5-2. さあ、始めよう







――Bystander






「――問題なし」


 バーナードは手元の用紙に横線を引くと目を閉じゆっくり息を吐いた。

 用紙には膨大な数のチェック項目が記載されていて、そのすべてに線が引かれている。いくつかの軽微な欠陥はあったが、それらは修正が完了している。「材料」についても精査してみたが、余裕があるとは言えないものの確保している量で幸いにも事足りそうだった。

 土の扉をくぐり、振り返る。

 彼がいた部屋に並んでいるのは奇妙な機械だった。一辺が数メートル程度の部屋の四辺には機械がぎっしりと並べられ、いくつも極太のパイプやケーブルが壁に開けられた穴の中へと伸びている。床と天井の一面には魔法陣が描かれていて、魔法陣はうっすらと輝きながら時折強めの光が魔法陣の線をなぞっていた。

 部屋の中心には小さな台座。一際白い光を放つその上には、緑色の宝石が輝いていた。

 アーシェならばこの景色を見てこうつぶやいただろう。「トライセンのラボみたいだ」と。それほどに部屋の様子は酷似していた。

 機械から台座に向かってケーブルが伸び、そこに刻まれた魔法陣が規則正しく明滅する。それはまるで、役目を本格的に果たそうとする時を今か今かと待っているかのようで、単なる道具でしかないはずなのにバーナードは頼もしく思えた。


「これで……」


 やっと、やっとあの頃に帰れる。バーナードの双眸から自然と涙がこぼれた。

 長く苦しい時間だった。狂っていく自らへの恐怖と、いっそ狂ってしまいたいという願望の間で激しく感情が振れる日々。悠久とも思える時を耐えて耐えて耐えて――そうしてここまで辿り着けた。


「――いや」


 まだ、まだ終わっていない。後少し、なんとしてもやり遂げなければ。ミーミルの泉を完成させて、その上であの頃に戻る・・・・・・方法を手に入れてこそ目的を果たせるのだ。それまで気を抜くべきではない。

 黒いローブの袖で目元を拭い、呼吸を整えて昂ぶる気持ちを抑える。その時、土を踏みしめるブーツの靴音が部屋で反響した。


「ああ、ちょうど良かった。たった今、すべてのチェックが完了したところだよ」


 バーナードは笑顔で振り返った。視線の先。そこに立っていたのは、全身を白で覆われた使徒の女だった。

 にこやかなバーナードに彼女は無言で答えた。何か不満があるかのような態度であるが、常日頃から彼女は余計なことを喋らない。だからバーナードも特に気にすることなく歩み寄り、彼女の手を取った。


「ありがとう。君らのおかげで完成させることができた。僕だけだったらきっと間に合わなかった……感謝してもしきれないよ」

「構わない。ミーミルの泉の完成を持ちかけたのはこちら。必要なバックアップをするのは当然のこと」

「それでもだよ。君にはずいぶんとひどい物言いもしたけれど、君がいなければここまでこぎつけることさえできなかったんだ。せめて礼くらいは言わせて欲しい」

「分かった。では謝意を受け取った」


 相変わらずの機械的な物言いだが、バーナードは妙な安心感を覚えて苦笑を禁じ得なかった。それだけ彼女と時間を共有してきた証拠であり、我を失って襲いかかろうが邪険に扱おうが決して自分から離れていかなかった彼女に対する信頼感がバーナードの中で醸成されていた。


「条件を確認する。必要な知識を得た後、ミーミルの泉宝石の所有権を放棄する。間違いない?」

「それで間違いない。ちゃんと――」バーナードは引き出しから紙を一枚取り出した。「契約は遵守するさ。ここに書いてあるとおり」


 術式的な制約を組み込んだ契約書を見せて微笑みながらうなずいてみせると、使徒の女もうなずき返した。


「そうであれば問題ない。期待している」

「ああ、期待して待っていてくれ」


 フッと軽く息を吐き、ミーミルの泉を取り囲む機械の前へ歩いていく。ボタンの一つに指を乗せるとバーナードは目を見開き、尖った歯を覗かせ笑った。


「さあ、始めよう――このクソッタレな世界にさよならするために」


 そうして彼は、人差し指でボタンを力強く押し込んだのだった。






Moving Away――






 陽もすっかり落ちたうえに、そこかしこへと好き勝手伸びた枝葉が空を覆い隠してるせいで完全に真っ暗になった冬山というのは、キャンプ好きでもなんでもない私をこの上なく打ちのめしてくれる。

 なんたってこの上なく寒くてそれだけでも気が滅入るというのに、やっていることと言えば現在進行系で凍りついていっている地面に這いつくばって少しずつ地面を削っていっていくという、字面だけ見ると頭のおかしいチャレンジ企画でしかない。

 平素ならば家に閉じこもって、チーズ片手にグリューワインで一杯やっているはずなのになぜこんな拷問じみたことをせねばならんのだ。クソッタレなことをしでかしてくれている吸血鬼野郎を今すぐにでも見つけ出してエンドレス往復ビンタでもかましてやりたい気分である。


「……」


 それでも手を止めないのはもちろん部下たちが黙々と作業を続けているからである。特にニーナは手を温めるための焚き火にも目もくれず、ずっと一心不乱に作業を続けている。元々魔装具の作業なんかでも長時間集中してるからこういった作業は好きなのかもしれんが、少し根を詰め過ぎだな。


「ニーナ」

「……」

「おい、ニーナ」

「……」


 二度呼んでも一切反応がない。このすさまじい集中力のおかげで数々のオリジナル魔装具が生み出されているのだと思うとなんとも頼もしい限りだが、今はそれが逆効果である。

 なので――ここは強硬手段に出るとしよう。


「あいたぁっ!? な、なんですかっ! またミスティックですかっ!?」

「違う」


 ケツを蹴り上げて作業を強制中断させると、ニーナの前にカップを差し出した。中では今しがた温めた酒が湯気を上げていて、私が先に一口飲んでみれば冷え切った体によく染み渡っていくのが分かった。安い酒だが、こういう時は実に美味く感じるな。


「休憩だ。これでも飲んで体を温めろ」

「ですけど時間が……」

「分かってる。だが冷えは思った以上に体力を奪う。作業を続けたいなら飯食って体を温めて体力を回復させろ。これは命令だ」


 強引にカップを手に持たせ、焚き火の側で炙っていた串刺し肉を押し付ける。それでもなおニーナは渋っていたが、肉を一口含むとどうやらようやく空腹を認識したようで一気に肉の塊を頬張り始めた。ちなみにカミルの方はセルフマネジメントを信用しているので心配していない。ちらりとみれば焚き火の側に座って同じ様に飯と酒を胃に流し込んでいた。

 二人が飯を喰ってるのを見てるとちょっと小腹が空いてきた。私も少し休憩するかと腰を下ろしかけたちょうどその時――異変が起きた。


「……なんだ?」


 ざわざわとした感覚が肌の表面を撫で回し始め、反射的に立ち上がる。だが近くの気配を探ってみても人間はおろか、ミスティックや野生動物の気配さえない。


「どうしました?」

「いや、なんというか妙な感じが――」


 新しい串肉に手を伸ばしていたニーナに対して首をひねりながら返事をしていると、突然地面が小刻みに揺れ始めた。


「じ、地震っ!?」

「またミスティックの大群のお出ましってか!?」


 ニーナとカミルが跳ね起き、武器を手に周りを見回し始める。だが、違う。周囲にはまったく生命の匂いがしない。


「一体何が――」

「あ、アーシェさんっ! 下、下見てくださいっ!」


 慌てた様子のニーナに言われて足元を見下ろす。そして、息を飲んだ。

 地中から噴き出していく淡く赤い光。それが線となってあらゆる方向へと走り出していき、瞬く間に土のベールをぶち破って複雑で緻密な模様を形作っていく。それと同時に色合いも段々と血を思わせる赤黒い光へと変化していった。

 これが意味することは、すなわち。


「まさか、これって……!」

「そのまさかだろうよっ!!」


 もっとも恐れていた事態が起きた。

 つまり、発掘が完了するよりも遥かに早く術式が発動したということに他ならなかった。





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