1-3 私が良いところを見せようじゃないか
「シェヴェロウスキー中尉!?」
「まあ、そう焦るな」
「そんなっ! この人混みじゃすぐ見失ってしまいますよっ!!」
子供っぽい見かけに反して――いや、見かけどおりか――正義感は強いのだろう。ノアは頭上から私を睨みつけてくる。
良い。その熱さは到底私には持ち得ないものだが、嫌いじゃあない。
制帽の縁を軽く押し上げて視線を受け止め、そしてニヤッと口端を吊り上げてみせた。
「せっかくの都合の良い機会だ――ここは私が良いところを見せようじゃないか」
「中尉が?」
「ああ。寛容さを自負してる私だが、さすがにルーキーにマスコット扱いされたままじゃあ隊長として格好がつかないからな」
ノアの魂を喰らったわけではないが、顔が青ざめてることくらい背中を向けていても分かる。
それと。
「後ろで笑ってるカミル。貴様には後でケツの穴に爆裂術式花火を突っ込んでやるから覚悟しておけ」
「んなっ!? 勘弁してくれよ、隊長! あれマジで痛いんだって!」
やったことあるんかい。
まあそんなことはどうでもいい。後ろは放っておいて、早速仕事をしてみせようか。
意識を自身の内へと沈める。対象捕捉術式、遠隔追尾術式に関する術式方程式を参照。環境条件をインプットし並列演算開始。完了。即座にまぶたの奥の瞳に、人混みに消えた犯人の姿が映る。
「さて……」
しかしこうも人が多いとやはり邪魔だな。このまま術式を発動させてもいいが、万全を期すか。
飛行術式を展開し、空へ浮かび上がる。犯人を見つければ、その顔に安堵が浮かんでいた。どうやら逃げ切れた気分でいるみたいだな。だがそうはいかんよ。
ニヤッと笑い、パチンと指を鳴らす。それと同時に指先から光る縄のようなものが飛び出していった。
上空からまっすぐ犯人へ。高速で迫る縄に気づいていないのか、走る速度を緩めていたが、その体にまたたく間に縄が絡みついてあえなく転んだのが見えた。よし、捕縛完了だな。
そのまま飛行して男の元に降り立つと程なくアレクセイたちもやってくる。犯人を取り囲む中、ボロのフード部分をひん剥いて顔を検めた。
男は中年というにはまだ早すぎる頃合いだった。三〇に達するかどうか、という程度だが頬は痩せこけていて、シャワーもしばらく浴びていないのだろう、汗と埃でひどい匂いだった。そんな男の手に握られていたのはパンとベーコンが一切れずつ。
……なるほど、ここまで分かりやすいのも珍しいな。
「おい、お前」
「ひっ!」
「怯えなくても喰いやしない。その代わり私の質問に答えろ。名前と出身、それと歳は?」
「は、はい……も、モレノと言います。しゅ、出身はローゼンヌのオルベ村で、今年二八になります。お、お願いです。盗んだパンと肉は返しますから、だから鞭打ちだけは……」
「やらんやらん」
だがしかし、そうかローゼンヌの出身か。確か二年前にランカスター共和国がちょっかい出してきて戦闘になった地域だったな、あそこらへんは。戦争で農地を焼かれて、食うこともままならず首都まで出てきたが、金も職もなく腹が減って盗みを働いた、というところか。
男の胸ぐらを掴んだままだったが、顔の近くに引き寄せる。「臭い」を軽く嗅いでみるが、特に「臭い」はしなかった。美味そうなパンの匂いはするが。
「魂までは腐ってないようだな」
「は?」
「気にするな。独り言だ」
先日頂いた野盗連中。アイツらはまあ見事なまでに「香ばしい」かったが、この男は今まで真面目に生きてきたのだろう。幸いにして王国の人間のようだし、この場で処理してしまっても構わんか。他国の人間だったら面倒だったがな。
「お前、手先は器用か?」
「え? は、はい……人並み以上には」
「なら次の質問だ。もし職があったら真面目に働く気はあるか?」
男が勢いよく首を縦に振った。それを確認すると、いつの間にかグルリと周囲を取り囲んでいる野次馬どもに向かって叫ぶ。
「質問だ! ここにいる連中で、誰か人手が欲しい人間はいないか!? 年齢は二八の、痩せてはいるが健康な男だ! 手先も器用だそうだから役に立つぞ!」
途端に周囲がざわつき出す。たまたま居合わせた隣同士で囁きあう声がざわめきに変わっていき、やがてうるさいくらいになっていく。
「どうだ!? 今なら早いもの勝ちだぞ!」
「よしっ! ならウチで雇ってやる!」
もう一度呼びかけると、人集りの中からにゅっと金属製の手が伸びて野太い声が上がった。
出てきたのは白いコック帽を被ったパン屋のヒゲおやじだ。なるほど、コイツが盗んだのはこのヒゲのパンか。どおりで美味そうな匂いだと思った。
ヒゲは腕組みをしたまま小太りの体を左右に揺らして私と男に近づいてくると、鼻息をフンッと鳴らして男をジロリとにらみつける。
「ちょうど男手が欲しいと思ってたんだ。テメェが盗んだ分の弁償も含めてこき使ってやる。
おい、テメェ。今はどこに住んでんだ?」
「は、はい。今はその、橋の下に……」
「ふん、家無しってわけか。ならウチの屋根裏に住みな。言っとくが俺より早く起きて掃除してなかったらケツをひっぱたくからな。おら、さっさと立ちな。行くぞ」
「あ、あの!」
立ち上がらされたモレノが、信じられないという目でヒゲを見上げていた。ここまでトントン拍子に話が進めばそりゃあ訳が分からんだろうな。今の今まで追いかけられてた訳だし。
「ああ? なんだ?」
「ほ、本当に雇って頂けるんですか……? わ、私はさっき貴方のパンを……」
「さっきからそう言ってんだろうが。何を心配してんのかしらねぇがな――」ヒゲが私を見下ろしてニッと笑った。「アーシェの嬢ちゃんが『テメェは善人だ』って太鼓判押してんだ。何をためらう必要があるってんだ?」
……やれやれ、ここまで私を買ってくれるのはありがたいが、面と向かって言われると面映いものだな。
「あ、あ……ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!!」
「礼はいらん」ぐちゃぐちゃの泣き顔で私に向かって礼を繰り返すモレノのケツを叩く。「これで犯罪が減れば私の仕事も減るからな。ほら、さっさと立ってヒゲについて行け」
「いい加減『ヒゲ』呼ばわりはやめろって、嬢ちゃん」
「ならそっちも『嬢ちゃん』呼ばわりを止めるんだな」
モレノ以上に情けない顔を向けてくるヒゲおやじ――ルドマンを一蹴し、泣きじゃくるモレノの背中を見送る。ヒゲはぶっきらぼうな物言いだが面倒見が良い。あの様子なら大丈夫だろう。ま、様子見も兼ねてまたパンでも買いに行ってやるかな。
二人がいなくなるにつれて野次馬共も解散し、世間は通常営業に戻っていく。私も制帽を深くかぶり直し、顔をうつむかせてニンマリと口元が緩むのを隠した。
クク、さてさて。私の見事な大岡裁きは――この世界ではなんというのか知らんが――どうだったかな?
生意気言ってやがったノア坊やの間抜け面でも拝ましてもらおう、と振り返る。
「どうだ、ノア・リッツ准尉? 君のお眼鏡に――」
適ったかな? 皮肉交じりにそう続けて「ふふんっ」と胸を張ろうとしたのだが、振り向くとすぐ目の前にノア隊員が立っていた。
近づく気配を一切感じさせないその動きに面食らい、思わずそのみぞおちに一撃食らわせてしまいそうになったのだが、ノアは私が動くより早く私の手を取った。
まるで昔話に出てくるどこぞの騎士様のようにその場にかしずくと、その熱のこもった瞳を私に向けた。
「――一生、付いていきます」
……は?
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