7-2. 私は激烈に運が悪いんだった
(しくじった……!)
奴にお見舞いするつもりが、私の方が腹を貫かれたような衝撃を受けてしまった。宙を舞い痛みに散り散りになっていく意識をかき集め、なんとか思考を続ける。
人間にしろミスティックにしろ、私には魂と血の匂いが感じ取れる。たとえ辺りに血の匂いがどんなに充満していようとも、だ。一方で幻影術式で作られた幻には当たり前だが匂いが一切ない。故に私なら一発で見破ることができる自信があった。
しかしコイツは、人間ではありえないくらいに匂いが希薄であることを完全に失念していた。この場所に溢れかえった色んな血の匂いのせいで魂の微かな匂いさえも紛れ、実像と虚像を見誤ってしまった。
(だが、まだだ……!)
背中から着地して一度体が弾んだが、その瞬間に体勢を立て直す。たかが一発喰らっただけ。こっからもう一回巻き返して――
「ちっ!」
だが顔を上げた瞬間、おびただしい術式で私の目の前は埋め尽くされていた。
無数の術式が寸暇もなく押し寄せてくる。この弾幕をくぐり抜けねば奴には辿り着けない。だから防御術式を展開して無理やり押し通ろうとしたが、奴の術式に押し返されあえなく断念せざるを得なかった。ならば、と回避に舵を切ったんだが――
「……」
「このっ……!」
こちらの回避先を予測しているかのように、逃げた先々に女が現れやがる。
いや、「ように」じゃない。この女、実際に予測してやがる。
術式の展開先を巧みに操ることで、私が避ける方向をコントロールしてやがる。私としたことが、何たることだ。
術式を避ければ繰り出された細い腕と脚が耳元で風切り音を立て、立ち止まれば術式に袋叩きにされる。なんとか受け流して直撃こそ避けてはいるが、まずいな、流れは完全にコイツに持っていかれた。
どうにかして形勢を建て直さなければ。それは分かっちゃいるんだが。
「ぐぅっ……!」
逃げても耐えても攻勢に出ようとしても良いようにあしらわれるだけ。直撃だけは避け続けているがジリ貧なのは間違いない。何か手はないか、と役に立たない頭を必死に働かせるが早々妙案など出てくるはずもない。
「おおおぉぉぉぉっっ!」
「アーシェさんっ!?」
ならば強引に押し通るしかあるまい。ニーナの声が聞こえた気がするが心配するな。死にはしない。
術式の嵐の中を突破して奴に近づいていく。腕の肉はえぐられるし、脇腹を強かに爆風が叩いて内臓がひっくり返ったような衝撃が走り、口から赤いものが溢れてくる。だがそれも一瞬で回復していき、傷が瘉えてもなお残る痛みを無視して弾幕を突破した。
その先にあったのは――
「二人、だとっ……!」
使徒の女が二人。一人は術式の幻影だろうが、どちらが本体かなど一瞬で判別できようはずもない。
なら、信じるは。
「私の勘のみっ!」
向かって左側の女の心臓目掛けて腕を突き出す。指先から女の体に吸い込まれていく。だが――感触はなかった。
直後に私の腹に女の拳が突き刺さった。溜まっていた血が一気に口から噴き出し、撒き散らしながら地面を転がって、壁に強かに背中を打ち付けてようやく止まった。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
ニーナの叫び声が聞こえたが大丈夫なもんか、まったく。仕方なかったとはいえ勘なんて信じるもんじゃない。そういえば私は激烈に運が悪いんだったよ。こんな人生を歩むくらいにはな。勘で正解なんて選べるはず無いじゃないか。
激痛と運の悪さに悪態をつきたくもなるが、そんな暇を相手がくれるはずもない。とっさに床を転がればすぐそばで術式が炸裂し、衝撃に吹き飛ばされる。それでもなんとかグラグラする頭を上げて、次なる衝撃に備えようとした。
だがもう目の前に奴が迫っていた。
転がった私へと飛びかかってくるボロボロの白装束。フードがたなびき、端正な女の顔が一瞬だけ覗く。垣間見えたその視線で、奴の狙いが分かってしまった。
(コイツも――)
狙っているのは私の心臓だ。魂喰いたる私の心臓は貫かれようと奪われようと、いずれは再生する。だが奪われればここまで蓄えた魂も幾らか奪われてしまう。それを使ってミーミルの泉を作る材料の足しにしようという腹積もりか。
(させてたまるか……!)
とっさに胸を守ろうと腕を動かす。だが――間に合わない。
加速する思考に比べ動きは鈍い。時の流れがゆっくりとなった視界の中で、奴の腕が私を貫こうと後ろへと引き絞られる。そして私の腕が胸を守るよりも早く、女の腕が伸びてきて――
視界の隅を小さな金属の塊が転がっていった。
「……っ!?」
直後に、突然「ばいんっ!」という間抜けな音が響いた。衝撃に備えて伏せていた顔をあげれば、空中に浮かんだ透明な「板」に張り付いた女の姿があった。この光景、見たことあるぞ……!
心当たりの方へ振り向く。すると、投げ終わった後のキレイなフォーム姿のニーナがいて、私と目が合うとニカッと笑った。いかにも「褒めて褒めて」とすり寄ってきそうなその顔に思わず私も笑みがこぼれた。
ああ、良いとも。最高だよ、お前は。後でいくらでも褒めてやる。そのためにもまずは目の前の事を片付けるとしよう。
「お返しだっ!!」
地面を蹴り、腕を全力で突き出す。ニーナの魔装具でできた壁が破壊されて女が防御の体勢を取るが、それよりも一瞬早く私の腕が届いた。
皮膚を切り裂き、肉をえぐっていく。今度は感じる、確かな人体の温もりと肉の感触。
だが。
「くそっ、浅いっ!」
心臓を奪い取るには至らず、奴の胸にしまっていたミーミルの泉も掴むには至らなかった。
それでも今のは中々に効いたらしい。珍しく女からは反撃が飛んでこず、傷口の割に出血こそ少ないが、呼吸も荒く傷口を押さえて膝をついていた。
まさに好機。今までやってくれた事を倍返ししてやらねば、とまた地面を蹴る。しかし奴は今までと違う動きに出た。
今まで以上の数の術式が展開され、私を攻撃してくる。が、一つ一つの威力は弱く、着弾で生じた煙幕が奴の姿を覆い隠し始めた。
「逃げる気かっ……!」
煙の合間から見えたのは、おびただしい術式の奥で私に背を向けている女の姿。奴が向かったのは、戦闘中の部屋とはまた違う小部屋だった。暗闇に目をこらせば、奥に人がかろうじて通れるくらいの穴がある。戦闘中は気づかなかったが、私たちが来た道とは別ルートがあるらしかった。
「逃がすかっ!」
ここまで来ておめおめと逃げられてたまるか。そう思うが奴も必死なようで、一層激しくなった術式の弾幕のせいで中々距離を詰められない。
「ちっ!」
奴が逃走に極振りするとここまで面倒だとはな。歯がゆさを覚えながらなんとか術式の嵐を乗り越えたものの、すでに奴は小部屋の奥へと達していた。
(間に合わないっ……!)
匂いも希薄な奴である。距離が離れてしまえば後を追うことは難しくなってしまう。遠ざかる背中を追いかけるが、奴の方が単純な逃げ足はきっと速い。
もうダメか。ギリッと、悔しさに噛み締めた私の奥歯が鳴った。
その時。
「■■■■■ぁぁぁっっっっ――!!」
黒い影が使徒に襲いかかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます