4-3 単刀直入に聞きますね
その日からトライセンは頻繁に壁にぶち当たるようになっていった。
これまでのように仕事が上手く進まなくなり、時間と予算ばかりを消費して思うように結果が出せない。
時間こそ掛かるようになってしまったが、なおも彼は優秀だった。一般的な期間と予算できちんと研究成果を出せてはいた。周りの見る目も変わったというようなことはない。
それでも、それでも。
彼は許せなかった。「格下」だと思っていたマンシュタインが、実は自分より優れた研究者だと認められなかった。なにより、あの程度の相手にも自分が劣っているなど許すことができなかった。
絶対に負けない。よりいっそう彼は研究に没頭した。けれど、思い描いていた自分にはいつまで経ってもなれない。輝かしい成果を残していた過去の自分に追いつけない。それどころか、どんどんと引き離されていく。
もっともっと知識を。もっともっと鋭いひらめきを。そう求めて彼は突き進み、そんな時――
「う……」
当時の感情をまざまざと思い出してしまい、ひどい頭痛が襲った。気分が悪く、吐いてしまいたい。
ダメだ。まだ、今日も自分にはやらなければならないことがある。いいところまで進んでいるのだ。後少しで――
(知の結晶を……)
手に入れられる。そう自分を奮い立たせようとするが、夜な夜な寝る時間も削って研究を続けていた体はかなり限界に来ていた。
少し、少しだけ仮眠を取ろう。
たまらずそう考え直し、泥の中を歩くようにしてアパートの階段を登っていった。
(……なんだ)
そうして家の前までたどり着いて鍵を開けようとしたトライセンは、玄関の扉の隙間に紙が一枚挟まっていることに気づいた。大家からの知らせだろうか。手に取って折りたたまれた紙を開き、彼は目を見開いて震えた。
フランツ・マンシュタインの事について、お話があります。
そう書かれた文章を何度も目が往復し、彼は弾かれたように顔を上げた。
左右を忙しく動かす。近くで誰かが見張っていないか確認するも、人の気配はない。じっとりと手に汗が滲んだ。心臓が早鐘を打ち、それでもなんとか大きく息を吐いて震えが止まる程度には気を落ち着けることに成功した。
登ってきた階段を足早に降りる。指定されたのは街の外。東の方にある、森と呼ぶには少々はばかられる木々の林立する場所だった。先程までの疲労感は吹き飛び、勢いよく車に乗り込むと紙に書かれていた場所に向かっていった。
森の近くにボロボロの自動車を停めて降りる。辺りに人気はない、不気味な場所だった。緊張から強く親指を噛む。彼は不安に満ちた表情で、周囲を注意深く窺った。
「――待ってました」
そんな折に木立の間から姿を見せたのは、トライセンも知っている女性だった。
ニーナ・トリベールが彼を睨んでいた。
「君は……」
「はい。第十三警備隊のトリベール特技兵です。先日、研究所でもお会いしました」
「そう、そうだ。そうだったね。……君がこの手紙を?」
ニーナは近寄りながらうなずいた。その目には怒りが滲んでいた。
「単刀直入に聞きますね、トライセンさん。
――マンシュタインさんとご家族をどこに連れて行って、何をしたんですか?」
「……ちょっと待ってくれ。君が何か知ってるんじゃないのかい?」
トライセンは心臓が跳ねるのを感じた。だがそれを押し隠し、怪訝な表情を作り上げて車の中でシミュレートしていたセリフを口にする。
「教えてくれ。私もマンシュタイン主席の事を心配してるんだ。もし何らかの手がかりがあればと思ってここにやってきたんだよ。君が何か知ってるなら協力して――」
「とぼけないでくださいッ!!」
取り繕った笑みをトライセンは浮かべてニーナに歩み寄ろうとする。だが彼女はいっそう激高し、怒鳴り声が木立の中で反響した。
「もう分かってるんですよっ! 貴方がマンシュタインさんを誘拐したって……それどころかマリエンヌさんやエリーちゃんまで連れ去るなんて。なんてひどい……!」
「……誤解だ。私はそんなことしていない。ともかく落ち着いてくれ。私の話を聞いてくれれば――」
「こっちに来ないでッ!」
大声で叫び、しかしニーナは胸に手を当てて深呼吸した。気持ちを落ち着ける仕草をし、改めてトライセンをきつく睨みつけた。
「……まだシラを切るんですか? 貴方がしたことは私には全部分かってるんですよ」
「……何を言ってるのか分からないな」
「いいです。なら教えてあげますよ。貴方が――いかにマンシュタインさんに嫉妬してたか」
嫉妬。その言葉が耳に入った途端、トライセンの取り繕いが崩れた。
「この間の聴取だとマンシュタインさんが悩んでいたって言ってましたよね? けど本当は、悩んでたのはトライセンさん、貴方の方だったんじゃないですか?」
「そんなことは……」
ない。言いたくても言葉が出なかった。その様子を見たニーナが嗤った。
「最近仕事が上手くいってないんでしょう? 他の研究員の方たちに聞きました。毎日遅くまで悩まれてるみたいじゃないですか。
なのに、マンシュタインさんの方は順調そのもの。家族も大切にして、それでいて仕事も上手くいってた。一方でトライセンさんは寝る間も惜しんで努力してるのに成果も出ない」
「やめろ」
トライセンは耳を塞ぎたかった。なのにまるで金縛りにあったみたいに体が動かず、喋り続けるニーナを眺めるだけだ。整った顔だ、と初めて見た時に思ったニーナの顔がひどく醜悪に歪んで見えた。
「毎日楽しそうに研究に取り組むマンシュタインさんの姿。毎日やつれて夜も眠れずに没頭しても進まない自分の仕事。貴方はマンシュタインさんに嫉妬した。その才能の違いに。研究者としての素質の差に」
「やめろ」
「自分よりもマンシュタインさんの方がずっと優秀だってことに貴方は気づいた。自分ができないこともマンシュタインさんなら簡単にできてしまう。ただでさえプライドの高い貴方にはそれが耐えられなかった」
「やめろ」
「気づいてしまったんでしょ? どれだけ頑張っても貴方はマンシュタインさんには絶対に追いつけない。あの人から見ればトライセンさんはしょせん無能。そんな状態が許せない。だから貴方はマンシュタインさんを殺そ――」
「やめろといってるだろうがぁッッッッ!!」
気づけばトライセンは拳を振り下ろしていた。
柔らかな肉の感触、そして衝撃と鈍い音。彼は自分でも驚くほどの速さでニーナに詰め寄って、その顔を殴り飛ばしていた。
「はぁっ、はあっ、はぁっ……!」
息を荒げ、動かなくなったニーナを見下ろす。頭の中が沸騰したように熱かったが、横たわるニーナを見ていると徐々に冷静さが戻ってきて、今度は逆に顔から血が引いていった。
とんでもないことをしてしまった。トライセンはしゃがみこんでニーナの呼吸を確かめるが、どうやら単に気を失っているだけのようだ。
胸を撫で下ろし、しかしふと落ち着いてみればこれはチャンスではないか、と気づいた。
ニーナ・トリベールについて、調べはついている。忌々しいマンシュタインと同等以上に語り合っていたのだから、特技兵ながらその知識は相当なもののはずで、しかも若いといううってつけの人材である。
「先日の時は邪魔が入って失敗したらしいが……」
何という幸運だろうか。冷や汗が今度は熱を持って立ち上っていくような興奮を覚え、トライセンはその落ち窪んだ瞳をぎらつかせると、ひっそりとした木立目掛けて叫んだ。
「おい! どうせそこら辺にいるんだろっ! 出てこいっ!!」
木々に声が反射していく。その音が宵闇に吸い込まれていった頃、幾人かの白装束を着た男たちがぬるりと影から姿を見せた。
「その女をラボに運ぶ。お前たちは担いで追いかけてこい」
白装束たちの返事も待たないまま――そもそも返事を期待してもいない――トライセンは一方的に言い放つと、自分は自動車に乗り込んで発進させた。
木々の間を走る曲がりくねった山道を進む。運転しながらトライセンが後ろを窺えば、少し遅れてニーナを抱えた白装束たちが追いかけてきている。それを確認したトライセンは満足そうに小さくうなずいてアクセルを踏み込んだ。
四十分ほど走っただろうか。首都からはだいぶ離れ、人里からも相当に離れた森の奥の小屋にトライセンはたどり着いた。
軒下には蜘蛛の巣が張り、壁面や屋根には蔦が絡まって朽ち果ててしまっているようにも見える。五分ほど白装束たちが辿り着くのを待つと、小屋――には入らず裏手に回っていく。そして土と雑草にまみれた地面を見下ろして、白装束たちに向かって顎でしゃくる仕草をした。
白装束の一人が地面に指を突っ込む。そこから力任せに腕を引っ張り上げると、土の下に隠れていた蓋が開いていって、中から地下へ向かう階段が覗いていた。
「女をよこせ。後は私が運ぶ。ご苦労だったな」
言葉とは裏腹に気遣う様子は微塵もなくトライセンはそう言い放った。そんな態度に白装束たちも気にした様子はなく、抱えていたニーナを渡す。
トライセンはニーナを肩に担いで階段を降りていき、白装束が再び蓋を閉じて元の土と雑草の地面に戻していった。
辺りが静まり返る。用は済んだ、と白装束たちは小屋に背を向け地面を蹴った。
直後――突如として術式が男たちに襲いかかった。
一人が巨大な白閃に飲み込まれ、大きく吹き飛ばされて木々の奥へと落下していき――
「ここまで道案内、ご苦労だったな」
――木立に声が響いた。
白装束たちの視線が一斉に注がれる中、隠密用の術式が解かれていく。すると、茂みに紛れていた迷彩服が現れた。
赤毛のつややかな髪。未成熟な少女の体と、それに不相応な皮肉げな笑み。アーシェ・シェヴェロウスキーがアレクセイとカミルを従えてそこにいた。
「コイツは返してやるよ」
そう言って引きずっていた何かを二つ放り投げ、白装束たちの足元に転がった。
それは白装束の男女であった。トライセンたちから離れて後方の警戒をしていた二人で、彼らは目を見開いたまま心臓だけをえぐり取られて絶命していた。
白装束たちの気配が変わったのがアーシェは分かった。どうやら完全に敵として認識されたようだ。
アーシェの口端が愉悦に歪む。黙っていれば愛らしい顔が敵意に満ち、鋭い犬歯がぷっくりとした唇の間から覗いた。
「毒にも薬にもならない味だろうが行き掛けの駄賃だ。
――貴様ら全員、喰らいつくしてやるよ」
Moving away――
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