第17話 重大なお知らせ

 この後、日向さんはあまりの嬉しさで俺に話そうとしてくれた「憧れの存在」のことをすっかり忘れて家に一人で帰ってしまった。


 そして翌日の木曜日、風邪をひいて学校を休んでしまったとのこと。

 あれほど雨に濡れた上に、あの報告を耳に入れたのだから、つい気が緩んでしまったのだろう。



「げっ……月坂だ……」


 今日はバイト。月坂美狐乃──アイドル月夜凜々つくよりりのマネージャーとして働く日だ。

 放課後、後者の玄関で月坂が俺を待ち構えていた。取り巻きの男たちがいないのはありがたいが、それでも気分はよろしくない。


「車が待ってるから、早くしなさい」

「おっ、おう……」


 昨日のことを言ってやりたいが、この後の月坂の予定まで時間が押している。

 俺は急いで靴を履き替え、月坂とともに校門前で待つ黒塗りの高級車まで向かった。

 昨日の話は車の中ですることにしよう。



「あなた、日向さんからいろいろと聞いたのでしょ?」


 月坂が先手をとってきた。

 俺は月坂の言葉に「あぁ」と、小さく頷く。


「日向さん、太陽みたく明るい存在になりたいって言ってた」

「あら、そう」

「それでお前のことだから、そんな日向さんの頑張りを否定したんだろ?」

「いいえ、私はただ忠告しただけよ」

「だから、お前のそれが──」


「なに? 昨日のことで彼女の全てがわかったとでも言うの?」


 月坂は俺を強く睥睨へいげいした。

 確かに昨日、日向さんのことが全てわかったわけではない。

 けれど彼女のことをよく知らないのは、月坂も同じはず。なのにどうして、あんなことを言えるのだろうか──。


「私、知ってたの。日向さんの夢も、憧れも。だからあの人のやり方、すごく無謀で……気に入らない」

「それであのとき、否定してやったってか」

「だから言ってるでしょ? あれは忠告。私はただ『やめなさい』と言っただけ」

「ぐっ……」


 これ以上言っても無駄だ。そう割り切って俺はもう何も言い返さないことにした。

 だけどこれだけは言いたい。


「まぁお前が何をどれだけ言おうが、俺は日向さんの味方だ」

「あっそ……」


 俺が強く意思表示すると、彼女は不機嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。

 黙って窓を見始めたので、俺はカバンからラノベを出して、読書して時間を潰すことに。

 そのまま車内は目的地に着くまで、沈黙が続いた。



 〇



「ワンツー、ワンツー……」


 トレーナーさんの掛け声に合わせて、月坂がキレのある動きを見せる。今日はダンスレッスン。

 キュッキュッと、床の擦れる音がレッスン場によく響く。


 アイツ、踊れるんだな。イメージが湧かなかった。

 運動神経が良いのは知っていたが、ダンスができるかどうかは知らなかった。

 けれど始めは、「あの根暗陰キャがダンスなんて似合わねぇし、出来るとは思えない」とばかり思っていた。


「ワンツー、ワンツー……」


 だがその考えは、彼女の動きを見てすぐに払拭された。

 軽快なステップ、無駄のない動き、全くふらつく様子のない足取り──素人目しろうとめだから細かなことは言えない。

 憎いが、これには「上手い」としか言えなかった。


「ワンツーワンツー……ここで、キメっ!!」


 おまけに最後の決めポーズも完璧。

 さっきまで激しくキレのある動きをしていたのに、その勢いでブレることなく、ピタッと止まっている。石像みたいだ。


「ハァ……ハァ……」


 対してもう一人の子は月坂と違って、かなりぐらついている。指でちょん、と押せば一気に崩れそうだ。

 息遣いも荒く、呼吸に合わせて肩が上下に動いている。とても石像からは程遠い。


「はい、お疲れさん。これで今日のレッスンは終わりです!」

「ほへ〜……。疲れたですぅ〜」


 トレーナーさんが終わりに手のひらをパンっと叩くと、その子はバランスを崩して尻もちをついた。


「ありがとうございました」


 対して月坂は疲れの色を見せずに綺麗なお辞儀をする。憎いくらいに余裕が伺える。


「はぁ……、凜々さんが羨ましいです」


 さっきのダンスに疲れ、弱った声をあげる二つ結びの髪の少女──咲良さくらモコはそんな月坂に言った。

 ちなみにこの子は事務所で俺にお茶を出してくれた女の子だ。


「ダンスはキレキレだし、歌声も神がかってますし。チートですよ、チート! 私ツエー!ですよ!!!」

「別にこの程度、並大抵の努力すれば誰でもたどり着けるわ」

「それ、アイドル歴が私より短い凜々さんが言うべき言葉じゃないですよ〜」


 月坂の言葉に、モコは頬を膨らましてムッとした。

 モコはアイドル歴三年。対して月坂は一年。

 それなのに月坂は彼女よりもダンスができる。歌も月坂が勝るのだろう。

 それでも月坂は『並大抵の努力』なんて言葉を使いやがる。もうここまで来ると皮肉に聞こえてくる。


「ねぇ凜々さん。最後の決めポーズ、どうやってピタッと止まっているんですか?」

「うーん、そうねぇ……」


 珍しいことに、月坂が他人の相談に真面目に答えようとしている!? これは俺の中では珍事件だ。

 相手が歳下だからか? 自分好みのロリだからか? このロリコン根暗陰キャめ。


「えっと……。勢いを……ことを意識するといいわよ?」


 月坂はニコッと笑って答えた。

 言葉が不穏すぎて、その笑顔に恐ろしさが垣間見える。

 俺とモコの背筋がゾクッとした。


「あ、ありがとう……ございます……」

「いいえ、困ってたら助ける。当たり前のことをしただけよ?」


 表情を歪ませたままのモコに対して、月坂は満開笑顔。おまけに、らしくない言葉を吐いている。

 月坂のその姿に、更なる恐怖が身体に走った。


「二人とも、まだいる〜?」


 レッスン場に軽快な声が響く。黒川さんがやって来た。


「「お疲れさまです」」

「おっ、いたいた。おっつ〜。マネージャーくんも、おっつおつ〜」

「お、お疲れさまです……やけにテンション高いですね……」

「そうそう! わかる?」


 にこやかな表情を浮かべ、床にカバンを置くと、彼女はコホンと咳払いして少し真剣な表情を見せた。


「えー、お二人さんにご報告があります」


 そう言うと、黒川さんは月坂をじっと見つめて黙り込む。

 生まれた沈黙に、俺たちは固まった。


 そして数秒後、彼女は言った。


「ユニットとして、デビューすることが決まりました!!」


「えっ? ユニット……ですか?」

「もしかして、凜々さんと私のユニットですか!? やりましたね、凜々さん!」


『ユニット』という言葉に戸惑う月坂。デビューすることが決まった嬉しさにぴょんぴょん跳ねるモコを見て、自然と笑みが零れた。ユニットとはいえ、デビューすることは月坂にとっても嬉しい話であろう。


「あー、ちょっと落ち着いて。ステイステーイ」


 黒川さんがそう言うと、また咳払いをした。


「確かにデビューすることが決まりました。でも、まだまだ先です。今はデビューするまでの計画が立てられただけで、曲の制作すらしてない」


 それを聞いて、モコは「なんだぁ」と肩を落とした。


「そ・れ・に……私は、なんて1ミリも言ってないよ?」

「えっ? 凜々さんと二人じゃないんですか!?」

「てことは、私たちの他にメンバーが?」


 露骨に驚くモコと月坂を見て、黒川さんは楽しそうに笑う。


「そうそう。詳しくは今週の日曜日に顔合わせするから、そのときに話すね?」

「今週の、日曜日ですか!?」


 俺は思わず声をあげた。

 今週の日曜日といえば、日向さんと勉強するつもりだ。それなのに、急に予定を入れられた。


「なに? 予定? 葬式??」

「あっ、いや……、葬式じゃないんですが……」


 ここで咄嗟に嘘をつけばよかったと思ったが、三日後に遠い親戚の葬式があるなんて、バレそうな嘘はつけない。


「じゃあ、空けといて?」

「えっ、そんな……」

「ごめんね、その日には君も必要だからさ。仕事優先でお願い、ね?」


 手を合わせて頭を下げる黒川さん。そんな彼女に俺が何を言っても解決しないだろう。


「わ、分かりました……」


 俺はその急用を受け入れた。

 俺の気持ちは落ち込んで、頭を俯かせる。


「ありがと。てことで日曜日に──」


 そんな俺を置いて、黒川さんは話を進めた。


 当日に仮病を使って休んでやろうかな……なんて、良からぬ考えが浮かんだ。

 けれど黒川さんの話が終わってから携帯電話を確認すると、その考えが吹き飛んだ。


『ごめんツバサ、日曜日に急用入っちゃった……』

「……なんだよ」


 画面に映る日向さんからのメッセージに、俺は深くため息をつく。全く、今日はなんて日だ。


『うん、わかった』


 そう返信すると、アイドル界の"神"──日咲ひさきみのりを二次元化したキャラ『みのりちゃん』が『ごめんね』と謝るスタンプが即座に送られた。

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