第20話 完璧美少女の弱いところ

 トップアイドル、日咲みのりに焼肉をご馳走された日、俺は彼女の悩みを知った。


「愛する妹に、『日咲みのり』になってほしくない」


 彼女の言ったこの言葉には、こんなメッセージが込められていた。


「『自分らしさ』を、私のせいで失って欲しくない」


 俺との去り際に、彼女は悲しげな声で教えてくれた。

 もちろん俺みたいな平民、「なんでそこまで俺に言うんですか?」と聞く。

 けれど彼女は「キミだから、だよ?」と笑顔で答えてくれた。どういう意味だろうか──。



 〇



 あの日から今日の日曜日まで、俺は日咲みのりの言葉の数々の意味を考えるようになった。

 関係ないはずなのに、どうも引っかかるのだ。

 そして俺は昨日も、そのことを考えてばかりで夜も眠れなかった。


「……っと」

「ん……」

「ちょっと」


 月坂に肩をトントンと叩かれ、俺は車の中で目を覚ました。


「んっ、あぁ、わりぃ……」

すいみ……永眠なら、他所よそでやってちょうだい」


 ──おい、なんで言い換えた?


「なに? 寝不足?」

「あぁ、まぁ……。ちょっとな」


「そう。無理しないでよね?」


 驚いた。

 あの月坂が久しぶりに、優しい言葉をかけてくれた。


「あなたがいなくなると仕事に支障が出るし……。それに、ストレスのけ口が無いと困るし」


 無理に吐いた言葉がそれかよ。

 元カノの口の悪さに俺は唖然とした。


「なっ、なにをボーッとしてるの。早く行くわよ?」

「はいはい」


 それにしても、なんだろうか。

 今日の月坂はいつもと違う。なんだかそわそわしているようで落ち着かない。


 そしてその異変に気づいたのは、俺だけではないようだ。


「お嬢様、かなり緊張されてますね」


 車から運転手さんが降りてきた。彼は月坂が生まれた頃から仕えてきたベテランの執事さんだ。月坂が「じぃや」って呼んでたっけな。


「そう、なんですか?」

「えぇ。あの子は人見知りが激しいですから、今日の新しいメンバーさんとのご対面に、気持ちが落ち着かないのでしょう」


 一応元カレだった俺でも疑問止まりだったのに、執事さんはしっかり答えまで導いている。

 さすが。俺以上に月坂と一緒にいるから、俺以上に月坂のことをわかってらっしゃる。

 そんな彼を見ると、俺よりも間違いなくマネージャーに適しているし、俺なんてマネージャーやらなくていいんじゃないか?と思ってしまう。


「あの、月坂のマネージャーやろうとは思わなかったのですか?」


 だから、つい聞いてしまった。


「……私のようなご老体。そこまでお嬢様に仕えるのは厳しい話でしたよ?」


 すると彼は笑いながら答えてくれた。

 それもそうか。俺はすんなり納得した。


「だからお嬢様のこと、頼みますよ?」

「あっ……はい」


 俺は月坂を追って、建物の中へ入った。



「月坂」

「……」

「おーい、月坂ぁー」

「……」


 部屋まで向かう最中、俺が声をかけるが、月坂は無視して歩き続ける。

 よく見ると、歩幅がいつも以上に小さく、手が震えている。どんだけ緊張してるんだよ……。


「おーい!」

「ひゃっ!!」


 大声を出すと、裏返った声を出して驚いた。相当狼狽うろたえているようだ。

 月坂は肩をキュッと狭めて、ゆっくりとこちらを向いた。


「な、なに?」

「いや、大丈夫かな……って思って」

「は? 一体、何をしっ、心配してるの!?」


 ──お前だよ。お・ま・え。


 俺は黙って月坂をじっと見つめた。


「わ、私の心配なんていらないわよ」

「あっそ」

「…………うぅ」


 心配ご無用か。そう思ってそっぽを向くと、月坂は何か言いたげな声を小さくあげた。


「……あっ、あの」

「なんだよ?」

「さっき、友達から『緊張してる時、どうしたらいい?』ってLINEで言われたの。どうしたらいいと思う?」


 月坂は指で髪をクルクル巻きながら言った。

 それ、お前だろ。どんだけ自分が緊張してるって言いたくないんだよ。


「ほら、早く答えなさいよ。お友達が困ってるのよ」


 月坂は立ち止まった。部屋に近づくのが怖くなったのだろう。


「そう言われてもなぁ……」


 答えを急かされたが、解決策が簡単に浮かばない。なんせ俺も人見知りで、その緊張を払うことなく人と出会って、失敗ばかりしてきたから。


 だがこのシチュエーション。別に初めてのことではない。

 付き合ってからも、こういうことはあった。

 あの頃の俺は、どうしてたっけな……?

 忌まわしい黒歴史から解決策を探る。そのときの俺の顔はひどく歪んでいた。


 そして、思い出したのだが──アレをやるしかないみたいだなぁ〜。

 人見知りを解決する方法はないが、緊張を解す方法なら思いついた。

 そして今、それをやるときだ。ふふふふっ…………。


「ねぇ、早く……」


 月坂が急かしてくる。

 そういう態度を取るってことは──いいんだな? お前の大っ嫌いなこの俺が、アレをやってもいいってことだよな!?


 ──くらいやがれ!!!


「ふぇあぁぁ!!??」


 月坂は上ずった声をあげた。


「っはは、ど、どうだ??」


 というのも俺が今、彼女の脇腹をツンとつついたからだ。


「あ、あなた……」


 そしてもちろん月坂は俺を強く睨眼へいげんしながら、制服の胸ポケットからナイフを取り出そうとする。

 月坂が何よりも先に、ナイフをためらいなく突き出すだろうというのはわかっていた。


「スキ有り!!」

「ひゃぁ!!!!」


 だから今度は、柔らかな脇腹をがっちり掴んでみせた。


(うおっ、何やってんだよ、俺)


 いつもクールに振る舞う月坂が顔を赤くして涙目を見せる姿に快感を覚えると同時に、久しぶりの異性へのボディタッチ──いや、それ以上のことをしている自分が恥ずかしくもあった。


「や、やめっ……、ひゃっ!!!」


 けれど久しぶりに月坂から放たれる、らしくない可愛い声と狼狽える姿を引き出せたのが楽しくなってきた。


「はぁ……はぁ……、もぉ、ダメ……」


 やり過ぎてしまったか?

 月坂は脇腹を押えながら、内股で地べたに座り込んでしまった。


「これで緊張がほぐれただろ?」

「あなた……よくも……」


「やってほしくなきゃ、緊張するのをやめることだな??」


 俺は上から、勝ち誇った顔で月坂に言った。

 対して月坂は何もできずに、ただ俺を睨みつけるだけ。表情は悔しさでかなり歪んでいた。


「…………」


 月坂の緊張は解けた様子。だけどこのままじゃ事が進まない。


「ほらよ」


 俺は笑うのを止め、真面目な表情で手を差し出した。


「これでリラックスできただろ?」


 そう聞くと、彼女は小さく頷いて、俺の手を小さな力で掴んだ。

 そして俺がその手を持ち上げるように彼女を立たせようとした──そのときだ。


「おっ…………」


 ガクガク震える足で立ち上がろうとした月坂がバランスを崩し、俺の胸元に飛び込んできた。

 そんな月坂をすかさず受け止めた俺。どうせすぐに俺を払いのけるのだろうと思ったが──俺の腕を両手で掴んで離さないのだ。


「…………」

「おい」

「……懐かしい」

「おーい」

「ご、ごめんなさい!!」


 やっと月坂が俺から離れたのだが、もじもじとしながら髪を指でクルクル巻き付ける。


「……別に」


 恥ずかしがっている月坂が不覚にも可愛く見えて、俺は彼女から目を逸らした。


「い、行くぞ……」


 月坂に目を向けることなく、俺は目的の場所に向かって歩く。月坂はそんな俺の後ろをちょこちょこと小さな足取りでついてくる。

 その姿があまりにも月坂ないから、どうも調子が狂うんだよな。



「着いた」


 黒川さんに言われた通りの会議室の扉の前。中からは物音がしない。誰も来てないのか? それとも月坂みたいに緊張してるのか?


「行きましょ」

「ちょっと待った!!」


 俺は咄嗟に月坂の腕を掴んだ。

 なにこいつ? さっきまで緊張でガチガチだったのに、なんで平然とした顔でドア開けようとしてるの!?


「俺……絶賛、緊張中なんですけど?」

「あっそ」

「おい待て待て待て!!!」


 自分良ければ全て良し、かよ。

 月坂は俺へのお構いも、ドアへのノックもなしに扉を開く。そのとき、驚きの光景が俺たちに衝撃を与えたのだ。


「えっ? ツバサ!?」

「うそ、どうして……」


「ひ、日向ひなたさん!?」


 この部屋にいるとは思えなかった人物の目撃に、俺は素っ頓狂とんきょうな声をあげた。




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