【KAC20203】その異世界人はUターンして帰っていった

八百十三

あわてんぼうの異世界人

 ゲート。

 地球と異世界を繋ぐ光の柱は、どこに出現しても警戒される。

 そこから出現する生き物は、大概地球の人間に敵対的だからだ。

 魔物は勿論、会話が成り立つ生き物もほとんどが侵略者か狂人だと相場が決まっている。


 それ故に2020年3月某日、新宿三丁目交差点にゲートが出現した時も、東京都は迅速に警戒態勢を敷いた。

 交通規制を行い、地下鉄を止め、23区西部や中央部に在勤在宅の符術士にも緊急出動を要請。百人体制でゲートを監視、観測する準備がすぐに整えられた。

 練馬区在勤、護符工房アルテスタに勤務する間渕まぶち時雨しぐれもクロスボウを構え、立ち上る光の柱を見つめていた。


「稼働する前に包囲網を敷けたのは幸いでしたが……いつ魔物が溢れ出てくるか分からないゲートを観測するのも、来るものがありますね」

「だねー……シフト組まれてるし、特別手当も出るから有り難いけど」


 隣で巨大な戦鎚を握っているのは、符術士派遣会社のアリエスに勤務するしめぎ圭二けいじ。アルテスタに出向している彼は、要するに時雨の同僚だ。

 普段は符術士が戦闘に使用する護符を作成する工房で、試作品を試験する業務に就いている二人だが、緊急出動とあれば話は別だ。

 今は二人共がテスターの顔ではなく、戦士の顔をしていた。


「しかし、一向に出てくる気配がないなぁ。普段なら開いたら間髪入れずに、魔物がどどーって押し寄せてくるのに」

「そうですね……まるで何かを待っているかのようです」


 明らかに普段とは異なる様子に時雨が眉根を寄せると、圭二がちろりと舌なめずりをした。


「あー……もしかして、あれかな」

「あれとは?」


 思わせぶりに話す圭二に首を傾げると、符術士としては先輩な彼が指を一本立てた。


「間渕さんは『ニンゲン』に会ったことある?」

「『ニンゲン』、ですか?」


 笑みを浮かべながら発せられた言葉に、ますます首を傾げる時雨である。

 異世界の存在も、魔物に変貌する魔素症の存在も、認知されて久しい日本では『人間』と『魔物』の境界はだいぶ曖昧だ。

 それでも、異世界からやって来る存在のうち、友好的な振る舞いをする存在というのは僅かではあるが、ある。

 圭二が視界にゲートを移し、笑って口を開いた。


「たまに魔物じゃない理性的な『ニンゲン』が、興味本位で地球に転移してくることがあるんだよ」

「興味本位で? そんな、突拍子もないことが――」

『テスター、緊急連絡っす!』


 時雨が信じられないとばかりに口を開いた途端、インカムからオペレーターの交野かたのの声が聞こえた。

 それまでの空気を振り払って、圭二が声を張る。


「センター、何!?」

『ゲートのエネルギーが急速に増大してます! 転移が起こるっす!』


 インカムから聞こえる声に、二人が息を呑んだ。他の符術士にも報告は行っているようで、俄に周囲が騒がしくなる。

 輝きを増すゲートにクロスボウの照準を合わせながら、時雨が声を上げた。


「急ですね!?」

「間渕さん、ゲート注視!」


 困惑した時雨に声をかける圭二も、ゲートから目を離さない。

 二人の前で光の柱は輝きを増し、柱の中が純白に染まる。転移が行われる合図だ。同時にインカムから声が響く。


『転移値到達、来ます!!』


 短い声と共に強く光るゲート。その内部でうっすらと光がヒトの輪郭を象る。

 と。


「おー、着いた?」


 気の抜けるほどゆったりした口調で、明確な日本語を発しながら、光の柱から姿を見せたのは、年の頃十四と思われる少女だった。

 ゲートの注視を続けていた時雨が驚きに目を見開く。


「……ヒト?」

「待って間渕さん、あの子、角が生えてる」


 背負った戦鎚の柄を握る圭二が、少女を見据えたまま言った。

 確かに、鞄に呑気に手を突っ込む少女の頭から、大きな角が二本生えている。


「あれ?」


 少女は鞄の中に視線を落とし、中をまさぐっていた。ゲートの中から背後へと現れた、獅子の獣人にすら目もくれない。

 獣人は自分たちを取り囲む何十人もの符術士に息を呑むと、目の前の少女に声をかけた。


「ほらお嬢、言ったじゃないですか! 急に繋いだら警戒されるって!」


 こちらの獣人も、話した言葉は日本語だ。それも日本人と遜色のない自然さ。

 これには時雨も圭二も、他の符術士たちも開いた口が塞がらない。


「喋った……」

「流暢だねー……地球への転移に慣れているみたいだし、これはやっぱりかな」


 明らかに理性的で、文明的。

 異世界からの来訪者二人に符術士が手を出せない中で、角持ちの少女が大声を上げた。


「んもう!」


 符術士が手に力を込める中、少女は踵を返して開きっぱなしのゲートに向かって飛び込んだ。その場に獅子の青年を残したまま、である。


「ごめんステフェン、ここで待ってて!」

「はぇっ!?」


 獣人は明らかに困惑した。

 こんな、自宅の扉を出てすぐにまた家の中に戻るような気楽さで、少女は世界を跨ごうと言うのだ。

 そして。


「地球用のお財布忘れた!!」


 光に消えながら発せられた少女の言葉に、ゲートに顔を向ける獣人も、この場にいる全員と同じように呆気にとられていたことだろう。

 ゆっくり振り返った獣人の視線が、側にいた警官とぶつかる。

 と。


「すっ、すんません、多大なご迷惑をおかけしてほんとすんません! 敵意は一切ないんです、本当です!」


 獅子の青年はすぐさま深々と頭を下げた。腰の角度は綺麗に90度、見事なまでのお辞儀である。

 全員が開いた口が塞がらない中、圭二がぽつりと声を発した。


「間渕さん」

「はい」

「対策本部長呼んでくる。あの子が戻ってくるまで彼、見といてくれる?」


 圭二の言葉に時雨が返事を返す間もなく、彼はすぐに対策本部のある方へと駆けていった。

 事態を飲み込めずに困惑する青年へと、時雨はゆっくり近付いた。ますます困惑した様子の彼が、両手を広げて前に出す。


「えっ、あの」

「落ち着いてください。責任者を呼んでくるだけですので」


 そう優しく語り掛けながら、時雨は獣人の青年の前でクロスボウを構える腕を下ろした。




 程なくして、再び転移してきた少女と獣人、対策本部長と警備隊長を交えて話を聞いたところによると、彼らはまさしく、異世界からの観光客・・・・・・・・・だった。


 少女の名はエスメイ・ファン・デル・ヒュルスト。青年はステフェン・ホフマン。いずれもエシュラという異世界に住む『ニンゲン』だ。

 ゲートの解析情報から、二人のやって来た世界や国は判明している。日本とも交流のあるスパレボーム王国からの来訪だったことが、平和的解決の後押しをした。


「本当すんません、お嬢が事前の申請もなしにゲートを自宅の庭に開いたから、こんな大事にしてしまって……」

「ごめんなさい……」


 交差点近くのテントの中で、二人は小さくなっていた。

 異世界から地球に平和的に・・・・ゲートを開く場合、接続先の国に事前の申請が必要だ。そうでなくてはこうして騒ぎになるし、交通規制もかけなくてはならなくなる。

 現場まで呼ばれた対策本部長の長谷川はせがわ副知事も、これには苦笑を禁じえない。


「分かってくれればいいんです。ただ、次からはちゃんと接続の申請を行ってくださいね」

「はい……」


 長谷川の言葉に、エスメイはますます小さくなった。

 こうして見ていると、本当に年相応の少女である。ファン・デル・ヒュルスト家はスパレボーム王国の有名貴族だから、彼女もやんごとない身分の人間であるのだが。

 そんな少女に視線を向けて、警備隊長の小出こいで警部が顎に手をやった。


「ところで、エスメイさんはどうして、そんなに急いで地球に来たんですか?」


 その言葉に、その場の全員が少女に視線を投げた。

 こんな大騒ぎを起こしてまで、地球に来たのだ。いくらエシュラが地球とも繋がりのある世界とはいえ、理由は必要である。

 しかして、エスメイがぽつりと声を発した。


「パパの……お誕生日のプレゼントを買いたいの」

「お誕生日の、プレゼント?」


 彼女の言葉を、同席していた時雨は思わず反芻した。他にも幾人か、同じ言葉を口にした符術士が見て取れる。

 小さく頭を振りながら、ステフェンが口を開いた。


「お嬢の父上が、明日60歳のお誕生日を迎えられるんですよ。

 お嬢は今日までお渡しするプレゼントを用意できなかったから、異世界に買いに行こう、と言い出しまして……」


 ステフェンの言葉に、長谷川や小出といった上層部が納得の表情を見せた。

 エスメイの父、スパレボーム王国の有力者たるアルトゥール・ファン・デル・ヒュルストは日本通で有名だ。何度も日本を訪れては、要人との交流を楽しんでいる。

 その誕生日のプレゼントに、日本のものを現地で買い付ける。悪い選択ではない。


「地元の世界じゃ手に入らないものを買うために、わざわざ来たわけか」

「うん。ニホンには、前にパパに連れられて来たことがあるから……ここならって思って」


 圭二の零した言葉に、俯きながらもエスメイが頷いた。

 事情も目的も把握した。出自もハッキリしている。

 長谷川が、柔和な笑みを浮かべてエスメイを見た。


「これから、規則に従って入国の手続きを行います。それが終わったら、お買い物もお食事も、ご自由にしていただいて構いませんよ」


 その措置に、エスメイもステフェンも目を見開いた。

 手続きは必要だが、自由に振る舞っていいと言うのだ。思わず少女がパイプ椅子を蹴って立ち上がる。


「本当に!?」

「ただし、相応の迷惑料は、後で王国を通じてお父上に請求させていただきます。何しろ周辺の交通が完全にストップしていますから」


 笑みを浮かべたまま告げられる長谷川の言葉に、少女の表情がビシリと固まった。苦笑しながら、獅子の青年がその方を叩く。


「仕方ないですよ、お嬢。帰ったら閣下にきちんと説明することですね」

「うぅ、仕方無いわ……ステフェン、その時は側にいてちょうだいね?」

「ふふっ、世界が違えど、子は親に叱られるものなのですね」


 上目遣いに供の青年を見る少女に、長谷川が小さく笑みをこぼす。

 異世界への激烈なUターンをやってのけた少女を、朗らかな笑い声が取り囲んでいった。

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