15話『救いの一閃』

「アリシアさん……ですか?」

「イシスって、あのおちゃらけ女神じゃない」

「おちゃらけではありません。ポンコツ女神です」

 

 緊張で引き締まった空気は、アリシアの訂正の言葉によって緩んだものになってしまった。

 主ではあるが、アリシアとしてはイシスは完全にわがままな子供、という認識なのである。

 

「突然の来訪、驚かせてしまい申し訳ありません」

「来訪って、なんかすごい大がかりね……」

 

 時が停止した周囲を見て、チルは驚きと呆れの入れ混じった声で言う。

 

「えぇ、私はこの世界の調節者。主である女神イシスから命じられたこと以外の干渉は、こうして世界を停止せねばならないのです」

「世界の調節者……そんな人がどうしてこんなところに?」

 

 フユキの問いに、アリシアはふっと笑って、

 

「本来こういった干渉は、私は進んで行うことはないのですが……まぁ、忠告といったところでしょうか」

「忠告?」

「えぇ、あなた方がよく知る人物が危険なようでして」

 

 アリシアが指先を宙に向けてくるりと回すと、光の粒がゆっくりとアリシアの頭上に集まり、ぼんやりとした雲を形成する。

 しばらくすると、まるで鏡に映った光景を見ているかのような映像が浮かび上がる。

 そこに映っていたのは、禍々しい形相の大柄な人の形をした化け物。

 こんなの知らない。

 チルの口から出かけた言葉は、化け物の手の中で光るものを見て目を丸くした。

 あれは……あの細剣レイピアは、見たことがある。

 二人が結論を口にするよりも先に、アリシアの鳴らした指の音とともに映像が途切れ、光の霞が霧散していく。

 

「私に許される干渉はここまでです。あとはあなた方にお任せ致します」


 そんな人任せな台詞に苦い顔をするチルに淡く微笑み、何やら考えるフユキに向かって、

 

「氷王龍の洞窟へは、あなた方のステータスでしたら全力疾走で十分もかからないでしょう。考えるよりも先に、動き出すことをおすすめいたします」

 

 その言葉に、二人は言葉を返さなかったけれど、武器を納めることで自身の意思を指し示した。

 そんな二人を見て、アリシアは軽く手を叩いた。

 軽い音を合図に、世界の時が再び歩みを始める。

 

「フユキ、行くわよ」

「うん。アリシアさん、ありがとうございました」

 

 言葉だけを残し、人とは思えぬ速さで走り出した二つの背中を見送りながら、アリシアは無駄のない動きで踵を返した。

 薄暗い裏路地へと隠れるように進み、人気のない場所でイシスのいる神の聖域へと向かおうとした瞬間、背後から歩み寄る気配に振り向いた。

 

「何をやっているのですか?こんなところで」

「あは、バレちゃった?」

 

 アリシアの振り向いた先にいたのは、アリシアであった。

 瓜二つの外見の二人の人物が向かい合うように立つその光景は、誰かに見られれば見た者は自身の頭の調子を疑うほど異様な光景。

 しかし、片方のアリシア――――先程チルとフユキと話していた方――――がくるりと踊るように回ると、艶のある黒髪は滑らかな銀へと変わり、クールな顔立ちは幼さの混じった神聖さを感じさせるほど整った顔立ちへと変わる。

 

「珍しく聖域にいないと思ったら、お散歩ですか?イシス様」

「散歩ってよりかは、遊びかな?」

 

 アリシアに化けていたイシスは上機嫌で、呆れたようなアリシアに返す。

 イシスがチルとフユキを相手に話していた一部始終を見ていたアリシアは、主のふざけた行いに溜め息を一つ。

 

「貴方様から承った仕事以外の際、時間を止めねばならないという規則は初めて聞いたのですが」

「嘘に決まってるじゃなーい。だいたい、この世界の時間を停止させる権限持ってるのなんて、創世神の私だけだし」

「承知しております。それで、なぜあのような干渉を為されたのですか?」

「んふふ〜そのうちわかるわよ。あの子・・・は後々重要な役目を果たしてくれるんだから♪」

 

 いたずらをする子供のような笑顔のイシスに、また馬鹿なことを……と額に手をやるアリシアを無視してパチンと指を鳴らした。

 たったそれだけでこの世界を司る空間である、神の聖域への扉が開かれる。

 

「さ、帰ろー」

 

 まさに遠足帰りな足取りのイシスの後を追って聖域へと帰るアリシアの主への悩みは、まだまだ解決しそうにない。

 

 

 

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 なんで……なんで……

 同じ言葉を心の中で繰り返し、口の中に広がる血の味を噛み締めた。

 全身が軋むように痛み、頭から流れる血が目に入ってしまったため左の視力がまともに機能していない。

 生きている。

 その事実を感じ取るだけで精一杯の体に鞭打ち、震える足で彼女、リーシャは立ち上がった。

 

「グルルルルルル」

 

 獣のように唸るリーシャの目の前に立ち塞がる存在。

 鋼のように分厚い筋肉を、人の形に形作ったかのような異様な巨体は三メートルを容易く越すほどで、手には一撃で人体を潰すことが出来るほどの棍棒を持っている。鉄の仮面で隠された顔から唯一見える残忍な目は、本能のままに動く獣と快楽を楽しむ狂気の人間の中間のようなものだ。

 特殊魔物個体ネームドモンスターの『キラージェイソン』だ。

 遠くで高貴に光る細剣レイピアは、先程リーシャの手から離れ吹き飛ばされたものだ。

 復讐なんて、仇をとるだなんて、そんな幸福を生まないこびりついた汚れのような思いで支配されていることは、リーシャにはわかっていた。

 だからこそ昨日、チルから放たれた言葉は、容赦なくリーシャの心を抉った。

 その抉れた傷口は、良くも悪くもリーシャに影響を与えすぎてしまったのだ。

 そして、初めてできた友人のような仲間たちを失い、ボロボロになった心が仲間の思いを取り返したいという自分のわがままに突き動かされてしまった。仲間たちはリーシャ目の前で死んでいったのだ。生存なんてありもしない希望に縋るつもりは無い。けれど、自分だけ生き残ってしまった罪悪感は、どこまでもリーシャを責め立てた。

 

 落ち着けなんて言われても、無理だ……!!

 

 しかし、リーシャの思いを踏みにじるように、キラージェイソンはその強さを彼女に叩きつける。レイピアが手を離れてから、いや遭遇した時から既に、勝負になんかなっていなかった。

 そして、キラージェイソンが振るった棍棒が容赦なく彼女を理不尽な暴力を撒き散らす。

 なんとか直撃は回避したが、棍棒が砕いた岩の破片が弾け飛び、皮膚を傷つけた。

 それと同時に、足に力が入らなくなる。先程の回避で足首を捻り、全身の痛みの中でも一際目立つ鈍い痛みが滲んだ。

 次は、回避できない……

 振り上げられた棍棒を前に、リーシャは絶望に目を閉じた。

 だが、そんな彼女に届いたのは、血で染った棍棒でも、キラージェイソンの唸りでも、残酷な死でもなく、

 

「『アサルトヒット』!!」


 一筋の救いの一閃であった。

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