5-4 畜生な魂で、本当に良かったよ
「ふっ!!」
地面を強かに蹴る。またたく間に体は加速し、視界の隅で周囲の景色がひと繋ぎの線となっていった。
身を屈め地面を這うような姿勢で駆けぬける。接敵するまでの刹那の時間で奥底に眠る魂にアクセス。術式を引っ張り出してやれば、全身に浮かんだ魔法陣で周囲の黒を青白く塗り替えていく。体中に熱が駆け巡っていくのを感じ、その感触がやはりいつにもまして心地よくてついつい口端が吊り上げてしまう。
ミーミルの泉を取り込んだ化け物どもが振り降ろした拳が目に入った。それを軽くステップしてかわすと、軽く跳躍してそいつの横っ面を蹴り飛ばしてやる。直後に背後から別の化け物が、
宙返りをする私へと伸ばしてきた異形の腕を逆につかみ取る。着地の勢いを利用して投げ飛ばして頭から地面へ叩きつけてしまえば、潰れた最終兵器Gのごとくピクピクと体を痙攣させて見事に伸びた。これでコイツはしばらく動けないだろう。
だが安堵する間もなく背後から再び術式が飛んでくる。感覚だけを頼りに素早く身を翻して回避すると、そのまま飛行術式を展開して一気に夜空へと舞い上がった。
高みから下郎たちを見下ろせば、化け物連中も背中の翼を羽ばたかせて私を追いかけてきていた。よだれを垂らしながらカタカタと笑い声みたいなものを発しているが、なんとも醜い姿だ。
だがここまで離れていても感じる。強い匂いだ。間違いない。絶対に奴らは――美味い。
「落ちろカトンボがッ!!」
近づいてきた個体めがけて、少々魔素を込めた一撃を放つ。閃光を撒き散らすその威力に気付いたか、耳障りな羽音と悲鳴を上げて逃げようとするが、あえなく私の術式が飲み込んでいった。
爆煙が上がる。連中の姿が煙に包まれ、見えなくなる。だが視界など不要。焼け焦げた匂いの中でも決して紛れない魂の匂いめがけて私は夜空を翔けていき――
「おおおおおぉぉぉッッッ!!」
腕が化け物の胸を貫いた。
指に伝わる肉の感触。肉を裂き血が噴き出して、やがてその先にある目的の物――肉体から離れてなお鼓動を続ける肥大した心臓をしっかりと握りしめて腕を引き抜く。
血に塗れたおかげで生々しく、瑞々しく私の瞳に映る。唾液が溢れて止まらない。醜悪な肉体が力を失って地面へ真っ逆さまに落ちていくが、それには目もくれず私の瞳は久々の心臓に吸い込まれていた。
思考を空っぽにしてかぶりつく。その瞬間に広がる芳醇な血の香りと味。何よりも――
「あぁ……素晴らしい」
溢れ出す数々の魂が私という存在の乾きをこれでもかと潤してくれて、思わず顔がとろけた。
こんなにも美味いのはやはりミーミルの泉だろうな。味わいながら冷静に考えれば、思ったよりも魂の力と魔素が少ない気がするが、まあそれも劣化コピーだからだろう。
知を与える本来の役割とはもはや完全に別物だが、単純な戦力増強としては申し分ない。とはいえ、強制的に人間からグッバイさせられるんだから表立っては使えないだろうが。
「ああしかし、しかしだ。これは……クセになりそうだ」
味の面でも、『魂喰い』の腹を満たしてくれるという意味でもたまらなく後を引く。
果たしてこの中にどれだけマンシュタイン殿たちのような善良な人間の魂が含まれているのだろうか。そう考えると人間としての私は甚だ唾棄したくなるのだが、魂喰いとしての本能がもっと喰いたいと要求してくる。
善良な魂でも、取り込んだ持ち主が腐っていればこうも美味くなってしまうのか。悪人ばかりの魂だったならもうちょっと素直に受け入れられただろうに。
喰いたい欲望と嫌悪する理性。相反する感情。まだ魂喰いになりたての頃の私ならきっと拒絶し、己を嫌悪しながら本能に抗えず苦悩したことだろう。しかし今の私は、そんな青臭い感情をもう持ち合わせていない。
私が喰おうが喰わまいが、ミーミルの泉として使われてしまった人間たちは戻ってこない。私の感情など関係なく、それはもう誰が何と言おうが厳然たる事実である。
であるならば。
「アーシェさんッ、後ろ――!」
「分かっている」
そうであるなら――もっと喰わせてもらおう。
私の中に魂が蓄えられていけば行くほど、計画の実行が早くなる。そうすれば、素材となった人間たちを嘆く誰かが悲しむ時間も短くなるはずだ。活かせるものをくだらん倫理や理屈で活かそうとしないのはそれこそ無駄。そんな愚か者にはなりたくない。
というわけで。
ニーナの叫び声を聞くまでもなく、背後から迫っていた化け物の拳を後ろ手で受け止める。力任せに私を押し潰そうとしているようだが、やろうとするなら相手の実力を見極めてからにするんだな。もっとも、そんな頭があるようなら私を力任せにどうこうしようなど端から考えもしないだろうが。
指に意識を向ける。魂から際限なく湧き出てくる魔素を体に巡らせていけば力がみなぎっていき、あっけなく化け物の拳を握り潰した。
「■■■■■■ッッッ――!!」
「やかましい」
耳元で耳障りな叫び声が聞こえたので拳を頭目掛けて振り下ろしてやるとぐちゃり、と何かが潰れたような感触と音がして化け物が落下していく。このまま地面とランデブーしてくれてもいいんだが、コイツらの再生能力は半端ないからな。轢かれたカエルになったところでどうせすぐ元通りになるのが関の山だ。
なので。
化け物が落下するより早く地面に降り立つ。高速で落下してくるそいつを待ち受け、腕を勢いよく突き出す。一体目と同じように私の腕が胸を貫き、ミーミルの泉が癒着した心臓を引き抜くと化け物の体がビクンと一度跳ねて、それきり動かなくなった。
さて、これで残った肉体を食らうだけ、と思ったんだが。
「■■■■ッッッ!!」
まだ残りのエサは活きが良さそうだ。仲間がやられたというのに気にした風もなく襲いかかってくる。その本能に対する忠実さに、哀れを通り越して健気にも感じてくるから不思議だ。
私が二体を相手にしている間に術式を練っていたのか、力の籠もった術式を次々と放ってくる。ただの人間が受ければあっけなく焼き尽くされてしまうのが簡単に想像できる威力で、だがこの程度の相手に私が後退するなどありえない選択肢だ。
細い両足に力を込めて地面を蹴る。飛行術式に魔素を注いで加速。宵闇を貫いてくる敵術式の隙間を縫って接近すると、頭上から鋭い爪が振り下ろされる。が、それを軽くいなして懐に潜り込み、夜空へ向かって蹴り飛ばす。
さらに他の二体がタイミングを合わせて鋭い爪を向けてくる。多少は考える頭が残っているらしいが、それを軽く上半身を反らして避ける。そのまま二体の腕を蹴り上げると化け物の関節が砕けた感触が伝わってきた。
唾液を撒き散らして化け物どもがわめくが、さらに腕にかじりつき肉を抉り取る。細くなったそれを力任せに引きちぎり、先に蹴り上げた個体と同じく空高くへと殴り飛ばした。
「――貴様らが畜生な魂を持っていてくれて、本当に良かったよ」
化け物になったって同情なんてかけらもする気がおきないし、喰ったところで私の胸は微塵も痛まない。おまけにより一層美味く召し上がれるし、魂喰いとしては文句なしだ。
上空に舞う都合三体の化け物めがけて腕を突き出す。仄かに輝いていた自分の体が、青白さを増す。見上げた目の前に魔法陣が浮かび上がっていき、遠く落下する化け物どもが陣の中心に到達した。
瞬間、術式を解放した。
光の槍が夜空に伸びていって化け物共の腹をまとめて貫く。三体分の悲鳴が響き渡り、折り重なるようにして地面に落下して小さなクレーターを作り上げた。
化け物どもを貫通した術式が、織り込んでいた時限式の術式の発動によって無数の小さな槍に変化していく。かと思うと、今度は地面に向かって雨のように化け物どもへ降り注いで、全身を穴だらけにしていった。
「これで死なないんだから脅威は脅威だよな」
三体とも地面に縫い付けられてもはや虫の息という
「ともかくもこれで――」
ゆっくり喰える。さっきからもうたまらない。全身から流れ出る血が食欲を刺激して口の中は唾液を飲み込むので大忙しだ。
喜びに体を震わせながら首元にかぶりつき肉を飲み込む。血と肉が私の体の一部になり、魂が心を満たしていく。私の中に蓄えられていく魂。それを感じ、口元が緩むのを止められない。
もう他に生きてる人間も化け物もいない。だから何も考えずただただ目の前にある魂の塊を喰らっていく。心臓だけを喰らったまま捨て置いていた個体も合わせ、無言でバキバキと骨まで噛み砕き、余すことなく私の中へと取り込んでいったのだった。
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