第32話  翼の覚悟

 その後、彼女たちの初ステージは何事もなく終了。結果は大成功──客席の盛り上がりがそれを証明した。

 会場には、ステージを降りる新人アイドルユニット『グリッターステラ』へ向けられた惜しみない拍手と熱烈な叫び声が渦巻いた。


「みんな、今日はお疲れ様でし──」

「お姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!!」

「うぉぁ、きぃちゃん!?」


 ライブの全プログラムが終了した後、控え室に戻ってきたみのりに、真っ先に葵和子が飛びついた。


「怖かった……怖かったよぉ……」

「ごめんね! ごめんね!!」


 姉の姿を見て、ピンと張った糸が緩んだのか──彼女はそのまま泣き崩れてしまった。

 それもそう。彼女は初めてのステージで予想外のハプニングに見舞われたのだから。


「お姉ちゃんのバカ! バカ。バカぁぁ……」

「ごめんね!! 本当にごめんね!!」


 号泣する葵和子を慰めながら、みのりは思った。この子は本当にすごい。そして、よくぞあの状況下で自分らしさをさらけ出してくれた、と。


「まさか成功しちゃうとはねぇ……」


 腕を組み、微笑みながら才加さやかは言った。


「さすが葵和子ちゃん。トップアイドルの妹ってのはホントに恐ろしいんだね」

「いえいえ……単にこの子が凄いんです」


 少し黙って、話を続ける。


「だって、きぃちゃんは私と違って緊張にも逆境にも強いし、弱音なんかも吐かない。もう、私とは大違いで……。おまけにあの歌声ですよ? 恐れ入ります……」

「トップアイドル様にここまで言わせるとは……。きっとこういう子が……」

「トップアイドルの座を、奪いに来る」


 才加の言葉に続いて、みのりはそう言った──まるでその言葉が、誰かの口癖であるかのように。


「お、お疲れ様でした……」


 控え室の扉がゆっくり開き、そこから誰かがバツの悪そうな顔を出す。


「あっ、主犯が来た」

「うっ……」


 才加がニヤリと笑うと、控え室に顔を出した翼は息を詰まらせた。

 彼女の言葉に反応し、皆が翼に視線を集めた。葵和子以外は──。


「あの、えっと……。ごめん、日向さん……」

「しーっ」

「えっ」

「きぃちゃん、眠っちゃったみたいだから」


 みのりは葵和子の頭を撫でながら、小さな声で言った。

 顔を埋めているため、寝顔は伺えない。けれど静かだ。

 その姿を見て、翼は彼女が眠っていることを認識した。


「じゃあ……」


 彼女が目を覚ましてから、謝罪すると共に事情を包み隠さず話そう。

 そう思った翼を見て、みのりは首を横に振った。


「今回の件は全部、私の仕組んだことにしてくれないかな?」


 その後に放ったみのりの言葉に、翼は固まってしまった。まさか彼女がそんなことを言うとは思いもしなかったのだ。


「そんな、いいですよ。俺を庇うマネなんかしなくても……」

「ううん。きぃちゃんには、ツバサくんのこと嫌いになってほしくないから」


 だから、つい庇ってしまう。優しいみのりの悪い癖だ。

 確かに葵和子に嫌われないならば、みのりがやろうとしていることに乗りたいところ。だけど、翼は……。


「いいえ。俺、自分の口で言います」


 みのりの提案をきっぱり、真面目な表情を向けて断った。

 彼は思った。嘘をついたまま葵和子と関わっていくなんて耐えられない。そうなるくらいなら、いっそ全てを吐いてやりたい、と。

 嫌われたって構わない──翼がドッキリの決行前にそう思っていたのだ。その覚悟を裏切ることが、翼には出来なかった。


「……わかった」


 何も言い返すことなく、みのりは彼の断りをすんなり受け入れた。


「そういえば、月坂は?」


 翼がそう言うと、モコが「こっちです」と手を振った。


「道理で静かなわけだ……」


 見ると、彼女は控え室奥の畳で、モコに膝枕されている。頭にはタオルがかぶせられていて、こちらも顔が見えない。


「おーい」

「…………」

「返事がない。ただの屍の──」

「生きてるわよ。失礼ね」


 俯けになりながら、月坂から籠もった声が聞こえた。


「凜々さん、葵和子さんとダンスで張り合ったそうなんです」

「それで、このザマか……」

「完璧超人の凜々さんでも、葵和子さんのダンスには敵わないみたいで……」

「いいえ、私は負けてない。本気を出しただけよ」

「はいはい。お前はもう寝てろよ」

「はぁ……。疲れた身体にあなたの声が聞こえてくると、気分がすこぶる悪くなるわ」

「はいはい。そりゃ失礼しました」


 美狐乃が冷たくあしらうので、翼は顔をしかめて美狐乃から離れた。


「そっとすりゃ、いいんだろ」


 でも内心、翼には彼女の真意が見えていた。これぞ、長い付き合いの所以である。


「ちょっと凜々さん。その言い方は」

「私、負けて……ない……」


 眠気混じりの弱々しい声がする。その声を聞いて、モコはクスリと笑う。


「そうですね。どっちも負けてない。どっちも、かっこよかったです……」


 聖母のごとく優しい声をかけると、美狐乃は聖母のお膝元で眠りについた。

 そんな彼女の顔の上のタオルを取って、モコは美狐乃の寝顔に微笑んだ。


「どこ行くの?」


 才加が翼を呼び止めると、「ちょっと、外行ってきます」とだけ答えて、翼は控え室を後にした。

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