4話『遊びじゃない』

「いや~、まさか一番最初に千春に会えるとはね。僕もびっくりだよ」


 大きく笑いながら、持っていた巨大な盾を近くの木の幹に立てかけた冬樹は、地面に飛び出た根に腰を下ろした。

 血を流し倒れる二頭の巨大熊を近くに、愉快そうに笑いながら冬樹は再度口を開く。


「仕事でここに来たんだけどさ、この森って広いんだよね。何回かここには来てるんだけど、この広さにだけは慣れないよ。『フェアリーラグナロク』にはこんな複雑なマップって、上級のマップにしか無いじゃんか、いつもは千春がマップ描いてってくれるから気にしないんだけどさ、改めてソロで森の中潜ると参っちゃうよ。でもね、この森の木になる木の実が絶品でさ、ここに来る時結構楽しみにしてるん――――」


 瞬間、冬樹の鼻を掠めるほどの距離で、超高速の影が走った。

 そこまで一人で喋っていた冬樹は、目の前に走った黒い影に、笑顔のまま固まる。

 そして、強烈な握力で鎧の胸倉を掴まれた冬樹は、笑顔を引き攣らせた。


「あんたのどうでもいい中身のない話はいいのよ。いいから状況を説明しないさい。可及的速やかに!!」

「ごめん! わ、わかったって! ちょ、千春! 鎧が変形しちゃうんだけど!」


 額に怒りのマークを浮かべた千春の形相に、冬樹は焦って謝罪する。

 乱暴に掴んでいた手を離した千春は、ふぅっと怒りの吐息を漏らしてから、冬樹を睨みつけた。


「で?」

「で、とは?」


 恐る恐る聞き返してきた冬樹は、再度目の前を走った黒い影に冷や汗を浮かべる羽目となった。


「い、一々蹴らないでよ! 完全に殺す勢いじゃん!!」

「あんたがさっさと説明すれば、こんなことしないわよ!!」


 殺気を宿した睨みを受け、冬樹は困ったようにボソリと呟く。


「もう少し久しぶりに会った幼馴染に優しくしてくれてもいじゃんか……」

「なんか言った?」

「いえ、何も」


 イラっとしたような千春の声に、冬樹は即座にかぶりを振った。


「それで、なにから説明しろって?」

「ここはどこ! なんであんたがここにいるの! だいたいこのバカデカい熊は何!」

「多いって! 質問が多すぎるよ!」


 声を荒げる千春に、冬樹は本当に困ったように待ったをかける。

 そこでふと、どこか焦りを感じる千春の態度と質問に、冬樹は眉根を顰ひそめて言った。


「どうしたんだよ千春、らしくないというか……」


 そこまで言って、冬樹は思いついたように問う。


「もしかして千春……ここ来たの初めて?」

「ここどころかこの世界自体が初めてなんだけど?」


 千春の苛立ちの頂点に達した声に、冬樹はびくりと身体を強張らせる。

 そんな冬樹に、千春が逆ギレにも等しいような怒りの言葉を飛ばそうと口を開いた瞬間だった。

 メキメキと耳の痛くなる音が周囲に響く。

 その音の鳴る方向は、少し離れた千春の背後。


「へ……?」

「げ……」


 素っ頓狂な疑問の声は冬樹。完全に忘れていたという声は千春である。

 その声の直後、太い唸り声が響く。

 そういえば、気絶させただけだった。殺したわけじゃない。

 一度気絶させた相手は、当然目を覚ます。

 そして、それが今だというだけ。まったく当たり前のこと。

 振り向いた千春の先にいたのは、牙を剥き出しにする赤褐色の体毛を纏った獣。

 その獣と千春の眼が合った瞬間、飛び掛かりながら振り下ろされた大き過ぎる爪が、千春の視界を暗くした。


「『キャッスルフィールド』!!」


 突如、千春の背後からの叫びと共に、巨大熊の襲い来る爪が、千春のまさに目と鼻の先で止まった。

 巨大熊の爪と千春の間にあるのは、薄い銀色の膜のようなもの。紙一枚もないようなそれに、千春は目を丸くする。


「いや~、さすがにいきなりのことでびっくりしたよ」


 絶句と言ってもいいような状態の千春の後ろから聞こえた、まるで遊んでいるかのような楽しそうな声。

 そんな声で話しながら、流れるような動きで千春の前に歩いてきた冬樹は、無造作に右手を前に突き出した。


「『ソニックカウンター』」


 機械的に、放たれた言葉の後、冬樹の右手から強烈な風が巻き起こる。

 いや、風などという生易しいものではない。衝撃波と呼ぶべき爆風。

 それを受けた巨大熊は、その巨体では想像できないほど軽々と宙を舞い、その巨体に似合う重々しい音を立てて地面に叩きつけられた。


「千春、怪我無い?」


 目の前で起こった人間離れした光景に唖然というか絶句というか。それさえも通り越してもはや呆れさえ感じている千春は、冬樹の気遣いの言葉に小さく頷いた。

 冬樹はそれを確認すると、ゆっくりと腰の鞘から白銀の長剣を引き抜く。


「う~む。どうしよっかな~。首落とすか上半身ごとばっさり吹き飛ばすか……」


 顎に手を当てて、物騒以外の何物でもない言葉を口にする冬樹。


「ちょっと……冬樹? あんた今から何しようとして――」

「ごめん千春、ちょっと黙ってて。手元が狂うと余計に苦しませちゃうから」


 千春の方を見ずにそう言い放った冬樹は、呻きながら起き上がる巨大熊を見据え、持っていた長剣を両手で構えると呟くように何かを言う。

 瞬間、淡い黄色の光を放ち始めた長剣と共に、冬樹の身体が残像を残すほどの速度で動いた。

 目の錯覚。そう思ってしまうほどの現象である。

 一瞬で冬樹の身体は、起き上がった巨大熊の目の前に存在していた。

 そして次に現れたのは、まるで三日月のように鮮やかな光の残像。

 その光景を瞬きもせずに見ていた千春の頬に、生暖かい何かが付いた。

 見るまでもなく何かの正体がわかる。なんせ、目の前でその何かが大量に噴き出しているのだから。

 うっわ~……グロ過ぎるんですけど……

 そう心の中で呟き、千春は首から大量の血を流しながら、その上にあるべきものを失った巨大熊を体を見る。

 そこには、現実が横たわっていた。

 先程の二匹の死体は見たが、首を切り落とされている巨大熊は、あまりにも生々しく、今まで非現実として認識していたものが、改めて現実となったのだと言われているような気がした。

 命のやり取り。

 今まで電気信号で架空のそれをやってきたが、今度は本当に命をかけ行われる世界。

 楽しいだけで生きていけない。高揚感だけに浸っていられない。慢心すれば殺される。

 だってそれが、現実だから。

 

「さて、とりあえず街に行こうか。案内するよ」

 

 剣を鞘に納めた冬樹の言葉に、千春は小さく頷いた。

 千春は、生まれて初めて「本当の覚悟」をした気がした。

 

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