5-1 最悪なことを伝えねばならん
「あっついですねぇ……」
声に振り向けば、少し離れた隣でニーナがぼやいていた。
帽子を脱いで額の汗を袖で拭ったかと思えば、迷彩服の胸元をはだけてパタパタと空気を送っている。ったく、はしたない。こら、仮にも仕事中なんだからビシッとしろ、ビシッと。
「ふわぁい……」
注意をしてみるがニーナから返ってきたのは気のない返事だ。まあやる気が出ない気持ちは分かるがな。
空を見上げればカラッとした晴天――ではなくてどんよりとした曇天。王国にしては珍しくジメジメとして蒸し暑い。そこに加えて目の前の連中の存在である。
「ミスティックにも正当な権利をッ!」
「ヘルヴェティアはエルフをいないものとして扱うなッ!」
王城と内閣府が居並ぶ目抜き通りを埋め尽くす人、人、人。エルフだったりドワーフだったりといったミスティック連中どもが、大声で雄叫びを上げながら絶賛デモ行進中なのであった。
デモ行進自体は王国で認められたれっきとした権利である。私たちにまったく関係ない話であれば勝手にしやがれクソ野郎とヤジの一つでも飛ばしてやっても構わんのだが、残念ながらデモとなれば市民の安全確保が必要であるわけで。
つまりは、街の兵隊さんたる我々が駆り出されるわけである。
「――ッ! ――ッ!」
血走った眼で喉を枯らしながら、最早なんて言ってるかも分からんことをまあ叫ぶ叫ぶ。ドンドンと太鼓を打ち鳴らすわ笛がピーピーと鳴り響くわと大騒ぎである。ただでさえこの天気で不快指数が高いってのに、目の前でこんなパレードなんだか抗議集会なんだかよく分からんどんちゃん騒ぎを目の前でされて、そのうえ連中の飛沫やら汗やら熱気やらが押し寄せてくるとかまったく、どんな拷問だ。
おまけに仕事と言っても基本的にはただ突っ立ってるだけである。デモのルートを制限するために人手だけは必要だが、連中が暴れ出さない限りは出番もない。ただ一日中ぽけ―っと、そのくせ人目はあるから見かけだけは取り繕ってキリッとしとかねばならん。しかも今日で二日目。ニーナじゃなくてもいい加減この場に大の字になってしまいたくもなろうというものだよ、ったく。
「そういえば――」
リンベルグ大佐殿が発ったのは昨日だったか。特に何か話は聞こえてこなかったから無事に旅立つことができたのだろう。であれば少佐殿たちの捜査で、大佐殿は無関係だと判断されたのだろうな。
「しかし……」
なんであれ無事に出立できたのであれば見送りに行きたかった。だというのにコイツらが昨日から一日中夜中まではしゃぎ回ってくれやがったせいでそれもおじゃんだ。クソが。
とか考えてたらデモ隊の一人が私の耳元で思いっきり笛を鳴らしていきやがった。
……よし、貴様。誰もいなくなったら頭からまるかじりしてやるから覚えとけ。
「物騒な事考えないでください」
ニーナからツッコまれた。むう、さっきまでだらけてたくせに何故分かったし。
「前も言いましたけど、結構アーシェさんって分かりやすいですよ?」
「むう、そんなはずは……」
「毎日観察してるとけっこう分かりますし」
このストーカー娘め。いや、しかしそういえばノアも似たようなこと言ってたな。いかんいかん。上官たるもの、仕事の時はいかなる時も威厳を持っていなければな。時々考えるくだらんことが筒抜けになってしまえば、またノアに「マスコット隊長」などと言われてしまうじゃないか。
『もう勘弁してくださいよ……』
おや、聞こえてたか? ふっ、そうだな。後で酒も貢いでもらったことだし、そろそろイジるのは止めてやろうか。
そう言ってやると、ノアもよっぽど恥ずかしいと思っているのかトランシーバー越しにもホッとため息が聞こえてきた。
だがその直後、にわかにレシーバーの向こう側が賑やかになってきた。
「どうした、ノア?」
いよいよテンションが振り切れたデモ参加者が所構わず暴れだしたかと思ったんだが、どうにも様子がおかしいな。
『ちょ、ちょっと待ってくださいっ!
――すみません、隊長! 応答願いますっ!』
「聞こえている。問題発生か? どこぞの阿呆がここを鉄火場と勘違いして術式の一つでもぶっ放したか?」
『い、いえ、そういうわけじゃないんですが……』
「ならばどうした? 状況を端的に報告しろ」
『す、すみませんっ! えっと、今クルーガー少佐という方がいらしてるんですが……』
「少佐殿が?」
なぜ少佐殿がノアのところに? 理由はともかくも、私に応答を求めてきたということは私に用事があるということだろう。
代われ、とノアに伝えようとしたのだが、それよりも早くノアから悲鳴じみた声が。そして私が再度問いかける前に少佐殿の怒鳴り声がスピーカーから飛び込んできた。
『聞こえてるか、シェヴェロウスキー大尉っ! 応答しろっ!』
「聞こえております、少佐殿。ずいぶんと慌てておられますがいかがされたのです?」
『バカッ、野郎が……ハァッ、ハァッ、のんきにしてる場合かッ!』
届く声に肩で息をする音が混じる。どうやら走っていたらしいが、あの少佐殿がここまで焦るのも珍しい。これはよほどのことが起きたらしいな。
「落ち着いてください、少佐殿。夜中に敵の戦車がテントに突っ込んで来た時だって冷静沈着だった少佐殿は何処行ったのです?」
『……ああそう、そうだったな。そういえばそんなクソッタレで最悪な出来事もあったな。だがな、大尉』少佐殿の声が、かすれた。『これから私は貴様にそれ以上に最悪なことを伝えねばならん』
「少佐殿がそこまでおっしゃるとは……一体何が?」
そうして私が聞いたのは――人生でも一、二を争う最悪な事実だった。
ショックを受けると、よく「膝から崩れ落ちる」と表現されるが、話を聞いた瞬間はまさにそんな心地だった。
「まさか大佐殿が……!」
戦争を企んでいる。
クルーガー少佐殿がもたらしたその一報は、どうやら件の武器商人から聞き出したものらしかった。
詳細は分からんが、私の情報を受けて少佐殿は武器商人であるハーン・クラーシン――あの日大佐殿と共にいた男だ――の内偵調査に乗り出した。
優秀な少佐殿とその部下たちだ。ものの数日でクラーシンの周辺を調べ上げ、そして見事に不審な金の流れが彼に繋がっている証拠を発見し、それを以て自身の工場にいたクラーシンを取り押さえてのだが、その口から聞き出したのが大佐殿の恐ろしい計画だった。
「私はただ、リンベルグ大佐にお力添えしただけですよ」
自身の工場で製造した魔導戦車の始動キーを大佐殿に渡し、輸送される列車の情報を伝えたクラーシンはそううそぶいて笑ったらしい。その眼は狂気じみていた、とは少佐殿の感想だが――
「これもあの女のしわざかっ……!?」
数週間前に見つけた女――使徒の痕跡。それは取りも直さず奴がこの街にいたという証拠だが、そのクソ女が一枚噛んでる。そう考えて差し支えあるまい。先日のトライセンの事件でもあの男の眼には狂気が混じっていたし、クラーシンが同じ様な目をしてたとしたら間違いないだろう。
(どうして……――)
あの日、大佐殿と会った時にその御心に気づけなかったのか。腹立たしくて腹立たしくてどうしようもない。叶うならば、のほほんと会話をしていた過去の自分の頭を撃ち抜いてやりたい。
『ともかく私はすぐに本部に掛け合う。クラーシンの話を信じるなら……リンベルグ大佐は輸送列車を乗っ取ってそのままランカスター方面へ攻撃を仕掛けるつもりだ。すぐに止めなければ本当に戦争になるぞっ……!』
デモ隊の相手をアレクセイに押し付け、本部へと走る私の耳に少佐殿の切羽詰まった声がトランシーバーから届く。
まったく同意だ。他国からすればとある軍人の暴走だろうが、正規軍の侵攻だろうが関係ないからな。まして周りの連中はどいつもこいつもいつ王国を自国に取り込もうかとそればかり考えてる。大義名分さえ得られれば奴らは喜んで戦争に乗ってくるぞ。
「承知しました。本部はお任せします。私は私で大佐殿を足止めしてみましょう」
『頼む! しかし、大尉。足止めと言ってもどうやって――』
ボタンを押して少佐殿との話を一方的に打ち切り顔を上げる。目の前には見慣れた長い無機質な壁が並び、上端からは軍本部の建物が顔を覗かせていた。
「フンメル兵長! 輸送科のフロアは何処だっ!?」
「は、はい! 確か手前から二番目の建屋の三階だったと思いますが……」
「感謝するっ!」
入口を警備するフンメル兵長から輸送科の情報を聞き出して本部建物へ駆け込む。飛行術式を利用して階段を一気に跳び上がり、三階に上がってすぐ真正面にある輸送科の安普請な扉を蹴破り、勢いそのままに飛び込んでいった。
「昨夜プロヴァンス方面に出発した輸送列車のダイヤを持って来いッ! それと鉄道路線図と地図だッ!!」
入ってすぐにあるカウンターから身を乗り出して叫んでみるが、全員がポカンとしてやがった。いや、分かる。突然こんなチンチクリンなガキが飛び込んできて叫べば訳が分からんと言いたいだろう。だがな、今はそんな事を気にしてる場合じゃないんだよ。
「その空っぽの頭をぶち抜かれたくなかったら早くしろッ!」
カウンターに大尉の階級章を思いっきりバンッ!と叩きつけ、連中にも分かるようにこれみよがしに魔法陣を輝かせてやる。するとようやく職員たちも再起動して、慌てふためいてダイヤ表と地図をカウンターの上に広げ始めた。
「最も国境に近い駅は……――」
王国の地図をにらみながら指で路線図を追いかけていく。
「テシェル……! ここかっ!」
戦争を起こすつもりなら列車で行けるところまで行けるはずだ。人よりは早いとはいえ、戦車の速度は列車には遠く及ばないし、搭乗者の魔素で補えるとはいえ遠ければ国境を超える前に燃料が尽きてしまう。そう考えると大佐殿の目的地は国境にほど近い都市、テシェルで間違いないだろう。
「ならばいつだ……! 大佐殿の乗った列車はいつ到着するッ……?」
時刻表をにらみながらダイヤグラムを辿っていく。だが列車はテシェルにまでは行くようにはなっていない。
当たり前か。テシェルに輸送する列車ではないからな。
ならば。地図と再びにらめっこを始める。ここベルンからプロヴァンスまでの距離と時間からラフに平均速度を算出し、それからプロヴァンスとテシェルまでの距離に当てはめると――
「十三時、四八分頃か……!」
弾かれたように壁に掛かっている時計に振り向く。刻まれていた現在の時刻は――十時五七分。
「三時間しかない、か……!」
いや。だがたとえテシェルに大佐殿たちが着いたとしても荷降ろしの時間に陸路を進む時間を考えればさらにもう一時間くらいは猶予があるはずだ。
なんにせよ、選択肢は一つ。行くしかない。
「すまないが借りていくぞッ!」
広げられた地図を掴みとり、外へと飛び出すと私はそのまま黒い雨雲が広がる西へ向かって飛んでいったのだった。
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