第24話  そんな言葉、聞きたくない……

 翌日の放課後、今日は初めて、3人でのレッスンだ。そして日向さんにとっても、初めてのレッスンである。


「ワンツ、ワンツ……」


 以前と同じレッスンルームで、月坂とモコが以前踊っていたダンスを日向さんが踊っていた。


「ここで、キメっ!」


 今日、初めてのダンスレッスンで、今日初めて踊るダンスだと言っていたのに、わずか一時間以内でマスターしてみせたのだ。

 しかも月坂に劣らない動きのキレに、完璧に動きの止まった決めポーズ。


「おぉぉ……」


 これを見て、アイドルとしての先輩のモコは感嘆の声を発した。


「すごいわ、日向さん。本当に初めてなの??」

「ダンスレッスンは初めてです。ダンス自身は元々好きで──」

「もしかして、日咲ひさきさんの影響??」


 レッスンの先生が食いつくと、彼女は「は、はい」と、苦笑しながら答えた。


「こりゃ月夜凛々つくよりりも負けてられないわね?」

「…………」

「凛々ちゃん、どしたの? 怖い顔して」

「あっ、いえ。ちょっと考え事をしていただけです」

「そう……。それより、話聞いてた?」

「えぇ……」


 月坂は立ち上がって、自信たっぷりの表情を日向さんに向けた。


「日咲みのりの妹に、今から格の違いを見せてやればいいんですよね?」


 その言葉に、日向さんはムッとした。

 ごめんね日向さん。ウチのウザイ元カノが……。


「ワンツ、ワンツ……ここで、キメっ!」


 そして月坂は格の違いを見せつけた。

 完璧に踊ってみせた日向さんは彼女の動きに魅了されたのか、目線を固めて口をあんぐり開けていた。


「……すごい」


 小さく零したその言葉は、紛れもなく日向さんの本音であろう。

 月坂は日向さんを唸らせたのだ。


「じゃあ私も、先輩としての格の違いを見せますね!」


 続いてモコが立ち上がる。

 二人に鼓舞されたのか、やる気満々だ。


 しかし……


「ワンツ、ワンツ……」

「っとと……、キャッ!」


 難所でバランスを崩して、尻もちをついてしまった。


「モコ!!」

「モコちゃん!!」


 すると彼女らが、子を心配する母親のような形相でモコに近寄った。


「大丈夫? モコちゃん、立てる?」


 日向さんは彼女の手を両手で包んで、優しく話しかける。

 アイドルの先輩としての面子にヒビが入ったであろう。けれどモコは明るく笑って「大丈夫です」と言った。


「いやぁ二人ともすごいですよ。あの難所を軽々とこなせるなんて……」

「そんなことないわ、モコ!」

「凛々さん!?」

「確かにあの難所は簡単にできないわ! 私なんてそこをクリアするのにどれだけ熱心したことか……」

「えっ、でも私、あそこは……」


「日向さんは黙ってなさい!!」


「ひゃうっ!!」


 月坂の大声に、日向さんは子犬のような声をあげて縮こまった。


「大丈夫よ、モコ。デビューまで時間はあるのだから、ゆっくり、自分のペースで頑張ればいいわ」

「で、でも、日咲さんのライブまで時間が……」

「大丈夫よ、私がライブまで毎日、いや、24時間年中無休で練習に付き合うから!!」

「えぇ!? 仕事は? 学校はどうするんですか!?」

「そんなの全部休むわ! だって私、仕事や学校より、モコのことが大事ですもの!!」


 ──どんだけ必死なんだよ、このロリコン野郎……。


 俺は呆れた表情で月坂を見つめていた。



 〇



 ダンスレッスンは、月坂の異常なまでのがっつきぶりを除けば、何事もなく進んだ。

 日向さんも月坂も動きに磨きがかかり、モコもそんな彼女たちに追いつくように上達していった。


 けれど翌日のボーカルレッスンで、事件が起きた。


「あーあーあーあーあーあーあーあーあー……」


 ピアノの音に合わせて、月坂が発声する。

 芯があって力強く、クールな歌声だ。

 コイツの本気の歌声を聞けば、鳥肌が立つこと間違いなしだ。


「あーあーあーあーあーあーあーあーあー……」


 モコの声自身に可愛げがあるものの、強い力が宿っている。腹から声が出ている証拠だ。

 彼女の歌声には心を震わされる。それに俺好みの声だから、耳が幸せを感じているみたいだ。


「じゃあ次は、日向さん」

「は、はい」


 二人の声に圧倒されたのか、日向さんの表情は引きつっていた。

 ダンスのときと違って、かなり緊張しているようだ。


「すぅ……はぁ……」

「それじゃ、行くよ? あーあーあーあーあーあーあーあーあー……、はい!」


「あーあーあーあーあーあーあーあーあー……」


 地声の綺麗さは健在している。

 だけど、脱力感が伺える。二人と違って、ふわふわしている。

 包み隠さず言えば、喉元で作った声を出している。そんな気がした。


「……なるほど、ね」


 レッスンの先生はなんだか納得の行かない表情を浮かべていた。


「もうちょい、お腹から声、出してみようか?」

「はい……」


 日向さんはしゅんとした表情で返事した。


「じゃあもう一度。あーあーあーあーあーあーあーあーあー」

「あーあーあーあーあーあーあーあーあー……」


 もう一回声を出すが、一回目と何も変わっていない。


「はぁ……」


 それにうんざりしたのか、月坂はため息をついた。

 そして立ち上がる。彼女の表情には怒りが滲み出ていた。


「な、なに?」

「なんなの? その腑抜けた気持ち悪い声は……」

「えっ……」

「ちょっと凛々ちゃん。日向さんにその言い方は──」


「あなた、アイドルを舐めてるの!?」


 月坂は声を荒らげた。

「おい月坂!」と呼び止めようとしたが、ひどくこわばった表情にひるんで、つい身を引いてしまった。


「そ、そんなことないよ……」

「そうよ凛々ちゃん。日向さんはきっと緊張してるだけで」

「緊張? あなたが? ふざけるのもいい加減にしなさいよ」


 あの頃に学校であったことのように、日向さんの顔が悲しみで歪んでいく。今にも泣き出しそうだ。


「ふ、二人とも、喧嘩はダメですよぉ……」


 モコは仲裁に入ろうとするが、月坂におびえて、立つことすらままならない。

 モコは座り込んだまま、両手を出して「まぁまぁ」と、震えた声で言うことしかできなかった。

 けれど彼女の声は月坂に届かない。


「わ、私は……」


 日向さんの目が赤くなっていく。声も弱くて、辛うじて聞き取れるほど。

 それなのに月坂は攻撃をやめなかった。

 せきが決壊したのか、彼女の口から怒りの感情が留まることを知らぬ勢いで流れ出た。


「どうせこれも、日咲みのりごっこなんでしょ。日咲みのりみたく、可愛い声を作って……。本当に気持ち悪い」


「…………」


「そんな気持ち悪い声でアイドルとして生きていくの? あなたのそんな作りものの歌声なんて、誰も望んでないのに……」


「そんな、こと……」


「だいたいあなた自身が作りもの。偽物なのよ。そんな不完全な日咲みのりのレプリカなんて望まれていない。そんな偽りのあなたなんて見たくない。それなのに、あなたは……」


「そんなことないもん!!」


 月坂の言葉に耐えられなくなって、日向さんは涙声で思いっきり叫んだ。


「だって、だってツバサは、そんな私を……好きって言ってくれた。望まれてないこと、ないもん……」


「はぁ……、そうなの? 翼くん」

「あっ、いや、それは……」


 そこは「そうだ」とすんなり答えればいいのに、それができなかった。

 もしそれを答えれば、話が良からぬ方向へ進んでしまう。俺はそれを察して、恐れたのだ。


「日向さん、やっぱり懲りてないみたいね。この際だから、もう一度教えてあげる」

「……いや」


「どう頑張っても……あなたは絶対、日咲みのりにはなれない」


「…………やめて」

「だから──」


「そんな言葉、聞きたくない……」


 日向さんは涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せると、部屋の扉まで走り出した。


「日向さん!?」


 先生が日向さんを止めに入ろうと手を伸ばすが、彼女は振り返ることなくレッスンルームを抜け出した。


「待ってください、日向さん!」


 日向さんが心配になって、先生とモコもつづいて部屋から出ていった。

 重苦しい空気の中、俺は月坂と二人きりになる。


「おい月坂、今の言い方は──」

「なによ……、私はただ……」


 怒鳴りつけようとしたが、どうもその気になれなかった。

 だって月坂も、泣きそうな表情を浮かべていたから──。


「……帰る」


 そして荷物をまとめて、更衣室まで歩いていった。

 追いかけようとはした。だけど今はそっとしておくべきかもしれない。そう思うと、足は固まって動かなかった。

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