そばかす
維 黎
Uターン
「――なんでなん? こっちで就職するって言うてたやん。面接も受かったんやろ?」
「うん。でも東京の会社も一つ受かってん。言うてへんかったけど……」
「なんやの、それ!? ……ほんなら、東京行くってことなん? なんでーや。おれらみたいな田舎の人間が、東京なんかでやっていかれへんって。地元の方がええって」
「ええことないわっ!! こんな……こんな狭苦しいド田舎の小さい島、どこがええんよ!!」
*
照明が明るく照らされている為、目を開けた瞬間の白さと真っ暗な車窓のコントラストがひどく際立って感じる。
いつの間にかウトウトとしていたようだ。揺れた車両の振動で目が覚めたのだろう。
単線を走る二両列車に揺られ、誰も座っていない向かいの窓に映る自分をぼぅっと見つめる春香は、ふと気づく。
(――あ、化粧してない)
車窓に映った顔の目元には、はっきりとそばかすが見て取れた。
就職して人前に出ることが多くなって、そばかすの浮いた顔が嫌になり、常にメイクで隠していたし、症状を抑える食べ物や薬などにも気を使ったりして目立たなくなるまで改善したのだけれど。
反射的に目元に指先を持っていくと特に違和感があるわけではないが、なんとなく肌がカサついているような気がした。
(――あれから十年以上たったのに。みっともなく
春香は今、列車に揺られ十二年ぶりに生まれ育った故郷へ戻る帰路の途中だった。
*
春香が生まれたのはW県の最南端。そこからさらに数キロ離れた離島。
今では本土と島は橋で繋がっているが、春香が子供のころは定期船かフェリーで行き来するしかなかった。
そんな島だからこそ、昭和の終わりごろから人口が減り始め、平成に入り春香が物心がつく頃には、近所には同世代の子供は少なく、小中が一緒の全校生徒は十数人といった具合だった。
ぽつぽつとあった近所は、年配の大人ばかりで唯一同世代の子供は二つ年上の
父の顔を知らない母子家庭で育った春香の家は、当然ながら母が朝から晩まで仕事に出ていたので一人の時間が多く、必然的に徹と過ごす時間が多かった。
徹の家でよくご飯を食べさせてもらったり、時にはお泊りもした。ちゃんと聞いたことはなかったが、おそらく母が徹の両親に春香の面倒を見てくれるよう頼んでいたのだろう。
一人っ子で父親もいず、家には母親もいないとなれば、二つ年上の徹のことを兄のように慕うのは自然の成り行きといえる。
当時は意識していなかったが、大人となり初恋は? と振り返るとすれば中学に進級したころだろうか。
すぐ近くに徹がいることが当たり前で、漠然とこれからもそうなんだと思っていた。
母が突然倒れ、この世を去るまでは――
急性くも膜下出血だった。
それまで年相応に都会に対しての憧れはあったが、地元を離れてまでの強い思いではなかった。ところが、母を亡くして身寄りがなく本当の意味での独りきりになったとき、島での暮らしが寒々しく、空虚なものに感じられるようになった。
心に生じたその思いは抑えがたく、急速に膨らんでいく。
進学は最初から考えていなかった。面接で受かったのは二社。
地元本土の大手スーパーと東京の家電量販店。
東京へ行くことに決めた。
*
初めてちゃんと付き合った人は、会社の先輩。
親身に指導してくれたこともあって、優しさと頼もしさを感じて好意を持ち、付き合うようになった。
期間は三年半。
三十代、四十代の結婚が当たり前になりつつある今の時代、二十二歳で付き合っている相手に結婚を強く意識するのは、早いかもしれないが早すぎるということはない。
幼少時代、恵まれた家庭環境だったとは言い難いが、春香は決して不幸だったとは思わない。
母は精一杯、自分を愛し育ててくれたと思っている。ただ、それとは別に、やはり家族に対して強い思いがあったことは事実だ。
家族が欲しいと思う気持ちは、身寄りのない今の境遇から来ていることは自分でも理解していた。
「――ねぇ、
本当はこんなこと話すつもりはなかった。
とある
「結婚? いや、まぁ、そりゃいつかはすると思うけど、今はまだなぁ。――なんで? 結婚したいの?」
「うん、まぁね。ほら、わたし身内って一人もいないじゃん? だから家族が欲しいかなぁって――さ」
内心での思いをごまかす為に、ちょっと軽い気持ちで聞いた――といった雰囲気を出すようにおどけるような口調を意識する。
相手の浩介は二十五歳。普段の言動から、まだまだ自由に遊びたい盛りだということは理解していた。だから――
「――そうだな。もう少ししたら考えてもいいかも――なっ、よっと、ほっ!」
スマホの画面から目を離さずに、おざなりな返事が返ってきても、多少腹立たしくはあったが大きな落胆はなかった。この程度のことは予想出来るほどには大人だと思っていた。――のちに自分が馬鹿だったと思うとしても。
*
ドラマか漫画の世界の出来事が自分自身に起こるとは想像もしていなかった。
浩介に二股を掛けられていた――ことではない。社長令嬢と結婚するために捨てられた、ということが……。
付き合っていた春香が思うのもアレだが、浩介は別段、イケメンってことはない。いたって普通のフツメンだ。
10人中、2、3人が『まぁ、いいんじゃない』というような感想を持てば良い方だろう。加えて仕事が出来る有能な男でもない。
そんな浩介に社長令嬢がゾッコンになったらしいのだが、今でも信じられないことだ。
本気で浩介との結婚を考えていた春香としては、簡単には納得できなかった。だから何度か浩介に対して、
『ひどい! 責任とって』
『この裏切り者! 許さない!』
と詰め寄った。
結果、逆にストーカー扱いをされて上司に報告された。
浩介には社長令嬢、言い換えれば会社がバックについているも同じだ。数週間後には春香が辞表を出すことになってしまった。
*
父の記憶はなく、当然ながら顔も知らない。離婚の理由は聞けず仕舞いだったが、おそらく母の男運が無かったのだろうと思っている。自分がそうだから。いや、同性にも恵まれなかったことからするともっと悲惨なのかもしれない。
ストーカー扱いを受けて会社を辞めたあと、職場を新しくするたびにセクハラにあったり、パワハラにあったりさんざんだった。
最後の勤め先は下着の工場で多くが女性だったので、男性からのセクハラやパワハラはなかったが――なぜか虐めの的にされた。
特に酷かったというわけではない。
会社の飲み会に誘われなかったり、食堂で誰も近くに座らず自分のまわりだけ人がいなかったり、ハンカチや化粧道具の小物などがなくなったりと、まるで小学生のいじめかと思うようなことではあったが。
ここ数年で心が疲弊していた。
会社を辞めて数か月はアパートに引き籠る毎日。
日々、鬱屈と過ごす。親戚縁者がいない為、誰かを頼るということも出来ない。
そんな折、ある日のTVでふるさと納税のCMが流れてくるのを見た。
春香にとっての故郷は、小さな、小さな離島。東京に出てきて以来、一度も
行く当てもないならどこへ行こうと同じ。それでも故郷を選択したのは、春香自身にも気づかぬ何かがどこかに残っていたのだろうか。
*
やがて列車はスピードを緩め、滑るように故郷の駅へと到着した。
扉が開いて外に出る。
十二年ぶりの故郷の空気は、東京のそれとは違い、思った以上に体にも心にも清々しさを与えてくれた。
「――あぁ」
ただ一言、吐息のように吐く。
胸中を埋めるこの思いは春香にもよくわからないものではあったが、想像していたよりも嫌な感じはしなかった。
改札を出ると少し開けたロータリー。
平日の昼時をだいぶ過ぎた時間帯ではあったが、駅前は閑散としている。
島までは徒歩で歩いていくには距離がある。タクシー乗り場はあったが車は止まっていなかった。
ふと見れば、止まっていた白いバンの運転席のドアが開いた――かと思うと男性が一人、降りてくる。
「――どうして……」
「本土って言うても小さい町やから。耳に入るんは早いねん」
どこか照れたようなその
「おかえり。ハルちゃん」
「――ただいま。トオルお兄ちゃん……」
***
世の中には自分よりつらい境遇 悲惨な体験 悲しい出来事に絶えて
懸命にがんばって生きている人は大勢いる
だから自分もがんばらなきゃ
がんばって前を向こうと思わなきゃ
そう励まされたりすることもあるだろう
でも私はこう思うのだ
必ずしも前向きにがんばらなくても良いんじゃないかと
他人の境遇と比較しても仕方がない
他人から見れば『その程度のことで』と思われたとしても
本人にとっては『これ程』のことなのだから
生きていくのなら 投げ出さないのなら
『その程度』の『これ程』のことを背負い続けて行くのに
少しくらい戻って休んでも良いんだって
今の私はそう思う
代わりに背負うのではなく
支えて一緒に歩いてくれる人が
消えなかった『そばかす』を見て
変わらんと帰って来てくれてうれしい
そう言ってくれたから
今は後ろ向きだとしても
また前を向いて歩いていける
ねぇ Uターンを2回すれば また前を向くよね?
――了――
そばかす 維 黎 @yuirei
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