5-4 魂ごと砕き潰してやろう

「――教えて下さい、大佐殿」


 アーシェが、顔を上げた。そこに表情はない。一切の感情を削ぎ落とした翡翠色の瞳がリンベルグを捉え、彼に問いかけた。


「どうして……このような事をお考えになられたのですか? プロヴァンスの地で静かに余生をお過ごしになるのではなかったのですか? 私のために、良い店を探して下さると言ってくださったあのお言葉は……嘘だったと理解して宜しいのでしょうか?」

「最後の問いについては謝罪しよう」


 リンベルグは銃口を彼女の顔に向けながら、落ち着いた口調で応じた。


「できるならば君と再び酒を飲み交わしたい。それは本心ではある。しかしそれよりも、優先すべきことがあるのだよ。決して君のことをないがしろにしたわけではない。が、君とできない約束をしてしまった、その事は謝らせてくれ」

「謝罪などいりません。今すぐ降伏して、大佐殿おすすめの酒を死ぬほど飲ませて頂けるのであればすべて水に流して差し上げましょう」

「それはできない」

「何故ですか?」

「我らは生きたいのだよ」


 静かにリンベルグは息を吐き出し、頬をわずかに緩め自嘲ともとれる笑い声を小さく漏らした。


「平穏などいらぬ……静寂などいらぬ……我らにとって戦場こそが生きる場所。我らは戦ってこそ、生きているのだと自ら知れる存在だ。戦いの無い、戦いから離れた人生など死んだも同然。故に……故に我らは戦わねばならないのだ。

 これは本能なのだよ。死を忌避し、生きたいと願う。そのためには常に戦っていなければならない。それにはこの数年もの間、王国は平穏であり過ぎた。私と同じく人生の半分を戦場で過ごした君だ。理解できるだろう?」

「……分かりませんよ」アーシェは唇を噛み締め、絞り出した。「私には分かりません。戦争など、無ければ無い方が良いに決まっています。

 戦いは人を狂わせる……望む者もそうでない者も。そうであったから奥方と娘さんも大佐殿を戦場から遠ざけようとしたのではないですか?」

「かもしれんな。だが――」


 リンベルグの口元が嬉しそうに歪んだ。アーシェに嫌な予感が過ぎった。


「もうすでに私を阻むものはいない。なれば望みに向かってひたすらに邁進するのみだ」

「何を言って――」


 彼の言葉が最初理解できなかった。が、唐突に浮かんだ答えに彼女は震えた。

 まさか、そんな。

 間違っていて欲しい、と思いながらも、その考えがおそらくは正しいだろうと直感する。

 空で稲光が瞬いた。それがリンベルグの眼鏡に反射し、彼は笑った。


「ああ、君の思ったとおりだよ。妻も娘も死んだよ。私が――殺した」


 事も無げに彼は告げた。罪の意識もなく、懺悔もない。当然の職務をこなした後のように爽やかに。

 アーシェの拳が震えながら握り込まれていく。唇の間から噛み締められた歯が覗き、ギリギリと今にも砕けそうに軋んでいた。


「リンベルグッ……! 貴様ァッ……!」

「彼女らのために君は怒ってくれるのだね。夫として、父として礼を述べよう。だが案ずることはない。彼女らはきっと今頃は神の下で穏やかに休んでいるはずだ。彼女もそう約束してくれたからね」

「彼女……?」すぐにアーシェは誰を指しているか理解した。「神……使徒のことかッ……!」

「そう。彼女は決して名乗らなかったが、まあ神の使いで間違いないだろう」


 またしても、またしてもあのクソの差し金か。

 街にあの女の匂いが残っていたため滞在していたのはアーシェも分かっていた。正直、リンベルグに接触している可能性は低くないとも思っていた。けれども、けれども……無関係であってほしいとも祈っていた。そんな祈りも、もろくも崩れ去った。当たり前だ。祈る相手が黒幕なのだからロクな結末にならないのは火を見るより明らかだ。


「天恵だと思ったよ。正直、計画を実行に移すのはもっと先の事に――それこそ寿命で死ぬ間際になることも覚悟していたからね。

 あちらはあちらで目的があるようだったが、そんなことは些細なことだろう。ああ、神など、クソくらえだとずっと思っていたから天恵というのは言いすぎかね? せいぜい多少は感謝してやってもいいという気になった程度かな?」

「……」

「だがこうして一隅ともいえる機会を得た。相手が何者だろうが今の私にとって重要なのはその事実のみ。

 もっとも、準備に必要な要求を律儀に飲んでくれた彼女だ。約束も履行してくれただろうから、妻と娘のことも間違いなく悪いようにはしていないはずだ」


 家族の事を、まるで些細なことだとばかりにリンベルグは話す。濡れた眼鏡の奥の瞳に夫として、父としての色はなく、濃く残るのは彼が長年抱き、育て続けた狂気のみ。

 ただ戦場で生きるしかない戦士機械がそこにはあった。


「長いおしゃべりになった。君が抱いているであろう疑念には応えられたと思うがどうかね?」

「……」

「さあ構えたまえ。ここまで追いかけてきたのだ。存分に殺し合おう生き抜こうじゃないか」

「――私は」


 相対するリンベルグの銃口が向けられる中、アーシェは静かに空を仰いだ。

 強かに雨が顔を打ち付ける。前髪が張り付いて目元を覆っているが、今は都合が良かった。


「私は、正直なところ期待していました。

 神が余計なちょっかいを出していることは分かっていましたし、おそらくは大佐殿もあのクソッタレにそそのかされているのだろうと、そうであってほしいと期待していました。しかしそれが思い違いだと、よく分かりました」

「分かってくれたようで何よりだ。それで、どうするかね?」

「決まっていますよ」


 顔の向きをゆっくりと雨雲からリンベルグへと戻していく。

 目を閉じる。彼女の左手が自身の顔を覆い隠し、濡れた頬を上から下へと拭う。その手が顔から離れると、彼女の瞳が吸い込まれそうな金色に輝いていた。


「ここにいる全員――魂ごと砕き潰してやろうじゃないか」






 アーシェが宣言した直後、世界を取り巻く空気感が変化したことをリンベルグは如実に感じ取っていた。

 粘りつくような感覚。まるで血と泥が全身にまとわりついているようだった。


「ようやく本気で戦う気になったか……!」


 昔からそうだ。リンベルグはアーシェを見つめながら昔日を思う。

 敵――彼女の認識の上で、だ――には苛烈で容赦もなく襲いかかるが、一度彼女が心を許した相手に対しては中々本気になりきれない。たとえ、裏切り者だとしても、である。

 だから今までリンベルグを相手にしても、彼女は本気で「殺そう」とはしていなかったのだろう。多少の負傷は与えたとしても、なんとか死者を出さずに収めようという意識があったはずだ。

 それが消えた。今、目の前の少女の姿をした存在は我々にとって怪物と完全に化したのだ。間違いなく――殺しにくる。

 銃を構えながらリンベルグは身震いした。


「それでこそ――私が欲していたものだっ……!」


 しかしそれは畏れではあっても恐れではない。それこそが待ち望んでいたもの。今感じているこの緊張こそ――「せい」の緊張だ。


「諸君っ!」


 自分の足元で、同じ様にアーシェからのプレッシャーを感じているであろう同志たちにリンベルグは呼びかけた。


「今からが本当の闘争であるッ! 我々が待ち望んでいた瞬間が今から始まるのだッ! 全員心して敵に当たれッ!!」


 すると、それまで沈黙していた兵士たちも我に返り、一瞬の静寂の後で一気に怒号のような雄叫びが上がった。


「ただしッ! 敵は『紅』一人にあらずッ! 我らが目的はさらなる混沌の拡大であるッ! よって半数は予定通りランカスターへ侵攻を継続し、半数は私とともにこの場に留まり『紅』の殲滅に当たるッ! 以上だッ!!」


 普段の物静かな様子とは異なり、土砂降りの雨音にも負けない迫力で叫び返す。その様子は、聞く者に疑いを持たせないカリスマがあって、いかに彼が優秀な指揮官でもあったかを如実に示していた。

 彼へ全幅の信頼を寄せた兵たちが自ずと半分に別れていく。半数は銃口をアーシェへ、そして残りは戦車を含めて当初の目的地であるランカスター共和国へと向かっていった。


「――させるか」


 それを見てアーシェが動く。金色の瞳が移動を開始した兵士たちを捉え、全身から青白い光を発すると周囲に一瞬で魔法陣が出現した。

 そうはさせまい、と残った兵士たちもまた一斉に術式を発射した。光の雨が重力に逆らって空へ降り注いでいき、アーシェの姿が煙に包まれていく。


「おおおおぉぉぉぉぉっっっ!!」


 そこにリンベルグと、彼と同じく飛行用魔装具を装着した兵士たちがアーシェ目掛けて突進していった。術式を連射しながら接近し、やがてそのうちの一人が雄叫びを上げて煙の中へと突入していく。

 煙の中を抜けたその先。兵士の瞳にアーシェの無防備な背中が映る。

 口元を思わず緩ませ、彼は迷わず銃剣を突き出したのだった。

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