第7・8章

 故郷というのはいいものだ。私のような都会暮らしに疲れた人間を、故郷の美しい風景や思いやり溢れる人々は優しく出迎え、癒やしてくれる。十年ぶりに帰ってきたこの町は全く変わっていない。変わっていないどころか、私の胸の中で膨らんだ郷愁で味付けされて、以前よりも美しく、魅力的な土地になっている。

 駅前の商店街を眼前に望んで、私は学生時代に持っていたあの純粋な気持ちを少しばかり取り戻したような気になった。しかしこれもおそらくは一時的なものだ。私が東京で受けた屈辱、そして前途多難なものになるであろう今後の道のりを思うたびに、私の頭は捉えどころのない怒りと歯がゆさでいっぱいになる。私はこれからどうしたらよいのだろう。どうしたら私は再び東京の、あの居心地のよい放送局に舞い戻って再び報道の道を歩むことができるのだろう。

 私がこの町に戻ってきたのも、局から命じられた謹慎期間をゆったりとした環境の中で過ごすことで精神的な傷を癒やし、再び報道人としての栄誉ある職務をばりばりとこなしていくためである。しかし今考えると編成局長やあのプロデューサーが私に対して取ったあの態度というのは、長い目で見ればわが局の、しいてはテレビの報道業界全般にとってそれほどよいものではなかったのだろう。第一、一生懸命ネタを探し、死ぬような思いをして取材してきた部下に対してあのような叱責をするというのは、一体どういう了見なのだろうか。

 私はことあるごとに自分に言い聞かせ、繰り返し確認する。確かに私はミスを犯したかもしれないし、業界人ではない素人の感覚からすれば私の行動はいささか問題のあるものだったかもしれない。しかし私の責務は人々の知る権利を守ることであり、私の担当している昼の報道番組が高い視聴率を維持するために最大限の努力をすることなのだ。あいつはもしかしたら殺人など犯していなかったのかもしれないし、まったく後ろめたいところのない善良な一市民だったのかもしれない。しかし世間一般の人々の疑いの目が彼女に向けられたと言うことは事実であり、そのような事実がある以上私達報道関係者もできる限りの取材を行う必要があるというのもまた事実だろう。確かに私は彼女の家の窓ガラスを一部破って、そこから小型カメラを差し入れて隠し撮りをしたかもしれない。確かに私はアナウンサーに彼女が真犯人であるという論調の原稿を読ませ、彼女を社会的に糾弾せよと煽り立てたかもしれない。彼女が結果的に自殺したこと、そしてそれによって事件が迷宮入りしてしまいそうになったことは、確かに私の責任かもしれない。しかし私にだって言い分はある。誰がどう見たってあいつは人殺しのツラをしていたし、その人殺しのツラを最大限に活用してやれば、私の担当していた報道番組は高い視聴率を維持することができたはずなのだ(私の番組のことを情報“バラエティ”などといってばかにする輩がいるが、そんな連中の言うことなど私は歯牙にもかけない)。

 それなのに私の全身全霊をこめた報道がBPOだの何だのに逆に糾弾され、取材対象の自殺の責任を取って私も謹慎処分にされてしまうとは。

 世の中間違っている。

 この間違いを、何としてでも正さなくてはいけない。



 私はアカネの肩に腕をかけ、力をこめて何度か叩いた。アカネは荒い息を吐く。こいつは怯えている。今はこの町で食堂をやっているという話だが、客は入らず、羽振りはあまりよくないらしい。まあいい。こいつが昔のように私に怯えているのを見るのは楽しい。せっかく故郷に帰ってきたのだから、昔のようにこいつでちょっとばかし遊んでやる権利くらいは保障されてもいいだろう。

 「昔はもっとお前も面白くて明るい奴だったじゃないか、アカネ。」

 アカネは何も喋らない。息さえできないのだ。昔と同じだ。しかし私と出会ってしばらくの間、こいつは今とは全然性格の違う女だった。あの頃こいつは町外れの小さな運送会社で事務の仕事をしていたが、それはそれはよく笑い、よく喋るひょうきんな女だった。自信に満ちあふれていて、世の中怖いものなんか無いって感じだった。しかし私と知り合ったのが運の尽きだった。私はこういう生意気でしゃらくさい女の鼻柱をへし折ってやるのが、何よりも好物だった。一ヶ月もしないうちにこいつは私から何かきついことを言われるんじゃないか、またぶん殴られたり小突かれたりするんじゃないかと、昼も夜も怯えたような表情で暮らすようになった。こうなればもうこっちのものだ。この女は私の言うことを何でも聞く。

 「ちょっとばかし泊めてくれよ。東京の女はろくでもない連中揃いでね。自分が高嶺の花だってことはわかってて、男を釣り上げるようにかわいこぶってみたり、ブランドでばりばりにかためたりしてる。もうやんなっちゃったよ。こんな時はお前みたいな女と一緒に、一晩か二晩、過ごしたいなあって、思って……。」

 アカネは恐怖で震えているが、そんなことは問題じゃない。客のはけてしまった女の食堂の机には、こいつの払いきれない請求書やら督促状やらが山のように積まれている。

 私が少し本気を出せば、こんな紙切れの一山やふた山なんて、たちどころに問題ではなくなる。

 しかしそれには条件がある。条件があるんだよ、と私はアカネを少し揺さぶってみた。

 アカネは私の言うことを聞くしかなかった。



 アカネが今日も家に帰ってくる。片手にはこれまた封筒やら葉書やらがどっさり握られている。やはり私が昔作って押しつけたあちらこちらの負債も、まだ完済しきっていないらしい。アカネは首が回らない。経済的にもそうだし、首筋にはたっぷりと肉がついて芋虫のようにうねうねと蠢いている。正直に言うと少し気持ちが悪いが、布団の中では何もかもを忘れて吸いつきたくなるほどその肉は冷たくて気持ちがいい。

 いつものようにアカネの顔は土気色だ。しかし今日は何かが違う。よく見ると、アカネが持ってきた封筒の何個かに茶色い泥汚れがべったりとついて、からからに渇いている。

 「何だ、こんな汚いものを家に入れるんじゃない。」

 私は毅然とした態度でこいつに“指導”してやる。こういった“指導”はありがたく受け取り、生活を向上させるために活かしていくべきだ。もっともこいつは私の“指導”を満足に受け取ったことがない。少しの間は申し訳なさそうにぶつぶつと何やらつぶやくが、次の日になったらきれいさっぱり忘れている。

 ほら、今日もそうだ。

 「いえ、違います、近所の人が、近所の人がね、あの町外れの沼地に落ちてましたって、落ちてましたって、私宛の封筒、私宛の封筒が、落ちてましたって、あそこに、落ちてましたって、言うんです、それで渡してくれたんです、渡してくれたんです……。」

 小さな声でまくし立てるアカネの横っ腹を手の甲で一発引っぱたいてやると、すぐに静かになった。

 しばらくソファに横になってうつらうつらと考え事をしていると、さっきアカネが持ってきた泥のついた封筒のことがどうにも気になって仕方がなくなった。アカネはその汚れた封筒を近所の人からもらったと言い、その近所の人はそれを町外れの沼地で拾ったという。「町外れの沼地」という言葉がどうにも私の神経にこびりついて離れなくなり、私は結局ソファから起き出してタバコに火をつけ、自分の思考を一から整理し始めた。私は自分が報道人であるという誇りと自負を持っているから、例え休暇中だろうが何だろうが、周りの状況を丁寧に観察して少しでも情報をたくさん集めようという努力を怠ったことがない。この町に帰ってきてから色々な話を見聞きしているが、「町外れの沼地」はどうもここ一、二ヶ月で急にこの町で妙な存在感を帯びるようになった言葉として、私の脳裏にはっきりと刻まれている。

 二ヶ月ほど前にその沼地に立つ小さな家に越してきたという若い夫婦。これだけでも報道人たる私には充分すぎる素材だが、どうもその後に起った一連の怖ろしい出来事はこの夫婦の周囲を旋回するようにして、あの沼地を舞台としてどうも発生しているらしいのだ。まずはあの死体で見つかったという中学生。その中学生は地元の郵便局で無給の社会体験のようなことをやっていたらしいのだが、そんな真面目で学校の成績もよかった子供がある日の午後、この町の川で死体となってぷかぷか浮かんでいるのが発見されたのだ。子供が殺されたというのでこの付近一帯はしばらくの間とにかく大騒ぎとなり、町民達は不安と恐怖、そして際限なく膨らんでいく好奇心で夜も眠れなかったという話だ。確か子供が殺されたというので東京の私の編成室にも数行のニュースが回ってきた記憶がある(結局それを全国ネットで取り上げることはなかった。もはや名前を出すことはできないがあの誰もが知るアイドル歌手のスキャンダルに何としてでも時間を割かなければならなかったし、もしこれが首都圏で幼稚園児の女の子がという話であれば、格段に扱いは違っただろう。いやはや、仕方がない話だ)。結局未だに犯人どころかそれにつながる手がかりもつかめていない状態のその事件だが、どうやらその川の支流から地元の警察があの沼地まで遡っていき、一度それなりの規模の捜査を行っているらしい。結局田舎の警察官達は何も発見することはできなかったが、不思議なことにその沼地の二人については早々に容疑者のリストからは外されてしまったようで、そいつらの住む家に警察が踏み込んだという話もなかったようだ(何故二人が容疑者でなくなったのかについて、警察は満足のいく理由を提示していない。私の確信では、“よそ者”の“若者”だと言う時点で彼らを真っ先に警戒しなければならないはずなのだが)。

 第二は、その中学生が社会体験をしていたという郵便局の局長の顛末である。この局長は私と同年代の、これまた真面目で仕事熱心な男だったらしいのだが、どうやら彼がその中学生殺害の第一容疑者となってしまったらしい。彼は管理職に就いており、自分の仕事に誇りを持ったプロフェッショナルだった。そんな素晴らしい人格を持った彼もこの田舎の町では人々にはよく思われておらず、局内でのパワハラだのセクハラだのといったあらぬ噂をたてられていたのだという。郵便局を土日も稼働させるという彼のアイデアは町の人々や日本郵政の上層部には非常に気に入られていたけれども、ほとんど1年365日働かされることになるといって部下の局員が反旗を翻し、町民の5分の1ほどを味方につけて彼に対するネガティブキャンペーンを不遜にも行っていたようだ。まあそんなこんなで局長は悪意ある中傷によって中学生殺害の犯人に仕立て上げられてしまったようだが、次いで周囲の人間が愚にもつかない振る舞いで良識ある人々を困惑させている間に、かわいそうなことに勇気ある局長は殺されてしまったのだ。

 死体はどこで見つかったのだろう。このあたりになると町の人々の口も重くなり、私のこれまで見ていた真実の景色に薄くヴェールがかかり始めた。ある人は砂浜に血まみれで倒れているのを見つかったと語り、ある人は自宅で首をつって死んでいるのを発見されたのだと私に語った。しかしおそらく局長の死体はその問題の沼地で発見されたのではないかと、私は推測している。何故人々がこうもばらばらなことばかりを言うのかはよくわからないが、局長が死んでよろこんでいる人間は私の想像以上に多く、警察も少年の時ほど熱心な捜査を行ってはいないようだ。さっきも触れたように局長は中学生殺害を犯した疑いの最も濃い人物であり、死体の発見される前日の午後には捜査官が郵便局を訪れて任意同行を求める手はずにもなっていたのだという。しかし局長は(これまた理由はよくわからないが)職場に姿を見せず、警察は局長が自分に捜査の手が及んできたことを知って逃走を図ったのだと考えていたらしい。現に局長はその日、夕方頃に駅のプラットフォームでふらふらと体を揺らしながら、通り過ぎる特急電車を食い入るように見つめていたのを何人かの町民に目撃されている。彼の他にはこれといった容疑者も出ていないため、警察としてはこれで何となくではあるが一件落着、といったような感じなのだろう。局長ははじめしらを切るつもりであったが、最後には観念した。そして自殺という形で責任を取った、という筋書きである。

 しかしばかげている。己の職務に燃える、責任感ある素晴らしい一社会人であったあの局長が、ガキを殺してそれが露見しそうになったからといってむざむざ自ら死を選ぶなんて、そんなことは絶対にあり得ない。

 もちろん私はその郵便局長に会ったことはない。郵便局を実際に訪れたこともなければ、顔写真すらも見たことはない。

 しかし一報道記者としての本能が、彼は犯人なんかじゃない、彼が犯人なわけがない、犯人はあの沼地に住むどこの馬の骨ともしれない、定職にもついていない薄気味の悪い若者二人なのだと、執拗に、義務感に駆られて囁く。

 これは面白いことになった。事件あるところで鼻がむずむずとしはじめるのは報道記者の体質とでもいうべきものなのだが、今回ほど私の胸をわくわくさせるような案件はこれまでには無かった。私は全身全霊をかけて沼地の二人組を追いつめなければならないし、彼らに社会的な制裁を加えなければならない。私は小さい頃警察官になるのが夢だったが、報道番組を作っているといつしか自分が世の悪を裁く法の執行者にでもなったような気がして、夢が叶ったというよろこびと快感で背筋がぞくぞくするのを抑えられないのである。しかしこれは私自身の楽しみのためだけでなく、何としてでも遂行しなければならない社会的な責務なのである。

 私は奮い立って、今夜もちょっとアカネをいじり倒して遊んでやろうという気持ちになった。今夜は乾杯だ。明日はあいつにファンデーションを少し濃く塗らせなくちゃいけなくなるかもしれない。

 男のプライドをかけて取り組める生涯の仕事があるというのは、何と幸福なことだろう。

 そうなれば準備しなくてはならない。早速明日から、沼地の二人組に関する調査をはじめてみようではないか。そしてその結果を私の報道番組で全国に知らしめ、人々に具体的なアクションを起こさせなければならない。私の使命、それは真に糾弾されるべき人間を俎上にあげ、社会の真っ当で清浄な価値観を保護し、そして何より視聴率を稼ぐことだ。私はジャーナリストであり、エンターテイナーであり、警察官であり、教育者であり、政治家なのだ。

 さあ、取材メモを作ろう。心の準備は整った。あとはもう一生懸命、自分を信じてやってみるだけだ。すべてうまく行けば、私はあの報道局に華麗に舞い戻って出世の道をまた一歩ずつ歩み始めるだろう。

 私は自分のアイデアに天にも昇るような気持ちになって、ふと台所の机を見る。また晩ご飯が用意されていない。アカネの後頭部を思い切り小突いてやる。アカネは目に涙を浮かべて何度も頭を下げ、「ごめんなさい、ごめんなさい」としきりに繰り返すだけである。イマドキのだらしがない主婦の一例として、私の番組で取り上げてやってもいいかもしれない。



(とあるテレビ局員の取材ノート 表紙の裏面に記された文章

 おそらく番組を制作する時のために台本の下書きをしていたものと思われる)


 おとうさん、おかあさん

 ぼく、しんじゃったよ

 かなしいよ、もっと生きたかったよ もっと生きたかったよ

 おとうさん、おかあさん、いままで育ててくれて、ありがとう

 ぼくは天国へ行くけれど、みんなのことを見守っているよ

 みんな、みんな、本当にありがとう

 みんな約束してね ぼくのこと信じてくれるって

 あのゆうびん局のおじさんは わるいひとじゃないんだ

 とってもきびしかったけど とってもいいひとだったんだよ

 ぼくをころしたのは わかいおとこのひとと わかいおんなのひとだよ

 あのきたなくて きもちのわるいばしょで ぼくはころされちゃったんだ

 とってもいたかったよ とってもかなしかったよ

 郵便局のおじさんは わるくない

 わるいのは あそこに住んでる わかものたちなんだ

 約束して ぼくを信じてくれるって

 そして犯人を ぜったいにつかまえてよ

 そして日本中のみんなに ぼくのこと もっと知ってほしい

 本当のことを 日本中のみんなに テレビで 知ってもらいたいんだ

 みんなのこと 本当に大好きだったよ

 おとうさん、おかあさん、学校の先生、ゆうびん局のおじさん

 みんなみんな 本当にありがとう

 ぼくのこと 忘れないで

 忘れないでね



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