Uターンできます

柚城佳歩

Uターンできます


本当、私のバカばか馬鹿!

どうしようもなくもやもやした時、あてもなく飛び出すのは昔からの癖だった。


最初は走って。

次は自転車。

免許を取ってからは専ら車で。

とにかく一人になりたくて、人がいなさそうな道へとハンドルを切る。


何かを断るのが苦手。そんな性格が災いし、次々頼まれる仕事を引き受けていたら肝心の自分の仕事が進まず、今週は残業続き。

悪い事は重なるもので、ここ数日は何かと不運の連続だった。


新しい靴を履いて出掛けた帰りに急な土砂降り。限定ランチは私の手前で終了し、財布を出したらばら蒔き転がる小銭。

お風呂に入れば電球が切れ、せっかく作ったお弁当を忘れてきた日もあった。


そして極めつけ。

私には一応、彼氏と呼べる人がいた。

いくつかの講義とサークルが同じだったその人に、大学の卒業式後、今思い返しても赤面してしまうような告白をされて、半ば押し切られる形で付き合う事を了承した。


引っ込み思案だった私の手を引いて、いろんな所へ連れて行ってくれた。

過ごす時間が多くなるにつれ、楽しいと感じる事も増えていった。


休日。たまにはショッピングもいいかも、と一人ふらりと出掛けた先、ジュエリーショップに入っていく見慣れた背中を見付けた。


お洒落な人だから、自分の為の買い物かもしれない。でもこのお店は、男性よりは女性向きなアクセサリーで有名だ。

私の誕生日が近い事もあって、もしかしたらなんて期待半分、好奇心半分。

気付かれないようにそっと様子を窺った。


見ていると、店員さんに出してもらった指輪を真剣な表情で見つめている。

まさか本当に…!と思った矢先、彼の隣に駆け寄ったのは見知らぬ女の子。


妹には見えない。

友達にしては距離が近い。

“浮気”の二文字が浮かぶ中、お店から出てきた二人と鉢合わせし、告げられたのは予想した通りの言葉で。


しかも相手の方が本命だったなんてなぁ…。


思い出す度に後悔と溜め息が尽きない。

冷静になった今振り返ってみると、相手の子は何というか、私と似たようなタイプだった。


遠距離の淋しさを埋める為?知るかっ!

平気で浮気する奴も最低だけど、見抜けなかった私も馬鹿だ。

お嬢さん、あんな最低な奴さっさと別れた方がいいですよ。誰にともなく呟く。


「あーー!もう!卒業式の日からやり直したいっ!」


ふと気付けば随分と山の奥まで入っていた。

目の前には暗い口を大きく開けた不気味なトンネル。…そろそろ戻ろう。

顔を上げた拍子に目に入った看板。


『Uターンできます』


何だこれ。Uターン出来るも何も、この先は行き止まりで戻るしかないじゃない。

首を捻っていると、看板の後ろ、ぼうっと人影が浮かんだ。

ゆ、幽霊…!?

場所的にも雰囲気的にも、そういうものが現れてもおかしくない。


そーっと後退していると、看板の影から誰かがひょっこりと顔を出した。

髪は肩で切り揃えられ、全体的に線が細い。

綺麗な顔立ちの中性的な印象の子ども。


足のある幽霊という可能性も捨て切れないが、万が一にも生身の人間だった場合、放っておくわけにはいかない。

震える足を気合いで動かし、思いきってドアを開けた。


「こんな所で何してるの?」


振り向いたその子と真っ直ぐに目が合う。心の底まで見透かされそうな不思議な色合いの瞳をすっと細めて妖しく微笑むと、看板を指差して言った。


「お姉さんは戻りたい人?」

「え?」

「噂を聞いて来たんじゃないの」

「噂って…」

「過去に戻れるトンネル」


一瞬、言葉の意味を拾い損ねる。

それは随分SFチックというか、非現実的な話だ。


「戻りたい過去、ないの?」


尚も問い掛けられ、つい先程まで考えていた事が無意識に口から零れていた。


「半年前…、大学の入学式」

「オーケー。でもこの場所もそろそろ限界だから、一年後の今日、必ずまた来てね。お姉さんが戻ってくるまでは守っててあげる」

「どういう事?」

「戻ればわかるよ」


そこまで言うと、説明は終わりとばかりに車に押し込まれ、言われるがままトンネルを潜って──。




目が覚めると自室のベッドで寝ていた。

さっきまでのは夢…?

でもいやにリアルで、現実との境がひどく曖昧だった。何気なく時計を見ると、出勤時刻をとうに過ぎている。


「…遅刻っ!」


慌てて身支度を整え、飛び出すように会社へ向かう。そして現在。


「まさか休日だったなんて…」


電車の混み具合や、街を歩く人の雰囲気、平日にしてはどことなくおかしいとは思ったのだ。まぁ、ちゃんと確認しなかった私が悪い。

改めてスマホを取り出し、次の瞬間ある一点に目が釘付けになった。


「日付が、戻ってる…」


電子機器、ましてスマホの日時がずれるとは考えにくい。そう思いながらも他に確かめられるものを探す。

新聞、時報、街頭テレビ。そのどれもが同じ日付を伝えていた。瞬時に蘇るあの子の姿。


“戻ればわかるよ”


めちゃくちゃだなぁ…。

だけど自然と口許が上がっていった。

この日付けには覚えがある。あの日、ジュエリーショップで彼を見付けた日だ。

より確信を得る為にお店へと向かう。


答えはすぐに出た。

見慣れた背中、真剣に指輪を選ぶ表情、隣に駆け寄る女の子。あの時見た光景そのもの。

間違いない。戻ってる。


今度は二人に背を向け、そのまま彼にお別れのメッセージを送り、先日出来なかった買い物をして、満ち足りた気分で眠りに就く事が出来た。




翌日。前日の失敗を教訓に、日付と曜日を確かめた所で再び愕然とした。


「また戻ってる…」


昨日より更に一日、日付が巻き戻っていた。

さすがに混乱して、あの不思議な子に会った時の事を丁寧に思い出してみる。


確か看板を指差して、過去に戻りたいか聞かれて、一年後に必ずまた来るようにも言われた…。ううん、たぶん探している答えはここじゃない。


看板は。何て書いてあった?

ちょっと変わった言い回しだった。

そうだ、U


「Uターンって、そういう事だったんだ…」


すとんと答えが胸に落ちてきた。

という事は、過去のやり直しとまではいかなくとも、ここ数日の失敗を回避するくらいは出来るかもしれない。そう思えばだんだんと気持ちが晴れていく。


まずは今日、お弁当を忘れずに持っていって、お風呂の電球も買ってこよう。

それから財布が閉まっているかも気を付けて、天気予報が晴れでもあの新しい靴はまだ履かない。


日を重ねる毎に、正確に表現するなら日を逆行する毎に、予想が確信に変わる。

一度は経験したものばかりなのだ。

事前に渡された模範解答と照らし合わせる気分で、主観的にも客観的にも順調に過ごしているとは思う。

だけど。やっぱり逆行しているという状況は、考える度に気分を落ち着かなくさせた。


過去に戻るって、どこまで戻るんだろう。

もしこのまま遡り続けたら、私は最初から存在しなかった事になるんじゃ…。

ふいに浮かんだ考えを振り切るように、より一層趣味に仕事に没頭するようになった。




そして今日。私は大学の卒業式に来ている。


「まさか人生で二度も大学の卒業式に出る事になるとは」


入社式の後に卒業式があるというのも、とても変な気分だ。式は恙無く終わり、帰り道。

彼に呼び止められた。…来た。


あの時と同じように着いていった先で、あの時と同じように、ひたすら好きだと告白された。

以前は赤面して、勢いに押されるままに頷いてしまったけれど。


「ごめんなさい。好きでもない人と付き合う気はありません」

「これから変わっていくかもじゃん!だからまずは試しに」

「今後もあなたを好きになる事は絶対にないので他を当たってください。それでは」


まさか私がここまではっきり返してくるとは思っていなかったのだろう。

ぽかんと口を開いたまま固まった彼に、笑顔で手を振りお別れをした。

今度こそ、本当にバイバイ。




その日を境に、また時間の流れが変わった。

逆行し続けていた時間が、再び未来に向けて進み出したのだ。

つまり私は同じ日を三回経験する事になる。

飽きっぽい性格ではないはずだけれど、さすがにこれはなかなかに堪える…。


三度目の入社式、三度目の説明会、その他諸々。ただでさえあまり代わり映えのない日常を、文字通りに繰り返して早数ヵ月。

まるで魔法が掛けられていたかのように、いつかのあの子の言葉が耳許で聞こえた。


「“一年後の今日”って、こういう事だったのか」


あの日はもやもやした気持ちを抱えて走らせた車。今日は景色を楽しむ余裕がある。

あの時は適当に走っていたので、同じ場所に辿り着けるか不安だったものの、何かに導かれるように、一度も迷う事なくあのトンネルと戻ってきた。体感にしてまさに一年振り。

車から降りると、『Uターンできます』の看板の影からひょっこりとあの子が顔を出した。


「お姉さんからするとお久しぶり、かな。ちゃんと戻ってきてくれてよかったよ」

「あなたのおかげで一番やり直したいと思っていた事と向き合えた。ありがとう」

「どういたしまして。でも今後、また戻りたいと思っても、この場所はもうないよ。そろそろ限界だから」

「前にも言ってたけど、限界ってどういう事なの?」

「どの土地にもパワーが宿っている。ここは、時間を操るのに特化した場所。だけどそれは永遠じゃない、寿命がある。生き物と同じで、寿命を全うしたら次に生まれ変わるのを待つしかないんだ。次がいつになるかわからないけどね」

「じゃあ、私は運が良かったんだね」

「そういう事。最後に誰かとお話出来てよかったよ」

「本当にありがとうね。出会えてよかった」


不思議なその子とお別れし、私は今度こそ普通の日常に戻る。まだ知らない未来へ──。




「最後のお客さん、止めたのに聞いてくれなかったなぁ。この場所がなくなれば、指定された時間を折り返し続けるしかないのに。あのお姉さんの知り合いっぽかったけど、なんか不誠実そうなお兄さんだったし、時間の狭間で反省でもすればいいさ」


過去に戻れると噂のトンネル。

とある山が大規模な土砂崩れを起こしたとニュースになるのはもう少し先の未来。


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