8話『看板娘は超いい子』

 宿屋『フルート』。

 楽器の名がつけられたその宿屋は、物流の要とも言える都市ヴェルダの中心を真っ直ぐと通る大通りに面しており、多くの客で賑わっている。この街で最も繁盛している宿屋は、間違いなく『フルート』だ。

 そんな宿屋で働く明るいブラウンの髪の愛らしい少女。店主の娘であり、看板娘でもあるローラは、開かれた店の扉に接客業として百点満点の笑顔を向ける。

 

「おかえりなさい!フユキさん!」

 

 三ヶ月前からこの宿屋の一室に泊まっている冒険者の男フユキを、ローラは出迎える。

 今は夕飯時であり、元々大きな建物である『フルート』に宿泊している多くの客たちが食堂で発する声に負けないよく通る声に、フユキは気さくに片手を上げて応える。

 装備を纏ったままということは、仕事帰りなのだろう。

 そんなフユキは、いつものように部屋に戻って装備を片付けてから食事をとりに食堂に下りてくるのだが、フユキが背負う大盾の影から現れた連れらしき少女を見て、ローラは少し驚いた。

 

「フユキさん……遂に恋人できたんですか?」

「なんで僕が女の子連れてるとみんなそう言うの?」

「いやだって、フユキさんモテそうじゃないですか」

「モテないしそもそも僕恋人いたことないし」

 

 困ったように笑うフユキだったが、隣に立つ少女チルに「モテるのは事実でしょ。あんたを好きになる子の方は心配になるけど」と小突かれる。

 事情を聞くとフユキの幼馴染ということを知り、ついでに今日冒険者になったばかりだということも知る。

 ここに連れてきたのはチルもここに宿泊するためだ。もちろん、フユキとは別の部屋で。

 

「それと、チルは今着てる服以外に服持ってないんだ。できればローラの服を借りたいんだけど、大丈夫かな?」

 

 フユキにそう聞かれ、ローラは貸すということに悩む前に、まず自分の身長とチルの身長を目視で確認する。貸すということを断るという選択肢はそもそもローラにはない。だが、服のサイズに関しては話は別で、いくらローラが貸そうと思っても、貸した服のサイズが合わないことはどうしようもないのだ。

 見たところ十四歳であるローラより、チルの方が年上のようで、そのせいもあって身長はローラよりも若干高い位だ。しかし、サイズが合わなくなるほど差がある訳では無い。

 そして次にローラが注目するのはバスト。

 ほう……ふーん……なるほど……

 若干チルの方が上のようだ。うん、若干。これから育つということを考慮すれば、ほとんど差は無くなる。

 ちなみに、客観的にはチルは一般的で、ローラの方はほぼ、というかまったく無い。その差は誰が見てもはっきりとしており、今後の成長を考えてもローラは望みが薄すぎる。

 しかし、本人的には認めたくないことであり、誰にも悟ることのできないローラの内心にツッコミを入れることができるのは自分自身だけで、当事者にその気がなければスルーされる案件だ。

 

「はい、もちろん!じゃあ先に部屋取っときますね」

 

 そう言って宿帳の空きの部屋を確認すると、ちょうどフユキの部屋の隣が空いていたためその部屋を確保する。

 

「じゃあ部屋に持っていくので、先に上がっといてください」

 

 部屋の鍵をチルに渡したローラは、服を取りに行くために裏へと引っ込んだ。

 チルとフユキは、鍵に書かれた番号を頼りに階段を上がり、部屋を目指す。フユキの部屋の隣のため、まず迷うことはない。

 四階建てとかなり大きな建物で、チルの部屋は三階の角部屋だ。

 それぞれの部屋に別れて入ると、隅々まで掃除の行き届いたくつろぎ空間が広がっていた。

 部屋の隅には一人で寝るには十二分な大きさのベッドが一つ。その横には小さいながらも収納には困らない大きさのクローゼット。中央には簡素ながらしっかりとしたテーブルが一つと、椅子が二脚。窓際の花瓶には可愛らしい花が生けられており、ふんわりといい香りを漂わせている。トイレも水洗式のものが備えられており、中世な世界観の街並みに反して随分快適な部屋だった。

 特に整理する荷物もない――――というか着ているものしかない――――ため、ベッドに身を投げるように座ると、足を伸ばして脱力する。

 ふんわりと体を受け止めてくれるベッドの柔らかさに身を預けつつ、チルは自分の中を見つめ直すように思考する。

 この世界に来て、フユキと出会い冒険者となった。龍の華のメンバーとは会いたくないとは思っていたが、最初にフユキに会えたのは幸運なことであったし、それによって助けられた。他のメンバーと遭遇していたら、助けられていたにせよ多少は違う結果と心境になっていただろう。良くも悪くもそういう今とは違う状況は、今のチルにとってはあまりよろしくない。何せ、内心ワクワクしているとはいえ、不安定な情緒であることに変わりはないのだ。

 冒険者となったことで収入源の獲得も出来た。もちろん、まだ仕事をしていないしどれだけの収入があれば安定した生活が出来るのかはわからないが、フユキがいればどうにかなるだろう。

 問題は山積みではあるが、少なくとも今すぐに事態が急変して危機的状況に陥るということはないだろう。

 そこまで考えて静かに息を深く吐き出した時、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。

 訪問者があることとその訪問者が誰かわかっているので、チルはベッドから立ち上がるとドアを開ける。

 

「わわわっ、すみませんチルさん!キャッチして!」

 

 そんな慌てたような声と共に、チルの前に巨大な布の山が倒れてくる。

 咄嗟のことで完全に押しつぶされて倒れてしまうほどの量だったが、チルの体は自身の危機を回避するように迫り来る山を片腕で抱えるようにキャッチすると、右足を後ろに引くことで倒れることを回避。ついでに前のめりに転ぶ山の向こう側の人物、ローラの体を支える。

 スキルを発動した時のように、自動で体が動いた訳では無いが、自分の思い描いた動きを忠実に反応してくれる体。

 その体に違和感がない訳では無いが、逆に心地よくもある。

 

「ごめんなさい!大丈夫でしたか?」

「うん、私は平気」

「よかった……あ、ありがとうございます」

 

 受け止められている状態から体を離したローラは、ぺこりと頭を下げる。

 ローラが手で抱えるように持っている籘カゴの中には大量の衣類。そこに山積みされていた衣類が、ドアを開けた時に崩れ落ちたのだという。チルがキャッチした衣類の量だけでも、籘カゴの容量の倍の量がある。いくらなんでも積みすぎである。

 ローラは籘カゴを部屋の中央にあるテーブルの上に乗せると、チルから残りの衣類を受け取り乱れたものは素早く畳直して再び積み上げた。先程崩した前科が無ければ、その絶妙にバランスのとれた山に感心の声を出したかもしれない。

 

「これだけあれば足りますかね?」

「足りているというか、足り過ぎてるというか……」

 

 どう考えても多すぎである。

 

「チルさんまったく服ないんでしたよね?まぁサイズが合わないのがあったら困りますし、サイズは色んなの持ってきたので。これだけあればまず困らないと思いますし。それに、下着とかはいくらあっても困りませんし」

 

 衣服どころか下着も含め全て貸すつもり満々なローラにチルは、

 

「さすがに全部はいいよ。ローラ、さん?も困るでしょ?」

「ローラでいいですよ、私の方が年下ですし。それに私、これの三倍は持ってるので全然大丈夫です!」

 

 むんっと力こぶを見せつけるようなポーズをされる。ちなみに、柄の被った服は持っていないのだという。着道楽な子なのだろう。

 

「それと、こんなのも持ってきました」

 

 服の山を器用にベッドの上に移したローラは、その下に埋もれていた物を取り出す。

 液体の入った瓶が数本。さらに質素ながらもしっかりとした櫛が大小二本ずつ。

 瓶の中身は乳液やら化粧水やら肌の手入れのためのもの。櫛はもちろん髪を整えるためのもの。

 だが、美容についてまったく無関心だったチルは必要性を感じなかったが、

 

「ダメですよ!女の子なんだからそのくらいしなきゃ!」

 

 ちなみに、そんなこと言ってるローラは十四歳である。十分若さを武器に手入れなんて気にしなくてもいいと思うのだが、接客業をする者としての努力なのかもしれない。

 「何も手入れせずにその肌!?」と驚かれ、「なおさらちゃんと保たなきゃダメです!」と押し付けるように瓶を渡される。どの道渡されるのは目に見えていたが、厚意はありがたく受け取っておくべきだと思い、「ありがとう」と礼を言って受け取る。

 なんだか、少しローラの方が大人な気がした。女性として。

 その他の生活用品が次から次へとカゴの中から現れ、まさに至れり尽くせり。お世話になりっぱなしである。

 持ってきたものの紹介が終わってから、サイズの確認も兼ねてローラが持ってきてくれた服を試着してみる。

 胸元に小さく花の刺繍があしらわれたベージュのトップに、ゆったりとした丈の長いグリーンのチェック柄のスカート。

 チルはあまりスカートが好きではない。家の中で部屋着としてTシャツをワンピースのようにして着ることはいつものことなのだが、こうしたちゃんとしたスカートは苦手なのだ。

 しかし、気慣れていないわけではないので、あれば着る。くらいの感覚だ。

 

「うん!いい感じですね!」

 

 ローラの言葉通りサイズも組み合わせもピッタリである。今着ているもののサイズは持ってきたものの中でも小さい方のサイズらしく、これが問題なく着れるのであれば他も大丈夫とのこと。

 その後、二人でクローゼットに衣服をしまっていると、ローラがチルの首に下げられている『冒険者の証』を見て口を開いた。

 

「チルさんは冒険者になったばかりなんですよね?」

「うん、ついさっき」

「いいですよね〜冒険者。憧れます」

「まだあんまり実感は無いんだけどね。楽しそうではあるかな」

「そうですよね!自由の象徴ですもんね!私も一度でいいから冒険者になって世界中を渡り歩きたいです……」

 

 そんなことを遠い目で言うローラは、「まぁ、危ない職業ではありますけどね」と苦笑い。

 

「前にお父さんに冒険者になりたい!って言ったことはあるんですけど、そんな危険なことはやらせん!って一蹴されちゃって。冷静に考えたら、弱っちい私がなれるわけないのはわかってたんですけどね」

「それはでも、お父さんが正しい気はするかな」

「はい、私もそれはわかってたので、それで喧嘩した時もすぐに謝って仲直りしました」

 

 無邪気に笑うローラが、見た目は幼く実年齢もまだまだ子供だが、素直で大人びて見える。

 チルの知る元の世界のデカい公約ばかり掲げて不正ばかりの政治家よりも、目の前の十四歳の少女の方がよっぽど出来た人間に思えた。

 

「そういえば、チルさんってやっぱり強いんですか?レベルとかって聞いても?」


 その質問に、チルは一瞬迷う。

 ここで265という膨大な数字を答えた方がいいのだろうか。測定時の周囲の反応から、異常な強さだということはわかった。だからこそ、あまり口外しない方がいいように思える。

 

「まぁ、普通の初心者くらいじゃないかな」

 

 結果、返した答えは明らかな誤魔化しであった。

 しかし、ローラは特に深く聞いてくることはなかった。冒険者が自分の実力を示す数値であるレベルを隠すのは、一般的なのかもしれない。

 

「レベル265なんてぶっ飛んだレベルのフユキさんと一緒なら、大抵の事は大丈夫ですよ!」

 

 隠してないバカを一人知れた。

 

「ステータスって一つの項目で500超えると平均以上らしいので、みんなそこ目指して頑張ってるみたいですね〜」

 

 超えてます。

 防御力以外全部。

 

「それに、特殊技能は三つ以上あるとAランク冒険者としての素質があるそうです」

 

 基準値の倍の量あります。

 しかも全部書かれてるものが物騒です。

 そんな告白は胸の中に留めておくことにした。

 ローラがこんなことを話しているのは、チルが冒険者になりたてだから知っていることをさり気なく教えるためのようだ。優しい子だ。

 一通りそんな話をしていると、山積みになっていた衣服は全て綺麗にクローゼットにしまわれ、それと同時にドアをノックする音が聞こえる。

 「はーい」とローラが返事をしてドアを開けると、そこには装備を外してラフな服装へと変わったフユキが立っていた。

 

「やぁ、片付け終わった?」

「はい!今ちょうど」

「じゃあ下に夕飯食べに行こう」

 

 フユキの言葉にチルが窓に目を向けると、もう日が落ちたことにより現れた夜が広がりきっていた。

 

「そういえばローラ。下でお父さんが呼んでたよ」

「あ!」

 

 何かを思い出したように勢いよく立ち上がったローラは、

 

「すみません!他にも仕事頼まれてるんだった!」

 

 そう言い残して走り去ってしまった。

 ローラの後ろ姿を見送りながら立ち上がったチルに、フユキは、


「どう?」

「しばらくは落ち着けそう」

 

 そう返してから、夕飯を食べに下の階へと向かうのだった。

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