5-3 何処の畜生の所業だよ
「なんだ、これは……」
目の前にそびえる巨大なカプセル。サイズはざっくりだが直径一メートルに高さが二.五メートルくらいだろうか。下から魔法陣が淡く光を発していて、それが何本も並んで円を描いていた。
カプセルの上からは何本ものケーブルが伸びていて、ケーブルの一本一本に魔法陣が描かれている。その先をたどれば、私にもすぐには解析できない術式がびっしりと描き刻まれている天井に繋がっていた。さらにそこからもケーブルが伸びて壁際にぎっしりと敷き詰められた機械に繋がっている。
正直、こいつらが何の設備なのかはよく分からん。だがな……それがろくでもないものだってことくらいは、術式科学者じゃない私にだって分かるさ。
なぜなら――カプセルの中で人が溶けていたのだから。
「おいおい……こりゃあ何処の畜生の所業だよ」
カミルが呆然と呟く声が聞こえた。ああ、まったく、まったく同意するよ。
これは地獄だ。送り込まれた数多の激戦区でとんでもない地獄を見てきた自覚はあるがな、これはそれに勝るとも劣らない光景だよ。
カプセルの中で肉と骨だけになった目玉がギョロリと動いた。こんなこと考えたくもないがたぶん……まだ生きている。生きていて、生きながらにして緩やかに死に向かっている。
そして――おそらくはこれがマンシュタイン殿なんだろう。足元に殆ど原型を留めていない眼鏡が転がっていた。さらに奥には、まだ人としての形が残っている髪の長い人間と、子どもくらいの人間が浮かんだカプセルがあった。それが誰なのか、言うまでもないし言いたくもない。
「う……げ、えぇ……」
後ろでニーナが吐く声がした。一度吐いただけじゃ収まらなくて、吐き終えてもなお胃が中身を絞り出そうとしているみたいにえづき続けていた。
「カミル。ニーナを連れて上に戻れ」
私は慣れ過ぎて気にならないが、この部屋は血の臭いが強すぎる。ショックを受けた状態のニーナには辛いはずだ。
ニーナを支えながら今来たばかりの階段を登っていくカミルを見送り、カプセルに近づいて見上げた。
コポリ、と気泡が吐き出された。剥き出しの眼球が私を捉え、何かを訴えているようで、他のカプセルの中身も一斉に私に視線を向けてきた。
おぞましい光景だと思う。が、不思議と恐怖は感じなかったのは、私が人であることを諦めたからなのか、それとも同じくらい残酷な事をしてきたから感覚が麻痺しているからなのだろうか。
柄にもない感傷が胸を締め付け、拳が勝手に握られた。
そこにうめき声が響いた。
「う……なん、だ……?」
どうやらここの主が目を覚ましたらしい。初っ端の一発でふっ飛ばされて気を失っていたトライセンが頭を押さえながら立ち上がった。
まだ意識がハッキリしないのかフラフラしてたが、扉の惨状、そして我々の姿を認め目を剥いた。
「お前たち……! クソ、アイツらは何をやってるんだっ……!」
「アイツら」というのは白装束たちのことを指してるんだろう。そうそう、あの白装束たちが何者なのかもコイツからは聞き出さないとな。
だが、その前に、だ。
「大尉……」
「分かってる。すぐに殺しはしない。
ヴェラット・トライセン上席研究員。貴様に聞きたいことがある」
眼の奥底でとてつもない熱を感じながらトライセンににじり寄る。カプセルに映った自分の顔を見れば、勝手に瞳が金色に輝いていた。
(久しぶりだな……――)
こんなにも、喰らう事を待ちきれない相手というのは。
口が自然と歪み、トライセンと眼が合う。すると奴は私を見て悲鳴を上げた。なにせ手も足も、口も血まみれのままだからな。自分の末路など容易に想像できて怖いだろう?
「く、来るな……」
「まあ、そう言うな。私と少しお話しようじゃないか。なあ?」
「来るなぁっ!」
トライセンがポケットからハンドガンタイプの術式銃を取り出して撃ってきた。だが当然そんなもの聞くはずもない。豆鉄砲みたいな貫通術式が防御術式に弾かれて淡い波紋を立てるが、にもかかわらずトライセンは狂ったように引き金を引くのを止めない。
研究員としては優秀かもしれんが、魔術師としての能力は凡庸だろう。あっという間に魔素が尽きたらしく、ぐらりとよろめいて銃を落とし倒れ込もうとする。
が、そんなこと許すと思うか?
「ぐあぁっ!?」
トライセンを受け止めて――肩に噛み付く。服ごと皮膚と肉を噛みちぎり、肉を飲み下した後でもう一度そこに噛みつき、逆に私の方から魔素を流し込んでやる。どうだ? 魔素が補充されて気分がスッキリしただろう?
「ぐ、うぅぅ……」
「聞かせろ。この施設で何をしていた? 資金は何処からもらった? バックについてるのはどの国だ? それと、外の白装束連中は何者だ? そして――何故マンシュタイン殿も、その家族も手にかけた?」
質問しながら胸のざらつきがいっそう強くなるのを感じて、改めて思う。
私は、マンシュタイン殿もその家族も決して嫌いではなかったんだと。あの日の食事も、気まずいだけのものじゃなかったんだと。
あの光景をもう二度と見れなくなってしまったことが――こんなにも憎いとは思わなかった。
「だ、誰が答えるか……」
そんな私の感情を逆なでするようにトライセンは声を震わせながら鼻で笑ってみせた。いい度胸だ。その気概は嫌いじゃない。
だがな。
「ぎゃあああああああっっっっ!」
「答えろ」
手の指をまとめてへし折ってやると耳障りな悲鳴を上げた。だがそれだけで質問には答えなかった。なので、今度は右膝を蹴って骨を砕いてやった。
「ひい、ぎぃ……や、やめ……」
「なら答えろ。今の私は気が短い」
床に転がって心底怯えた眼で見上げてきながらも口をモゴモゴさせる。どうやら相当に言い含められてるようだな。本来ならここでアメの一つでもくれてやるところだが、そんな気分には到底ならない。
心臓の位置に手を当て、そこからゆっくりと心臓めがけて指をめり込ませていく。薄い肉が裂け、胸骨を圧迫して徐々にヒビを入れていく。するとじわじわと近づいてくる死の恐怖に耐えきれなかったか、「分かった! 話す、は、話す……!」と叫んでようやくさえずり始めた。
「こ、ここでわ、私は『ミーミルの泉』の研究を……して、いた……」
「ミーミルの泉?」
魔装具の通称か? アレクセイに視線で尋ねるが彼も聞いたことはないらしい。まあいい。後で私の中にある誰かの魂が知ってるかもしれんから調べてみるか。
視線をトライセンに戻せば、カプセルに囲まれた中央を見ていた。視線をたどるとそこには強固なガラスケースで囲まれた宝石みたいな結晶が転がっていた。やはり魔装具の類か。
「それで? そのミーミルの泉とやらは何のために研究していた?」
「それは……」
言い淀んだので胸に突き刺した指に力を込めてやると、観念したようにトライセンは歯を食いしばって口を開いた。
「完成すれば……それを身に取り込めば、あらゆる叡智を宿すことができるはず、なんだ……」
「あらゆる叡智、だと?」思わず鼻で笑ってしまった。「なんだ、一気に眉唾な話になってきたな。嘘ならもうちょっとまともな嘘をつけ」
「ほ、本当だ! 私は……自分の限界を感じていた。どれだけ努力を重ねようと、知を蓄えるには人には限界がある。
私は絶望したんだ。自分に。これではいつまで経ってもあの男……マンシュタインに追いつけないと……」
自身に根付く感情を思い出したのか、話しながらトライセンの眼に狂気が混じったのが分かった。口調に興奮が混じり、恐怖で震えていた声にも次第に熱が帯びていった。
「マンシュタインが……あんな男より私の方が優れた人間であるはずなんだ。あの男の下でいるなど……あってはならないことなんだ……!」
「ふん。だが実際に貴様はマンシュタイン殿の方が優秀だと認めたんだ。自分の方が優秀だと言うのなら放っておけばいいものを、殺そうとしたということはそういうことだろうが」
そう言ってやるとトライセンはクク、と笑った。開き直りとも、自嘲とも違う声色だった。
「そう、そうだ。そのとおり。認めざるを得なかったよ。奴は確かに優秀だったから。それでも私は絶望の闇の中であがいていた。
そんな時だったよ――神の使いが私の前に現れたのは」
トライセンの瞳に宿っていた狂気の色が変わった。
ちょっと待て。神の使い、だと?
「それは本人が名乗ったのか?」
「ああ、そうだ。フードを被って顔は見えず、男か女かも分からなかった。だが出会った瞬間に確信したよ! 確かにそいつが神の使いだと!」
目を見開いて、狂気が一気に噴出したようにトライセンが顔を紅潮させて喋りだす。聞きながら、ただでさえ最悪だった私の気分が底抜けに最悪になった。
残念ながらトライセンの言ってる事は本当だろう。私には終ぞ理解できんかったが、どうやら神の使いに会えば、選ばれた人間は一発で分かるらしい。カリスマみたいなもんなんだろうが、ともかくもここじゃそういうものらしい。
ああ、もう。クソったれ。最悪だ。最悪最悪だ。いよいよあのクソどもと再会か? できることなら一生出会いたくなかった。が、いいさ。会ったら会ったで――その喉元喰いちぎって、クソでも塗りたくってやろうじゃないか。
「貴様が天からやってきたアイドルに興奮するのは勝手だが教えろ。そいつはお前に何を伝えた?」
「――叡智を得る手段を」
「それが、さっき言っていたミーミルの泉、というやつか?」
「そうだ。そのための装置の作り方を教え、必要な人手、資金源となるパトロンを連れてきた。それから――必要な材料も」
「材料だと……っ、まさか……!」
材料と聞いて、私は直感し見上げた。すぐ横のカプセルとボロボロになった人間。即座に理解することさえ難しい精緻で複雑に入り組んだ魔法陣。
つまり。
「そうだ――人間の頭脳、そして魂さ」
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