第10・11章

10

 まったく、何てざまだ!

 1時間や2時間の説教くらいなんだ。私はあいつの足の服に隠れて見えない場所を何度かつねり、殴りつけ、蹴りつけたが、あいつは改心したような表情ひとつ見せないときている。相も変わらず惚けたような顔をして、ぶつぶつと意味のわからない繰り言を並べては、あんなおんぼろの店に今朝も変わらず出かけていく。一体どうなっているんだ。どいつもこいつも、東京の奴もこっちの奴も、ふぬけふぬけふぬけふぬけ、ふぬけばっかりだ!

 しかしもっと訳がわからないのがあの沼地の男だ。普通見も知らぬ人間に突然詰問されたら、ちょっとは腹が立ってたまらず押収したり、ひどい場合には殴りかかってきたりするものだ。まあ私はそういった画になるハプニングを期待していたわけだが、事態は私の思うとおりには進まなかった。どういう了見だかしらないがあの沼地の不気味な男は、私の姿が見えないかのように、いや私がそこで取材をしていることなんか気にもしていない、俺には何も関係ないねって態度で、私の鼻先で扉を不作法にも叩きつけるようにして閉めたんだ。それにしてもあれはけたたましい音だった! 生意気にもあのがきは、報道人として正義の側に立って取材する私を、挑発してばかにしようとしているんだ!

 ああお前の狙い通りに行動してやる。お前は今私のことを見くびっていて、この私がどれだけ汗をかいて丹念に調査をしても、これといった証拠なんか出やしないだろうと考えているのだろう(だって証拠という証拠は全部お前が沼地に捨ててしまうか、家の裏で燃やすかしてしまったんだろうからな!)、しかし大間違いだ、物的証拠なんかなくても私が本気を出しさせすればお前を追いつめてやることができる、お前を追いつめて、全国ネットのテレビカメラの前でぎったんぎったんのばっこんばっこんにして、社会的に二度と立ち直れなくさせてやる。私にはテレビという大きな武器がある。お前らのごとき社会の穀潰しを再起不能にすることなんて、朝飯前なんてもんじゃないんだ。この現代日本社会を主導する立場のエスタブリッシュメントである私を怒らせたらどんな災難が降りかかるか、しっかりと地に足着けて勉強するがいい。とにかく、もうお前はおしまいなんだ。お前の人生は終わってしまったということなんだ。

 さて何から取りかかったらいいだろう。まずは何とかしてあいつと殺人を結びつけるような糸口を発見しなくてはならないだろう。物的証拠じゃなくてもいいし、そもそも証拠なんて何も見つからなくったっていい。第1回目の特集の20分あまりをもたせられるような見栄えのする画と町民のインタビューが一通り揃えば、もうすべてが動き出すのだ。ここの連中は大多数の田舎者の例に漏れず部外者への猜疑心が強く、若年層に対する嫌悪感もまた非常に高い。少し私が親切に誘導してやれば、すぐさまあの二人組が途方もない悪人であり、殺人にだって絶対手を染めているだろうという証言を取ることは簡単なのだ(その誘導のしやすさは都会の人間と大して差がない。要するに簡単ということだ)。

 朝一番に報道局長に電話をかけたが、どうも私の思ったような対応をしてくれるまでには至らなかった。ああ、うんまあ、ここはまあちょっと、静観、静観ってことで……、静観って、どういうことなんですか、事は一刻を争うんです、早くしないと他局の連中に先を越されて、報道機関としての職務をまっとうできなくなります、お願いします局長、早くクルーを何人か、カメラをよこしてください、それから明後日の昼の番組に二十分ほど枠を作ってくださいよ、いやしかしわかっているよ、しかし君ね、君は先走って局に損失を与えたという過去があるわけだし、他社の人間が今そこに一人もいないということはその事件にはニュースバリューが無いということに他ならない、今時はオリンピック関連の特集にできるだけ時間を割きたいし、田舎で一人や二人死んだことなんて大して視聴者は見たいと思っていない、それに今は上から何も指示があるわけじゃないから特にこれといって扇情的な話題をこちらで用意しなくちゃいけないわけじゃないんだ、だからまあ君は謹慎が終わるまでそこでゆっくり休んで、それからまた東京に戻ってきてばりばり働いたらいい、私達もそれを期待しているんだから……。

 話にならない。こうなったら自分一人で動くしかない。カメラが届かないんだったらiPhoneで素材をできるだけたくさん撮っておくまでだ。

 私はあの足手まといを稼ぎにやらせた後、部屋を出て駅前へと繰り出す。真っ昼間からじいさんばあさんどもが退屈しのぎにぺちゃくちゃ喋りながら、茶店の軒先やなんかで茶碗を傾けたりしている。まったく、こいつらはまるで人間の抜け殻のようだ! とても毎日を精出して一生懸命生きている人間だとはとても思えない。でもこいつらになら私の話も存分に伝わるだろうし、私の意図だって理解されやすいだろう。ひとつおだててひょいと流れに乗せれば、もうこっちのものだ。

 ああ見たよ、もう2ヶ月くらい前かな、軽トラでな、軽トラで来てな、何かぎょうさん買い込んでいったわ、どんな感じでしたか、怖い感じはしませんでしたか、怖い感じだって、ええ、最近若者による殺人や暴力事件が相次いでいるんです、オレオレ詐欺なんかやっているのもほとんど若者なんですよ、彼らは軽トラである日いきなりやって来たっていうんですね、であれば怪しいでしょう、詐欺師の類いかもしれません、それとも暴力団の手先になっている不良集団の構成員かもしれませんよ、ええッ、そうなのかい、それは怖いねえ、いやそういえば何か近寄りがたい感じだったし怪しい感じもしたよ、だっていきなりよその人達が来たんだもの、何しに来たんだって、普通思うよねえ、そうでしょうそうでしょう、私は東京のテレビ局から来ましてね、真面目な報道番組を作っているんです、平和な世の中を作るためにも、ぜひ協力してください、そうさねえ、人殺し、人を殺したって、人を殺したっていうんですが、それは怖いねえ、それは怖い、とてもじゃないけどねえ、こんなところには住めませんよ、えッ、沼地、沼地ですか、沼地沼地沼地沼地沼地、沼地ねえ、ああじゃあそこから死体を流したんだ、死体を流したんだねえ、あの男の子と、郵便局の人、あああの郵便局の人、いい人だったっていう話ですよ、そんなこと誰から聞いたの、みんな言っていますよ、でもなんか色々あれなことがあったって話だしね、あれなことって何ですか、まあちょっとしたトラブルっていうか、トラブルって、沼地の二人とですか、沼地の二人、沼地の二人が今何の関係があるんだい、いや郵便局の局長さんが殺されたっていう話なんですよ、あの若い人達が何か関係あるのかい、ああ困ったなあ、困った困った、この際は腹蔵のない意見を聞かせてくれませんか、ふくぞうってなんだい、局長の名前かい、あああの評判があまりよくなかった、評判って、沼地の若者の評判ですか、いやそれが、どうもあの人達が二人なのか三人なのか、わしにはよくわかりませんですが、いや二人なんです、二人なんですよ、しっかりしてくださいよ、いやいや、そうじゃねえて、あの郵便局の局長が、評判悪かったんだて、でもあいつはまあ仕事熱心な奴じゃったって話してる奴もいるぞ、でも何か人使いも荒かったらしいし、まあ色々な人が色々なことを言うよね、まあ他の人に聞いてみなさいよ、私達じゃわからねえからさ……

 いやいや、充分すぎるほどのVTRが撮れたものだ。取材自体は1時間もしないうちに済んでしまったが、そこで撮った映像を細かく切り刻んで使い回しに使い回してやれば、五週分くらいはどうにか特集を組めるに違いない。要するに内容なんかどうだっていいのだ。最初から一般人へのインタビューに何か意味や価値を見いだしたり、期待したりするほうが悪い。まず何か事件が起きたときには、私達はまず街頭インタビューで五分くらいはつぶせるな、ここで20代くらいの2、3人にこれこれこういうことを言わせて、今度は買い物帰りの主婦にこんなことを言わせて、とそんなことを考え始めるのだ。大丈夫、これで今まで上手くいってきたのだし、これからも上手くいくだろう。

 しかしこれだけではだめだ。そんなことはよくわかっている。視聴者を引きつける矢継ぎ早の展開を1週ごとに用意しなければ、視聴率はどんどん下がっていってしまう。ドラマや小説もそうだが、観客を飽きさせないようにする“胸のすく”ような面白いストーリーラインというものが何としても必要なのだ(私はこれまでのテレビマンとしての経験からそのことを痛いほどよくわかっている。それはこの後たっぷりと君達だけに伝授してあげよう)。

 ここからが私の腕の見せ所だ。私は練りに練った演出プランを立てることによって、刻一刻と変化して行くであろう状況をど派手に切り取り、最も視聴者の望むような、興味をそそられるような形で編集して電波に乗せることができる。この場合是非とも着目しなければならないのは、どうにか私がさっきのインタビューと同じような調子でうまいこと誘導してやれば、この町の住人を一致団結させ、町一丸となってあの人殺しの二人組に対して行動を起こさせるように仕向けてやることだってできるということだ。そして今回、私は報道人としての私の本能、プロフェッショナルの業界人としての嗅覚に従うことによって、私のキャリアを一変させるかもしれない素晴らしいチャンスを手にすることになる。

 煽り立ててやろう。この言葉を毛嫌いする報道人も多いが、かまととぶるのもいい加減にしろと言いたい。視聴率のことを考えればこの方法は実際に効果があるし、口には出さないまでも業界人なら大なり小なりみんなやっていることだ。私の言っていることよりもっと露骨なことだって、どこの局でもコメンテーターやら何やらに散々言わせているじゃないか。

 この町を報道番組向けの刺激的なストーリーによって、深みのある人間ドラマが渦巻く生と死の舞台に変えてやる。

 私はみんなに望まれるようなことをしているだけだ。業界人でもないくせに、訳知り顔で説教なんかしないでほしい。



11

 ここでちょっと一休みして(本当ならそんな悠長なこと言ってはいられませんが)、報道記者として私が仕事をする上で最も尊重しているメソッド、信念、そして業界の裏事情について、少し時間を取って話をさせてもらいましょう。堅苦しい話ではないので、お茶でも飲みながらゆったりと聞いていてください。たまにこちらから質問をすることがあるので、絶対に答えられるようにそこだけは注意しておいてください。

 実は私には、かつてとあるシナリオ新人賞の審査員をしていたという過去があります。あの仕事はとても楽しいものでした。毎年シナリオライターを目指す全国の無名の人々から何百という数の原稿が届くんです。当然それらをすべて審査員(だいたい局のプロデューサーや編成部員が5、6人といったメンバーです)でチェックするというわけにもいきませんから、3、4人の大学生をアルバイトに雇うんです(それ以外にもバラエティのアシスタント・ディレクターを何人か仕事の隙間の時間にかり集めて手伝ってもらっています)。彼らがまず1次審査の審査員として全国から来た紙の原稿を読みます。彼らには仕事の前に簡単なマニュアルが渡されていて、そのマニュアルの指示に従えば素人の彼らでも簡単に応募作品の選別ができるような仕組みになっています。例えば「心温まる感動のストーリーであること」、「スポンサーが参加したいと思うような感動するストーリーであること」、「面白そうなタイトルであるか」「老若男女、視聴者の“マス”が見たがらないような“棘”がないか」といったいくつかのポイントに機械的に当てはめていけば、自動的に1次審査を突破する作品は抽出することができるというわけです。

 2次審査からはいよいよ私達、業界の裏の裏まで知り尽くした手練れの審査員による厳正なる審査が始まります。週に1度、1時間ほど会議が開かれてあれやこれやとみんなで活発に議論し合います。このストーリー展開ならスポンサーがつきやすいだろうね、こういう役回りは事務所が嫌がるだろうね、これは来年くらいに映画化するのにぴったりだ、局のドラマの定式に沿ったホンじゃないとだめだね、ちょっと変わったようなやつはスポンサーも視聴者も(それ以前に私達が)とてもじゃないが理解できないからね、マーケティングの観点からすれば、これまで作ってきたドラマとできるだけ同じようなやつが望ましいな、とこういったようなことを話し合い、けんけんがくがくの議論の後、その年のグランプリ決定、そして発表と相成るわけです。要するに私達のような物事の中身、価値というものを見る目があるプロフェッショナルによる議論に議論を重ねた厳正な審査を行うことによって、私達テレビ局というのは日本のエンタメシーン、そして歴史に残る文化というものに貢献しているわけです。私達は日本のドラマの真の発展を心から願っているのです。

 さあ、私は今この場を借りて、皆さんに何を言いたかったのでしょうか。皆さんはとある田舎町で起った連続殺人のお話を今読んでいるはずですし、一番興味があるのはこの話がこれからどのように展開し、どのような結末を迎えるかということに他ならないでしょう。しかしそれでは私は何故、このようなシナリオの新人賞の話などをしていたずらに時間を使うような真似をしているのでしょうか。それは実際、こうしてわざわざ貴重な寸暇を惜しんでこの事件の動向を辿ろうということであれば、ただ私のつくった番組を見ているだけではだめだ、裏の裏までは見えない、というようなことを言いたかったのです。

 それは一体、どういうことなのでしょうか。

 要するに私は皆さんに、私が報道番組を作るときは、私がシナリオの新人賞の審査員として培ったドラマ制作の手法、面白いストーリー展開を形作るメソッドを最大限に活用しているのだ、だから皆さんにもそのことを理解した上で私の番組を見るべきなのだ、ということを知って欲しかったのです。勘のいい方ならここまで読んで、結局のところこのお話を読む意味とは何なのか、理解してくれたに違いありません。まず今回の事件(ストーリーと言ってもいいでしょう)には主立った登場人物が4人います。最初に殺された可哀想な中学生、そして次に殺された哀れな郵便局長、そしてすべての元凶となった、残忍で良心のかけらもないあの人殺し二人組の、計四人です。一番最初に私達がするべきことは、視聴者が登場人物に感情移入してラクにお話が理解できるように、中学生と郵便局長の感じていたこと、思っていたこと、そして彼らにまつわる事件のディテールを、これでもかとこちらでシミュレートして再現してやることなのです。確かに現時点で警察が何か公式発表を出しているというわけではありません。そういう意味では(これはちょっと厳密すぎる気もしますが)、この事件の真相は未だわからない、と言ったほうがもしかしたらよいのかもしれません。しかしあまりにも謎が多すぎては、視聴者はついてこれません。すぐに飽きてチャンネルを変えてしまいますし、ツイッターなどのSNSではこの事件の真相について数多くの噂話や憶測が毎秒のように匿名のユーザー達によって語られています。私達テレビ局がそれらネットのより面白くて興味深いコンテンツに対抗するためには、一体どうしたらよいのでしょうか。答えは簡単です。私達のほうでも彼らに負けないように、より面白いストーリーをどっさり用意して視聴者を待ち構えてやればよいのです。重ねて言いますが、それが実際にどうだったのか、何が真実だったのかということとは完全に別の話です。今は真実がどうのこうのとか、放送倫理やBPOがどうなんだとかいう小難しくて面倒くさい話をしてはいません。これは皆さんにもとっくの昔におわかりのことだと思います。

 ここで私が作った今回の事件の報道用のストーリーラインをざっくり紹介しておきましょう。まずあの沼地に棲んでいる二人組はこの町へとやって来た後、彼らの獲物を物色し始めました。彼らは殺人をするためにここへ越してきたわけではありませんが、昔から手のつけられないワルでとにかく他人を食い物にすることしか考えていなかった男は、無意識のうちに自分が虐めることのできる相手、ぼこぼこにできる相手、自分の暴力的な快楽を発散できる相手を探していたに違いありません。そして女はもともと育ちが悪く、体に刺青でも入れているような(実際に入っているかどうかは知りませんが、再現VTRを作るときには臆さずそのようなディテールも描き込みましょう)不埒で頭の悪い女だったので、男の言うがままに行動して何も考えずに毎日を過ごしていました。

 そんな彼らが目をつけたのは郵便配達の仕事を手伝っていたあの中学生です。郵便物を届けに来たあの可哀想な中学生に、沼地の二人組は因縁をつけ始めました。ここまではよくあるトラブルです。やれ配達するのが遅いだの、やれ封筒の端がよれているだの、そんなことで小さな男の子に“がん”を飛ばしては怒鳴ったり小突いたりしていたのです。地元でも評判の優等生で模範的な生徒だった男の子は、この仕打ちに最初のうちは黙って耐えていました。お父さんやお母さん、そしてあの優しい郵便局長に余計な心配をさせたくないという純粋な気持ちでした。しかしある時自分の家族のことをばかりにされた男の子は、弱々しい声ですが勇気を振り絞って男に反論します。そんなこと言われたくない、お父さんもお母さんも、郵便局長さんも、とても厳しいけど僕のことを愛してくれる、とてもいい人達なんだ、だからそんな風にばかにするな、ばかなのはお兄さんのほうじゃないか、毎日働きもしないで家の中でごろごろして、あの女の人もかわいそうだよ、そんな人に毎日ばりばり働いて社会の役に立っているお父さんや局長さんのことを批判されたくない、と彼の良心に従って、言うべきことを正々堂々と言ってやったのです。男はこれに激高しました。何だと、下手に出たら偉そうに、この俺様に向ってなんだその口の利き方は、俺のバックには暴力団や暴走族、地元のヤンキーとかそういう奴らがうようよいるんだ、お前なんか俺の力で簡単に潰せる、撤回しろ、そして地面に這いつくばって謝れ、俺の靴をなめろ、だけど俺をなめるんじゃねえ、なめるんじゃねえよおぉッ! しかし男の子はそんな恫喝には負けませんでした、彼は自分の言った言葉を撤回しなかったのです(まさに男に二言なしです)。男は勇敢な男の子の胸ぐらを掴み、家の壁に強く押しつけました。おそらく男は自分は殺すつもりなどなかった、と言うでしょうが、そんなの嘘っぱちです。男はそのまま男のこの胸を強く押さえつけ、両手が徐々に首もとのほうへと上がっていきました。男は明らかな殺意を持っていたのです。ぐいぐいと力任せに男の子の首を絞めます。男の子は抵抗し、逃げようとしました。必死で息をしようと身をよじらせました。足をばたばたさせました。硬い運動靴の先が男の下腹部を強く打ち、男も苦しそうな唸り声でこれに応えます。もしかしたら男はここで少しばかり首にかけていた力を弱めたのかもしれません。もしかしたら男の子は助かったかもしれません。しかしここで、今までじっと黙って突っ立っていた女がじりじりと近づいてきて、もがき苦しむ男の子の両足を押さえました。甲高いヒステリックな声が辺り一面に響きます。やって! やっちゃってよッ! 警察に、警察に、逮捕されちゃう、逮捕されちゃうからぁ! だから、さっさと、やっちゃってよぉッ!! 男の両腕に血管が浮き上がります。力を込めすぎて、ところどころ男の腕は死んだように青くなってしまっています。そしてついに男の子は抵抗するのをやめてしまいました。男の子の心臓はもうあの頃のように元気に運動をしたり、笑顔で学校に行ったりするために動くことはできなくなってしまったのです。そこには血の通わなくなった男の子の死体だけが、男の両手に支えられるようにして壁沿いに立ちつくしているだけでした。男が腕を放した瞬間、男の子の体がまるで悪魔に魂を汚されてしまった小さな天使のように、どこまでも純粋だったおもちゃの妖精のように、どろどろした不浄な泥の上に倒れ落ちました。男は怖くなりました。女はどこか、してやったりといった顔をしています。女は男に命じて、男の子の死体を沼地に捨てさせました(いざとなった時には、やっぱり女は強いですね)。

 これがこの事件の真相です。私達報道人は、視聴者に最もわかりやすい形で事件の推移を伝えるために、そして最も視聴者を引きつられるような形で物事を伝えるために、こうして探偵や刑事のように事件の隠された真実といったものを“推理”しなくてはなりません。私はよく報道人にはシャーロック・ホームズや名探偵コナンのような観察力や推理力、そして思考する能力が必要なのだとよく言います。異常に語った事柄が実際にあったかどうかは断言できません(いや、十中八九本当に起ったことだと思いますが)。しかしこうして物事の裏の裏まで推察する能力というものを研ぎ澄ませておかないと、とてもじゃないですがテレビの報道なんてものはできないのです。

 さあ、こんな感じで皆さんにもうまいこと伝わったと思います。そしてここからが私の正念場。私がこうして組み立ててきた緻密な論理による推理に基づいて、どのように日々放送される番組を構成し、演出していくのか。ここがテレビに携わる人間として真に手腕が問われるところなのです。

 ここから、私のすべてをお見せしましょう。

 私はすべての真実をこの手中に握り、すべてをここにさらけ出すことができます。

 いよいよ、クライマックスが近づいてきました。お茶の間の皆さん、みなさんに必ずや満足していただけるような番組を、これからお届けします。存分に、楽しんでいただきましょう。

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