第7話


 大学の寮に入寮する為に、純二兄が家を出ていく3日程前、僕は純二兄の部屋で、一本のビデオテープを見せられた。あの時、僕はいくつだっただろうか。小学校にはまだ行っていなかったと思う。

 手ぶれの酷いホームビデオに映っていたのは、熱海へと家族旅行に出かけた時の思い出の映像だった。純二兄と、三葉姉と、写真でしか知らなかった母さんと、その母さんの腕の中に、小さな赤ん坊が映っている。

 きっと、僕だ。

 カメラを回しているのは父さんだろう。旅先だと言うのに、子供に強く注意をしている声が入る。ふらふらするな、しゃんとしろと、神経質な声が響き、それを庇う母さんの姿が映し出される。

「母さん、すげぇ優しいんだよ」

 僕の頭に手を乗せ、純二兄はそう呟いた。

「伸五、お前、この旅行の事覚えてるか?」

 僕は首を横に振る。

「そうだよな、しょうがねぇよな」

 純二兄は、ビデオをデッキから抜き取って、僕に手渡した。

「これはお前が持ってろ。母さんが映ってるビデオ、もうこれしか無いんだ。本当は俺が持ってこうと思ってたんだけど、お前が持ってる方がいいと思う」

 受け取ったビデオを抱きしめた僕は、それをこっそり、自分のおもちゃ箱の奥に隠した。そして時折、誰も居なくなった純二兄の部屋で、何度も何度もビデオを再生した。

 ビデオの中から響く父さんの声は、僕が知っている父さんとは違う人のように聞こえた。姿が映っていないから、本当に別の人が、父さんの代わりに旅行に来ているのかもしれない、なんてふざけた妄想を抱いたりもした。

 そして、母さんは、とても優しそうに見えた。

 どうして僕は、この優しい母さんの事を覚えていないのだろう。

 腕の中で抱かれている僕は、どうしてこの時の事を覚えていないのだろう。

 ビデオを見終わる頃には、気付けばいつも、僕は涙を流していた。

 この時間を共有出来ていないのは、家族の中で僕だけなのだと言う寂しさが、強く胸を締め付けるのだ。

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