を伸ばしたまま、残りの四指を閉じながら上げる。次に、両手の人差し指を立てて、左右から寄せる。

『初めマシテ』

 顔も手話も無表情だけれど、胸に柔らかく入り込んでくるあいさつだった。僕も彼に答えた。

『初めまして』

 

『私の名前はラージです』

 彼、ラージは名乗った。ラージか……。彼らしい名前だ。僕は指先だけを動かして、彼の名前を復唱した。

『これからヨロシクお願いシマス。マスター』

 決して流暢とはいえない手話で話しかけてくる。旧型が敬遠されているのも、この手話のぎこちなさだろう。サンプルで見た、新型アンドロイドの手話の滑らかさと比べると、見劣りしてしまうのは確かだ。

 けれど彼の無骨さと、ぎこちない手話が妙にマッチしていた。これがラージの手話なんだ。ラージの指先に柔らかいそよ風が吹き抜けていくのが見えた気がした。

『こちらこそよろしくね。ラージ』

 僕ははっきりとラージの名前を呼んだ。

『でも、マスターは止めてくれるかな? 僕の名前は渉だから、そう呼んでくれると嬉しいよ』

 マスターだなんて、気恥ずかしいし、よそよそしいよ。

 ラージは一瞬動きが止まった。

『……データを更新シマシタ。ヨロシクお願いシマス。ワタルさん』

 呼び捨てでも良かったんだけど、なんとなくこっちのほうがしっくりきて、僕は大きく頷いた。

 横で見ていた店員さんが、僕の正面に回り込んできた。

『動作に問題ないようですし、AIとの会話にも問題ありませんね』

 店員さんは、ラージからケーブルを抜いて、首のカバーを閉じた。ようやく治療が終わったみたいでホッとした。

『それではお会計に入りますね』

 ラージのベルトループにつけられていた値札を外した。そういえば、一目惚れもいいところで、全然値段を確認してなかったよ。予算オーバーしていたらどうしよう。今になって、冷たい汗が背筋に流れていった。

 恐る恐る値札を見たら、かろうじて七桁の金額が書いてあった。新型よりは安くて胸をなで下ろした。それでも、二十年ほどはローンを組まないといけないけれど。


 カウンターで申込書を書いたり、ローンの手続きをしたりしながら、冗談のつもりで店員さんに言ってみた。

『処分するものだったのに、タダにはならないんですね?』

 返ってきた答えは、売れ残ったAIは製造工場に買い取ってもらうそうだ。そして、分解されて、また新しいAIを造るための材料になる。だから、処分品とはいえ、タダで販売するわけにはいかないと。

 その話を聞きながら、全身から血の気が引いていくのを感じていた。冷房の利いた店内が、南極のようにも思えた。全身が凍りついていく。

 もしも。もしも、タイミングがわずかにずれて、ラージとすれ違いになっていたら、ラージとは永遠に出会えなかった。

 製造工場で分解されていくラージ。身体は粉々になって、生首だけが残される。光を失った瞳にはもうなにも映し出さない……。そんなラージの最期を想像したら、申込書を書く手が小刻みに震えて止まらなくなってしまった。

『梶田さま? 大丈夫でしょうか?』

 店員さんが心配そうに僕の顔を覗き込む。僕は我に返った。

『いえ、何でもないです。大丈夫です』

 僕は無理に微笑んで、震える線で申込書を埋めていく。横を見るとラージがまっすぐに立っていた。ラージと目が合うと、ラージの手が動いた。

『ワタルさん。何かお困りデショウカ?』

 ラージは僕の横にいてくれた。それだけで、目の奥が痛いような熱いようなものがこみ上げてきた。

 僕はやっとの思いで書類を全て書き上げた。

 ローン完済のために、二十年がむしゃらに頑張らないとな。そう思ったら、こみ上げてきた何かが引っ込んでしまった。


 店員さんが、全ての書類を確認すると、頷いた。

『こちらで問題ありません。お買い上げありがとうございました』

 店員さんの手が動いて、僕は大きくゆっくり息を吐き出した。そして、僕も手を動かす。

『こちらこそありがとうございます』

 僕はカウンターから立ち上がる。横でずっと立っていたラージにも『待っていてくれてありがとう』と伝えた。

 ラージは機械なんだから、なんとも思っていないはずなのに、生身の人間にそっくりだからか、何となく気を遣ってしまう。それはまだ僕が免許を取り立てだからだろうか。

 でも、免許センターの講習では『AIに対する思いやりは忘れないようにしましょう』とも教えられたんだ。

 街を歩いていると、たまにAIを蹴飛ばしている人を見かけたりして、そのたびに心が締めつけられてもいた。僕はラージには絶対にそんなことしない。

 僕はそんな思いを込めて、ラージに伝えた。

『それじゃ、帰ろう』

 ラージは頷く。そして、両手の人差し指を伸ばして、左右から人差し指同士をくっつけて、前に出した。

『ハイ。どこデモお供シマス』


 僕らが帰ろうとすると、店員さんから腕章を手渡された。

 黄色の下地に、黒色の文字で「AI」と書かれている。

『ご存じだと思いますが、アンドロイドを連れて外出されるときは、こちらの腕章をアンドロイドの腕につけるのを忘れないで下さいね』

 これが人間とアンドロイドを見分ける方法の一つ。アンドロイドは腕章をつけている。

 家の中とかでは外してもよいけれど、公共の場にアンドロイドを連れ出すときには、必ず腕章をつけることが義務づけられている。アンドロイドに腕章をつけないのは、ノーヘルメットでバイクを運転するようなものだと、教習所で教わった。

 警察が街中をパトロールするときに、アンドロイドが腕章をつけているかもセンサーでチェックしているんだそうだ。アンドロイドが腕章をつけていなかったら、罰則もある。悪質な場合には、免許剥奪されることもあるというから、気をつけないと。

 すでにラージの腕には腕章がついていたけれど、練習のために、一度ラージの腕から腕章を外した。そして再びラージに腕章をつけた。腕章を軽く引っ張るけれど、しっかり固定されている。

『これで大丈夫でしょうか?』

 店員さんに訊いてみた。店員さんも腕章を軽く引っ張る。

『はい。これで大丈夫です』

 店員さんがOKサインを出してくれた。よかった。


 店員さんがお店の入り口まで見送ってくれて、僕はラージと一緒にお店を出た。

 太陽は傾き始めているけれど、粘つくような熱を含んだ風に僕は顔をしかめる。店内の冷房に慣れていたから、なおさらだ。でもラージは表情を変えない。

『ワタルさん。ドウかされましタカ?』

『暑いなと思って。ラージは平気なの?』

『ハイ。私は機械デスカラ』

 真面目に答えるラージがなんだかおかしい。ようやく、念願のアンドロイドがいる生活が叶ったんだとしみじみ感じながら、僕らは駅に向かった。


 ラージと一緒に改札のゲートをくぐる。昔は紙の切符を通したり、ICカードをどこかにタッチさせていた時代だったらしいけれど、今は手ぶらでゲートをくぐるだけでいいんだ。センサーが人間かアンドロイドかを識別して、アンドロイドは人間の半額の運賃で乗れる。アンドロイドの運賃はマスターの電子マネーから差し引かれる。AI操作免許を挿入していないアンドロイドは、妨害電波により動きを止められて電車に乗れないんだそうだ。

 もちろん僕らは何も問題なくゲートを通れた。

 今でこそ、僕ら人間とアンドロイドが共存していくルールができてきたんだけど、昔はルールを作っていくのが大変だっただろうなと思う。


 プラットホームの電光掲示板の時刻表では、もう電車がくるはずなのに、時間が過ぎても電車が来る様子がない。

『電車、来ないなぁ……』

 僕は指先を小さく動かした。タブレットで運行状況を調べてもなにも更新されていない。こういうところは昔から変わっていないと言われているけれど。このまま待てばいいのか、他の電車に乗ればいいのか分からないよ。

 少し身を乗り出して線路の向こうに目を凝らしていると、肩に手を置かれた。びっくりした! だから背後からいきなり呼ばれたら驚くんだってば。僕は振り向いた。ラージだった。

『放送デス。車両点検のタメ、十分ホド遅れマス』

 そうなんだ。よかった。じゃあ、少し待っていよう。

 さっそくラージが活躍してくれた。助かったよ。

『ラージ。ありがとう!』

『お礼は不要デス。私はワタルさんの補聴器ですカラ』

 やっぱりラージはかっこいいなあ。アンドロイドだと分かっていても惚れ惚れするよ。


 ラージが通訳してくれた通りに、十分遅れて電車が到着した。電車が遅れたせいもあってか、車内は混雑していた。早く帰りたかったし、この電車に乗ることにしよう。

 僕は電車が嫌いだ。周りにはたくさん人がいるのに、何も音が聞こえない。周りの楽しそうな会話を見るたびに、ずっと孤独な思いを抱えていた。電車の狭い空間の中で、僕は嫌というほどに孤独感を突き付けられていたから。

 これが僕の世界なんだと自分に言い聞かせていたけれど、本当はずっと寂しかった。けれど、これからはラージがいるんだ。ラージとならきっと電車に乗るのが楽しくなりそう。そんな予感がした。

 電車に乗るや否や、前後左右から押されて、ラージから離れてしまいそうだった。そのとき、手を強く握られた。押されているせいで、ラージがやりづらそうに片手で手話で伝える。

『ハグレタラ、コマリマス』

 そうか、そうだよね。僕もラージを壊さないように、そっと握り返した。

 ラージの手は固かった。けれどなんだか温かい。このままずっと手をつないでいたくなってしまった。ほんのちょっとだけ周りの目が気になるけれど、介助中なんだから、恥ずかしがるほうがおかしいよね。

『次は○○駅デス』

 ラージが片手で社内放送を通訳してくれているけれど、僕はラージと手をつないで舞い上がっていたせいで、ほとんどラージの通訳が頭に入っていなかった。

『次は終点デス』

 ようやく僕は夢から覚めたような気がした。首をあちこちに動かす。電車の窓の外には見たことがない風景。乗り過ごしもいいところじゃないか! ラージに通訳してもらった意味がないじゃないか!

『ワタルさん。なにかお困りデスカ?』

 ラージは無表情で訊いてくる。

 しょっぱなから、こんなマスターでごめんね。ラージ。


 ラージにとっては受難になりそうな、僕らの生活はこれから始まるんだ。

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LARGE あきらっち @akiratchi

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