5-3 おとなしく寝てろッ!

 再び鳴り響いた魔導戦車の砲撃が戦端となった。

 激しく周辺の空気を揺り動かし、アーシェが立っていた場所が爆ぜる。それを皮切りに魔導戦車およびその他兵たちを載せたトラック型の戦闘車両が進軍を開始し、ランカスター共和国へと迫っていく。


「……ちぃッ!」


 砲撃が着弾する直前に飛翔して避けたアーシェは、舌打ちをして侵攻していく戦車たちをにらみつけた。

 眼下に広がるのは二両の魔導戦車と六両の小型戦闘車両だ。人員はせいぜいが五十人にも満たず、これだけで戦争などできるはずもない。だがリンベルグたちにとってはそんなことはどうでも良いのだと彼女も理解していた。

 彼らの目的はあくまで闘争の中に自らを置くこと。勝敗など些細なことであり、気を微塵も抜くことなどできない本気の命のやり取りの結果ならば、死しても構わないと思っている。


「バカどもがッ……!」


 絞り出すようにして吐き捨てると、アーシェはおびただしい数の魔法陣を展開していった。

 ここに来てポツポツと雨が振り始めた。黒々とした雨雲が薄暗く地上を染めるその中で、彼女の全身が青く光を発していく。


「行かせるものかッ!!」


 アーシェの放った術式の嵐が地面を次々と穿っていった。小さなクレーターが幾つも出来上がり、しかしながらリンベルグ麾下の兵士たちは密集して防御術式を相互に共振させていく。数十人にも及ぶ密集防御術式が展開され、不完全ながらもアーシェの術式に耐えきった。


「ちっ、加減が過ぎたかッ!」


 思った以上に防御が固かったことにアーシェは苛立ちを顕わにする。ならば、とさらに魔素を注ぎ込み魔素方程式の演算式を強力なものに切り替えていった。

 再び魔法陣が大量に展開されていく。アーシェの金色の瞳が魔導戦車に乗るリンベルグを捉えると、自然と唇を噛み締めた。


「今度こそ止めてみせ……ッ!?」


 輝きが増し今にも術式が解き放たれようとして、しかしそれが放たれる前に地上を走る兵士たちから放たれた凄まじい数の術式がアーシェに襲いかかってきた。

 それら攻撃は防御術式に阻まれてアーシェには届かない。それでも弾幕は彼女の視界を塞いでいく。

 アーシェはそれを嫌って回避へと舵を切った。地上から向けられるおびただしい術式。雨空に光が次々と突き刺さっていくが、その間を素早く縫って避けていく。


「おとなしく寝てろッッ!!」


 地上からの攻撃を振り切ったアーシェから術式が放たれる。先程よりも威力を増した攻撃が兵士たちの防御術式を突き破り、トラックを貫いていった。それにより数台がダメージを受けたが、それでもまだ部隊の大部分が致命傷を避けて再度アーシェに向かって果敢に攻撃を繰り出していく。


「ちぃっ!」


 術式が爆ぜ、衝撃がアーシェの赤毛を揺らすも彼女は空を泳ぐようにして術式の雨をかわしていく。そして再度術式を展開して地上へ向き直り――彼女は目を剥いた。


「広域爆撃術式弾、装填ッ!」


 魔導戦車の砲身が彼女に向けられ、側面に魔法陣が浮かび上がっていく。

 まばゆいばかりに砲身全体が輝いていくのを認めたアーシェは、攻撃を止めて回避に移った。


「奴を逃がすなッ! 閉じ込めろッ!」


 だがリンベルグの命令を受け、兵士たちから放たれる術式が彼女の行く手を阻んでいく。ならば強行突破するまで、とアーシェが防御術式を強化して弾幕の中へと突っ込もうとした。

 その瞬間、攻撃術式に混じって放たれた閃光弾が目の前で炸裂した。


「しまっ……!」

「今だッ! 撃てぇッッ!!」


 車長の号令と同時に、二基の戦車が一斉に火を吹いた。凄まじい衝撃と轟音を響かせアーシェ目掛けて巨大な術式弾頭が飛来していく。


「くっ……!」


 視界を奪われたまま、アーシェは聴覚と気配だけを頼りに速度を上げて砲弾を振り切ろうとした。だが砲弾の方が速い。見えない中で彼女はそれを感じ取ると急旋回をし、すると追尾しきれなかった砲弾が彼女のすぐ横を通り過ぎていく。ぼやけた視界でそれを確認し、彼女は胸を撫で下ろした。

 だが。


「油断が過ぎたな、シェヴェロウスキー大尉」


 微かに届く静かな声。それはとても小さな声で、周囲を取り巻く術式や砲弾の音でかき消されて然るべきものだ。なのに、アーシェにはハッキリとその声が聞こえた。

 視界の隅で巨大な砲弾が通り過ぎていく。そして、その影に隠れていた遠く小さなリンベルグの姿がアーシェの瞳に映った。

 脚と背面に新型の飛行用補助魔装具を付け、アーシェと同じ高さまで彼は昇ってきていた。術式銃を構え、舞い上がる風に吹かれながら照準器を静かに覗き込む。その中に映るのは――打ち上げられた戦車の砲弾。

 表情一つ変えること無くリンベルグは引き金を引いた。

 次の瞬間、アーシェの姿が爆炎に飲み込まれた。誘爆された砲弾の威力は単なる術式銃とは比べ物にならない。苛烈な爆風と火炎が周囲一帯を吹き飛ばし、燃やし尽くしていく。その衝撃は遠く離れていたリンベルグをも弾き飛ばし、なんとか彼も体勢を整えると真っ黒な煙に包まれている上空を見上げた。


「やった……?」


 戦車のハッチから車長もまたアーシェがいた場所を固唾を呑んで見つめていた。あれほど地上から放たれていたおびただしい術式も今は鳴りを潜め、誰もが静かに英雄たる「紅」の所在を確かめようとしていた。

 雨脚が次第に強くなっていく。大粒の雨がトラックの荷台を強かに叩き、音を奏でる。

 リンベルグも上空で一人、じっと煙の中をにらみ続けていた。構えた銃を下ろすこともなく少しずつ煙の方へと近づいていき、やがてそのまぶたがにわかに開かれた。


「なん、だと……!」


 煙が雨に叩き落され、その奥からアーシェの姿がゆっくりと顕わになっていく。

 アップにまとめられていた長い髪は解けて風になびき、焼かれた毛先がちぎれて何処へともなく流されていく。頭部からは真っ赤な血を流し、着ていた戦闘服もあちこちが破けてボロボロ。しかしながら頭から流れる血以外に大きな傷はなく、顔を伏せたまま空中で静かに佇んでいた。


「化け物め……!」


 あれだけの威力でなお、致命傷を与えられない。その事実に地上にいる誰もが慄き唇を噛み締めた。

 これが英雄。これが……「小さな化け物」と敵兵から恐れられた「紅」の実力。

 彼女はずっと味方であった。だからその誉ればかりを耳にしていたが、戦地で彼女と相対した共和国や帝国の連中はこんな気持ちだったのか、と敵対して初めてその恐ろしさを実感していた。

 だが。


「上等ッ……、上等だッ!」


 車長は体を震わせ、冷たい雨に打たれてなお流れ落ちる冷や汗を感じながらも笑った。

 それでこそ戦場。それでこそ闘争。祖国を裏切り、軍を裏切ってまで仲間たちとここまでやってきた甲斐があったというもの。

 弱者をなぶることになど興味はない。ただただ自分たちは戦って戦って、心ゆくまで戦ってからその果てに死にたいのだ。英雄を相手に全力を尽くせるというのであれば、滾らない方がおかしい。


「次弾を装填ッ! 『紅』に我らが気概を見せつけてやるぞッ!」


 致命傷にはならずとも傷を負わせたのは事実。ならば、我らの力を以てすれば倒せない相手ではない。「紅」を打倒し、その先にある混沌へと自分たちは進むのだ。

 車長の号令に、アーシェを見上げて自失していた兵たちも次々我に返っていった。術式銃を構え、魔素を己が分身たる銃身に込めていく。そうして再び雨を斬り裂き上空の彼女へと無数の術式が襲いかかっていった。

 次々と爆発して黒い煙と橙の炎が彼女の姿を覆い隠し、やがて見えなくなる。その間、アーシェは意識でも失ってしまったかのようにピクリとも動かなかった。


「第三射ッ――撃てぇッッッ!!」


 車長が叫び、地面が割れたかのような音を響かせて砲身が激しく震えた。赤熱した砲身から放たれた砲弾が雨粒を蒸発させて白い糸を暗い空にたなびかせていく。

 轟音。

 アーシェに直撃した二発の砲弾が凄まじい火炎と爆風を撒き散らし、辺りが一瞬で昼間のように明るく染まった。巨大な煙がアーシェがいた場所を中心として広がっていき、誰もが今度こそ彼女を木っ端微塵に吹き飛ばしたと信じた。


「……え?」


 しかしアーシェは変わらない姿でなおそこにいた。

 先程の攻撃では多少なりとも傷を負わせることができていた。だが、今のアーシェを見るに、さらなるダメージを与えられたとは到底思えなかった。

 雨が何もない空間で弾ける。彼女の防御術式はそこに確かに存在し、それは全てを拒むかの様に強固である。放たれたどんな術式も、戦車の砲弾さえもアーシェ・シェヴェロウスキーには届いていなかったのだった。

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