第40話  大切だから

「月坂さん、待って!」


 全力疾走で玄関に向かうと、日向さんが月坂を呼び止めているのが見えた。


「月坂!」


 俺もすぐに月坂に向かって大声を飛ばした。

 すると月坂は立ち止まった。


『おっ、なんだ?』

『あれ、月坂さんだよね?』

『それと……誰だ? あの陰気くさいの』


 昼休み終わりから授業が始まるまでの数分間は皆、教室に集まるものだから、教室の窓から多くのギャラリーが顔を出し、俺たちに視線を集めた。

 くそっ、見世物じゃねぇってのに……。


「なぁ、月坂」

「……言ったわよね。関わらないでって。話しかけないでちょうだいって」


 そう言って彼女はまた歩き出す。

 それを見て『フラれてやんの』と言う外野の声が耳障りで仕方ない。だけど──


「んなこと、出来るかよ!」


 俺は月坂の元へ駆けつけて、左手首を強く掴んだ。

 すると外野からヒューヒューと煽ってくるのが聞こえてくるが、そんなのを気にしてる場合じゃない。


「月坂、どうして俺を遠ざけようとするんだよ」

「…………」

「お前が俺を嫌いなのは重々承知だ。だけど……」

「…………やめて」

「だけど最近のお前のその行動に、なにかワケがあるんじゃないかと思って」

「………もう、やめて」

「どうせ誰にもそのワケを話さず、また一人で抱え込むんだろ!? だったら俺と日向さんに話して──」

「離して!!!!!」


 月坂の悲鳴が聞こえると共に、月坂が手首を掴む俺の手を振り払い──俺は身体のバランスを崩された。

 そして月坂は振り返り、逆の手を俺の喉元に向かって突きつける。

 俺はそれを咄嗟に


『きゃああああああああああああ!!!!!!!』


 外野から悲鳴とざわめきが聞こえる。それもそうだ。だって俺は──


「………………」


 喉元に突きつけられようとしたナイフの刃を掴んでいるのだから。


 尋常じゃないくらいの痛みが走る。きっと手の平は血に塗れているだろう。

 それでも俺は歯を食いしばって、月坂の顔を見る。すると……


「どうして……」


 彼女の目から大粒の涙が零れていた。

 血を見て恐れているのか、身体が小刻みに震えているのがナイフの刃から伝わってくる。


 しかも長い間一緒にいたからか、俺には流れる涙が「抱え込んだ何か」が抱えきれずににじみ出ているようだと、深刻な表情から伺えた。

「なんかありそう」なんてもんじゃない。もっと重い何かを感じる。


 そんな月坂が心配で仕方ない。俺はお前のこと嫌いだけど、それでも一緒にいた時間は長くて……だからお前を思う気持ちは簡単に消えない。

 だから俺は月坂にこう叫んだ。


「お前が、大切だからに決まってんだろ!」


 ………………………。


 その言葉に、外野が一気に静まる。それでも俺は続けて月坂に訴えかけた。


「お前のことは嫌いだ。だけどそんな気持ちなんかどうでもいい」

「……なによ」

「お前と昔付き合っていたから、一緒にいた時間が長かったから……おまけにあんなバイトのおかげで、お前を守らなきゃって益々思うようになって……」

「…………そんなの」

「だから月坂。なにか抱えてるなら俺が──」


「そんなの、私だって同じよ!!」


 月坂が悲痛な叫び声が耳と心に強く響いた。


「だから、私がもう、これで……」

「おい、月坂!」


 彼女がナイフを持つ手を放すと、震えた弱々しい声を残して走り去っていった。


「待て! 月坂!!」


「もうここまでだ、藍川」


 月坂の後を追おうすると、担任教師が俺を呼び止めた。この騒ぎを聞きつけたのか、背後には多くの先生が構えている。


「で、でも!」

「月坂は早退すると聞いた。今頃は家に向かって──」

「でも、アイツは基本、車が迎えに!!」

「話は後だ。保健室に来なさい」

「だけど!!」


「そんな血まみれの生徒を放って、教師が貴様を学校から出すものか!!!!」


 懸命に反論するも、先生の怒鳴り声には逆らえず。


「……わかりました」


 俺は月坂を止められなかった悔しさに涙しながら、先生の方へ向かった。

 そのときだ。


「翼ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 玄関から久保田の声が聞こえた。


「走れ、翼! 月坂さんを……追いかけてくれ!!!!!」


 久保田は叫んだ。俺に早く行け、と。

 月坂の身になにかがあるかもしれない、と伝えるような必死さが伝わる叫び声だ。

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