20話『古来種の真実』
氷王龍の洞窟。全ての龍の祖先とされる世界に四体しかいない"古来種"の一角、氷王龍ガレスの住処となっている洞窟だ。
洞窟内は複雑な構造をしており広いが出現する魔物は弱く、さらに中で迷っても丸一日歩き続ければいつかは外に出ることが出来る優しい作りとなっている。そのため、新米冒険者達の街であるヴェルダに近いということもあり、冒険者達が戦いの訓練をするのによく利用され、おかげで氷王龍の洞窟に関するクエストも多い。
しかしそれは、最奥部の岩石の入り組んだ通路の先にある通路を抜けると一変する。
快適であった気温は一気に下がり、吐いた息は瞬時に固体へと変わりキラキラと地面へ舞い落ちる。周囲を形成するものは岩石から氷となり、自然発光する氷柱の空間が続く。生物の運動能力は当然低下し、十分な寒さへの対策がされていなければすぐに低体温症に陥ることになるだろう。
その通路は偶然通りかかっても魔法によって封印されているため、新米冒険者などでは通ることは出来ない。例え通ることが出来ても入っていこうとする程の命知らずは存在しない。
なぜならその先は、洞窟の主である世界最強の生物の一体氷王龍ガレスがいるのだから。
「隊列を乱すな。隊の秩序を乱す者はこの場で斬り捨てるぞ」
極寒の通路に響く足音に重ねるように、仲間を脅す言葉が発せられた。
ガレスへと続く通路を歩いているのは十二人の兵士。先程の言葉は隊列の先頭を歩く男のものだ。
男の名はブラヴァ。この隊の指揮を任されている男である。
寒さにより数人ほど足が鈍っているものがいるが、装備から熱を受け取り寒さから逃れているブラヴァの知ったことではない。彼が後ろを歩く者たちの心配をすることなど絶対にないのだ。なぜならブラヴァにとって部下は任務遂行のための踏み台に過ぎず、肝心なことは任務を終わらせることで仲間の安否などではない。
彼、いや彼の隊に所属する全ての者に伝えられた任務は二つある。
一つは、レンブルグの流通の要であるヴェルダに入ってくる全ての鉱石などの装備の素材となるものの買い占め。もう一つは、氷王龍ガレスの討伐である。
任務遂行のために必要な物資は全て与えられている。
そして、彼らの目的の存在が目の前に現れる。
淡い氷の光に照らされ、直径百メートルほどの半円の空間の中央で眠る美しい龍。
ライトブルーの鱗に覆われた空間の三分の一を占める巨体は、頭に首、そして四肢と大きな翼で構成されており、低く聞こえる呼吸音に合わせて上下する。一つ息を吐く度に周囲の温度がガクりと下がり、一つ息を吸う度に下がった温度が元に戻る。空気で呼吸しているのでは無く、冷気で呼吸をしているかのように、その様子は生物というよりもはや概念そのものにすら思える。
氷王龍ガレス。この世の神秘が横たわっていた。
しかし、それを見る兵士たちに感動の色はない。
「始めろ」
ブラヴァの一声で兵士たちは予め聞かされていた作戦に従い、ガレスを囲むように陣取った。
正面、左右、後ろの四方向に三人ずつ。それぞれが所定の位置についたことを確認してから、ガレスの正面に立つブラヴァは右腕を上げた。
それを合図に兵士たちが取り出したのは紫色のガラス玉。両手で抱えるほどの大きさをしたガラス玉は四方向それぞれ一つずつ配置され、溢れ出るほどの黒いオーラを放っている。
「やれっ!」
ブラヴァの声と、ガレスの金の瞳が開かれるのは同時だった。
すぐさま顔を持ち上げたガレスは、自身の右側に向かって絶対零度のブレスを吐き出す。氷の礫も含んだ吹雪よりも激しい一撃は、ガラス玉の力を使おうとした兵士たち三人を巻き込み瞬時に凍死させた。
しかし、続くガレスの攻撃は、周囲を取り囲む黒い結界によって阻まれることとなった。
三ヶ所のガラス玉を起点にガレスを取り囲んだ結界は、その中で兵士たちを睨みつける龍の力を奪い始める。怒れるガレスが暴れ大地を揺るがすほどのブレスを吐き続けるが、全て結界を境に外へ出ることは無かった。だが、衝撃は伝わっているようで、洞窟が今にも崩れそうなほど激しく振動する。
オオオォォォォォォォォォォ!!
美しい叫びが氷の洞窟を叩き、ガレスの怒りを示す。
そして、ガレスが何かを守るように体を丸めた時、天井が砕け散った。
驚きに視線を上に向けるブラヴァ。まさかこんなにも早く洞窟が崩れ始めたのか……!?
そんな思考をかき消すように響いたのは、
「「「うわぁぁぁぁぁぁああああ!!」」」
落ちてきた三つの悲鳴だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
べチャリと生々しい音で着地した三人の中で、真っ先に体を起こしたのはチルだった。
地面が崩れ落ちる直前でフユキの上に飛び乗るようにして結界の中に入ったチルの体重は、落下と同時に綺麗に全てフユキへのダメージへと変わった。
さらに不幸なフユキは、次に体を起こした人物の衝撃も喰らっている。
「し、死んだかと思いました……」
ドクドクと早鐘を打つ心臓を抑えながら立ち上がったリーシャは、すでに服についたホコリを払っているチルに目を向けた。
「そんなこと思ってる内は人間死なないから大丈夫」
「そ、そうでしょうか……」
「そうよ。死ぬ〜って言ってる余裕あるやつほど五、六回蹴っても問題ないくらいピンピンしてるわ」
「な、なるほど……」
「二人とも、その前に僕に何か言うことがあるんじゃないかな……」
ようやくフラフラと立ち上がったフユキの鼻血を拭いながらの言葉に、リーシャは慌てたように、
「ご、ごめんなさい! だ、大丈夫ですか!?」
「さっむ! ここめちゃめちゃ寒いんだけど!」
「リーシャはいいけどチル! 頭の方乗っかといてそれ!?」
謝罪と心配をするリーシャと反対に、反省も心配も欠けらも無いチルにフユキの怒りの声がぶつかる。幸い寒さはフユキの結界である程度遮断されているようで、命の危険がある寒さから冬場に裸で冷水を浴びるくらいの寒さになっている。
そして、チルとフユキの続く言い争いは響いた咆哮によって遮られた。咆哮の主は、ガレス。
黒い結界に囚われ苦しむガレスの声に、三人はハッとして武器を構えた。
「あれが、ガレス……」
「世界最強の"古来種"の一体か……」
「……文献で見たのよりずっと大きいです」
三者三様のガレスへの驚きを言葉にしていると、「あの使えん魔物が……!」と舌打ちしたブラヴァが、
「おい冒険者たち! 余計な真似をすれば死罪だぞ!」
ブラヴァの叫びが三人の耳に届くと同時に、ガレスの苦しげな声がさらに強くなる。
ガレスの声に、チルは苦しみと怒りに含まれるもう一つの感情が感じられた。
「何か守ってる」
「え?」
「もしかして……」
「ちょ、チル!?」
ある考えが過ぎったチルは、フユキの静止に構わず走り出した。ステータスの力を受けたチルの速度は凄まじく、すぐにブラヴァとの距離が詰まる。
しかし――――
何これ! 寒い……!
フユキの結界の外へと出たチルを、猛烈な寒さが襲った。
呼吸一つで肺が凍りかけるほどの寒さ。動きが鈍りながらも迫るチルに、ブラヴァの横に控えていた兵士の一人が、火球を撃ち出した。
火球へ意識を集中することで常人離れした動体視力を手に入れ世界がゆっくりと流れる。
十分避けれる距離、多段跳躍で上に跳べば……
だが、チルの考えに反し体は動かない。寒さのせいで動きの伝達が間に合わないのだ。
「風よ! 『
火球がチルに当たる直前、背後から追いついてきた風の刃が火球を切り裂いた。
「チル! 下がるんだ!」
声に反応して身を投げ出すような急ブレーキの後、後ろに飛んだチルと入れ替わるようにリーシャを連れたフユキがアロンダイトの力を使った神速でチルの前に出た。
続けて迫る火球を結界で防いだフユキは、
「この環境じゃ結界なしで戦闘なんて無茶だ!」
「でも! こいつらにガレスを苦しめるのをやめさせなきゃ!」
焦ったようなチルの声。その声を聞いたブラヴァは、バカバカしいとでも言いたげに鼻で笑った。
「なぜ止める? 今我々がこの結界を解けば、あの龍が暴れこの場にいる全てを殺し尽くすだろう。貴様らは我々に守られているのだ!」
「先に手出したのはどっちよ。あんたたちがガレスを苦しめなきゃ暴れることはなかったんじゃないの!?」
「この龍を殺して誰が悲しむ? "古来種"の一体を倒すことは祝福されることであり、罪などではないのだ!」
「人間の都合を勝手に押し付けてんじゃないわよ! フユキ! あんた環境からの影響キャンセルするスキル持ってたわよね? 今すぐ私にかけて!」
「え、で、でもあれは僕の傍から離れたら二分しか……」
「二分で片付ける!」
チルの鬼気迫る勢いに押され、フユキは戸惑いながらもスキルを発動させた。
「『エレメンタルガード』!!」
スキル発動とともにチル、フユキ、リーシャの三人を虹色のカーテンが包み込む。肌を襲う寒さが消え、暖かな衣を着ているかのように感じられた。
「リーシャ、あなたの腕輪でこの結界が破壊できないかやってみて! 私はあいつらをぶっ飛ばす!」
「は、はい!」
「チル! どうしたのさ! 何をそんなに焦って……」
フユキの疑問の言葉に、チルは真剣な顔で、
「子供よ。たぶんガレスは妊娠してる……」
「どうしてそんなことがわかるの……?」
「自分の体の中心を守るように丸まってるし、叫びに怒りと苦しみ以上に焦りがあるような気がした。それだけよ」
理由にするにはあまりにも曖昧であったが、チルをよく知るフユキがそれを疑うことはなかった。
「わかった。君への攻撃は全部僕が引きつける。だから思いっきり暴れてきていいよ、二分以内でね」
「ありがと。行ってくる!」
短いやり取りの後、チルは潜伏スキルを使って姿を消した。
「すみません、私も今離れま――――」
「いや、このままでいいよ。僕なら、一歩も動かず君たち二人を同時に守れるからね。奥の手使うことにはなるけど」
ニヤリと笑ったフユキはアロンダイトを地面に突き刺すと、ガーラルムを両手で構えて精神を統一する。そして、挑発するような手招きをブラヴァに向けてすると、
「クソガキが……おい! 結界維持を一人で行い他の者は消えた小娘を殺せ! 俺はあの鎧のガキをやる!」
ブラヴァの指示を受けた兵士たちは、無言の頷きの後消えたチルを探そうと周囲に目を走らせる。
「無理だよ。戦い方を覚えたチルに対人戦で勝とうなんて」
フユキの言葉を証明するように、ガレスの後ろで結界を維持する三人の内の一人が吹き飛ばされた。音も無く、気配すら無く、瞬きする間に突然目の前に現れたチルに向けて兵士の一人が魔法の火球を放つ。
しかし、火球は直角に曲がると狙いをフユキに変えて突撃してきた。
邪魔を払うように火球を盾で弾いたフユキの顔は、鎧から生えるようにして現れた白銀の兜によって隠されていた。
「
守りの化身。そうとしか形容出来ない外見に、ブラヴァは一歩後退った。
使用者はこの二種類からどちらか一つを選ぶのだが、今回フユキが選択したのは後者の更なる守りへの進化。
攻撃力の大幅低下を引き換えに、どんな攻撃でも貫けない膨大な防御力を得る。さらに、敵から味方へ行われる全ての攻撃を吸い寄せる力を手にする。
つまり、この状態のフユキがいる限り敵はフユキしか攻撃できず、味方は無傷を約束される。
もちろん
「『タウンティングスタンス』!」
挑発の波動が周囲を揺らし、フユキは自分自身への注目を限界まで引き上げる。しかし、相手は人間。いくら注意を引いても本能で動く魔物と違って理性的に狙いを変えてくる。
だが、他の狙いを見つけることが出来ればの話であり、他の狙いから注意を逸らすだけの意味を持つ行動としては十二分だった。
「なに……どういうことだ……!!」
ブラヴァは目の前のフユキへの驚きから立ち直ってすぐに、今度は自分の置かれている状況に驚くこととなった。
ガレスを包む結界の起点となっている三つのガラス玉の内二つを維持しているはずの二人の兵士が倒れていた。それだけではない、その二人の兵士を守っていた四人の兵士も壁に埋もれて白目を剥いている。さらには重要なガラス玉も粉々に砕けていた。
つまり、結界を維持しているのはブラヴァの近くにあるたった一つだけであり、ブラヴァの部下は残り二人となっているのだ。
「そりゃそうだよ。チルは
笑みと共に放たれた言葉がブラヴァの耳に届いたと同時に、彼の頭に強い衝撃が走った。突然背後に現れたチルから後頭部への膝蹴りをくらったのだ。一瞬意識が飛びかけたブラヴァだったが、体勢を立て直そうと踏ん張る。しかし、次の瞬間胸ぐらを捕まれ地面に叩きつけられた。
鎧を歪ませる程の握力で掴む腕をブラヴァが外そうともがき、それを助けようと二人の兵士が駆け寄るが腕の主が放った回し蹴りで吹き飛ばされ、ブラヴァは孤立することになった。
そして、近くに転がっていたガラス玉をもう片方の手で掴んだチルは、そのまま握力に任せて握り潰し、リーシャを見る。
「リーシャ!」
「はい! 悪しき呪いを打ち砕け!」
リーシャの声に応えて浄化の光を放った解呪の腕輪は、ガレスを取り囲む結界を食いちぎるように壊していく。ガラス玉による力を失った結界はあっさりと破られ、ガレスから苦しみが静かに引く様子が伝わってくる。
「き、貴様ら! 我々はレンブルグ王宮騎士団だぞ! こんなことをしてタダで済むと――――」
「うるさい」
バコッという鈍い音が鳴り、ブラヴァの頭に落とされた拳が彼の意識を刈り取った。
「あっ」
「チル……それじゃあ話聞けないじゃん……」
「い、今さらなんですけど、こんなことしたら後ですごい罪に問われるんじゃ……」
「あはは、まぁ死罪は確定だろうね」
「えぇ!?」
「変な言い方して不安にさせてんじゃないわよ馬鹿。大丈夫よ、それはこいつらが本物の王宮騎士団だったらの話だから」
安心させるように笑ったチルに対し首を捻るリーシャだったが、疑問を発するよりも先に立ち上がったチルが口を開く。
「さ、とりあえずこいつのこと動けなくさせましょ。他の奴らが起きても最悪こいつを人質にすれば済むだろうし」
「考えは物騒ですけどそうですね、任せてください。氷よ、我が剣を氷結の刃とせよ『
拘束の作業をリーシャとフユキに任せたチルは、救い出したこの洞窟の主の方へ歩く。フユキの結界の効果範囲ギリギリで足を止めたチルは、ゆっくりと金の眼を見つめた。
苦しみから開放されたガレスは暴れる様子は無く、チルたちを警戒するように見ているが攻撃しようとはしていない。
「騒がせてごめんなさい、しばらくは静かになったと思う。あなた、身篭ってるんでしょ?」
人間の言語が通じるかわからないが、お互いに相互不干渉という約束をすることが出来る程度には知性があるようだし、チルは落ち着かせるような声音でそう言ってみた。
するとガレスは興味深げにチルを見た後、静かに首を動かした。
返答は首肯。
「チルの予想が当たったみたいだね」
「"古来種"も子を為すんですね。あのままじゃ母子ともに死んでいたんじゃ……」
「たぶん、"古来種"の衰弱期っていうのがこれなのよ。二百年で寿命を迎えて、生まれてきた子が次の"古来種"となって再び君臨するんだと思う」
ブラヴァをリーシャが生み出した氷で拘束した二人がチルに近づくと、ガレスは一定の距離を保つようにして見つめる。
「出産は生物にとって一大事。体が弱ければ死ぬこともある。そのせいで衰弱するならいろいろと辻褄も合うのか……まさかチル、最初っからこのことに気づいてたの?」
「まさか。私もそこまで天才的な深読みはしてなかったわよ。ガレスの叫びから傷つけたくないって焦りが感じられて、もしかしてと思っただけ。救ってよかった。何もしてないのに人間の都合で大切な子供を産めないなんて、そんな理不尽あっていいわけないもの」
そうチルがホッと息を吐いた時、ガレスの透き通る金の瞳が瞼によって隠された。
数瞬後、再び苦しげな声を上げ始めたガレスがのたうち回り、バタバタと暴れる尻尾が地面の氷を砕いた。
コォォォォォォ……
消え入りそうな鳴き声が響き、ライトブルーの体がビクリと跳ねる。
突然のことに三人が驚いていると、ガレスの腹部から小さな尻尾がチロりと光った。
「い、今!?」
「こんなジャストタイミングで出産始まるなんて……!」
「ど、どうしましょう……!」
新たな"古来種"の誕生が始まる瞬間だった。
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