第15話 晴れのち雨

「なんだよ、アイツ……」


 図書室に着いた俺は、椅子に座ってずっと貧乏ゆすりをしていた。

 心が休まる場所にいるのに、心が休まる気がしない。


「日向さんが俺のこと、そんなふうに見てるわけが……」


 ぶつぶつとそう呟くが、俺は考えてしまう。

 日向さんがあれだけ積極的で優しいのは、俺にだけではないということを。

 俺以外の陰キャにでも優しい。そいつらが苗字で呼ばれてるあたりでは、俺の方がリードしているが、陽キャ相手にはちゃんと、下の名前で呼んでいる。

「俺はアイツらとは違う。特別に仲がいい」とは思えないのだ。


 俺は思ってしまう。

 日向さんはみんなに分け隔てなく優しい。だから俺もその『みんな』の一部に過ぎないと。


「くそっ、あんな言葉、聞くんじゃなかった……」


『知らぬが仏』とは、まさにこのこと。俺はひどく痛感した。

 けれど知らなければ、月坂の言うように、絶望的な結末が待っていたかもしれない。

 だけど、だけど──。


「くっそぉぉぉ……」


 俺は唇を噛んで、テーブルに寝そべった。



 〇



 終礼が終わり、ここからは放課後となる。

 日向さんはいつものように、仲のいい女の子たちに「帰ろ!」って元気よく言いに行ったみたいだ。


『あっ、ごめん。今日は部活のミーティングで』

「あっ、うん。わかった! またね!」


 どうやら今日は珍しいことにフラれたようだ。友達に部活の予定があると知ると彼女は、諦めて一人で帰る。

 今日もそうするのだろう。と、思ったそのときだ。


「ねぇ、ツバサ。一緒に帰らない?」


 日向さんが俺を誘ってきた。

 しかもさっきみたいなノリと元気ある感じではなく、もじもじとしている。

 このギャップが本当にたまらんのだ。


「あっ、うん。いいよ。今日は暇だし」


 月坂に言われたことなんか1ミリも気にすることなく、俺はすんなりと彼女の頼みを引き受けた。


「あっ、ありがと! ツバサ、ほんと神!」

「あっ、うん」

「てか、緊張したぁ。男の子に『一緒に帰ろ』って言うの、初めてだったからさぁ……」


 恥ずかしそうな表情から一変。気の抜けたように彼女はにへ〜っと笑った。




「そういえばツバサは将来、何になるの?」

「えっ!?」


 校舎から校門まで続く道で唐突な質問が飛んできた。俺は思わず声を上げて驚いた。


 将来か──。


「んー……なんにも考えてないや」

「えー! 大学の学科とか決めてないの!?」

「あっ、うん。お恥ずかしいことに……」


 それに、どこの大学に行くかも決めてないんだよなぁ。

 けれど日向さんが危機を察知したような顔をするものだから、そろそろ真面目に考えなきゃいけないのかなと思わされた。


「日向さんは?」

「えっ? アタシ!?」


 俺も同じことを聞くのが自然なことだろう。そう思ったのだが、俺が質問をすると、日向さんは身体をビクッとさせた。


「ア、アタシは……」


『おらおらどけどけー! 学園のアイドルのお通りだぞー!!』


 いきなり背後から、男の大声が聞こえた。

 振り向くと月坂が先頭で男たちを率いて歩いている。


「うわっ、出た……」


 日向さんがボソッと、露骨に嫌そうな声を漏らした。気持ち、すっごい分かるよ。


「あらあら、コミュ障陰キャオタクが(私以外の)女の子と歩いてるなんて……明日は大雪でも降るのかしら?」


 月坂がそう言うと、男たちはギャハハハと俺を見て笑った。


「なんだよ、学園のアイドル様。帰りたきゃ早く帰れよ」

「しかも、日向ひなた 葵和子きなこと……」


 俺を馬鹿にしたような顔を浮かべていた月坂の表情から、笑みが消えた。

 そして彼女の目は、日向さんに向いていた。


「あ、アタシに何の用なの?」


 日向さんは少し怯えた様子を見せた。

 すると月坂はまたニヤリと笑って、こう言った。


「今日も太陽みたく輝いてるわね? 偽物の太陽さん」

「な、何の話?」


 月坂の言葉に、日向さんはバツの悪そうな顔をしている。『偽物の太陽』という言葉が関係しているのだろうか──。


「文化祭のときに言ったわよね。あなたの行為はひどく醜い。それに、怖いわ。あなたのことが……」

「なに……それ……」

「まだこたえてないの? この際だから一度ここで教えてあげる。あなたは──」


「もうやめろよ! 月坂!!」


 気がつけば、俺は月坂に怒鳴っていた。

 これは狼狽えた日向さんを見た俺が咄嗟に取った行動だ。


「無知な部外者は黙ってなさい。私は忠告をしてるだけよ」

「忠告? 日向さんをこんなにまでする忠告があるもんかよ!!」

「そんなこと知らないわ。でも、忠告は忠告よ。あなたにもしたわよね? 日向 葵和子はあなたを──」


「もうやめて!!」


 俺たちの争いに大きな爆音をたてるように、日向さんの悲痛な叫びが聞こえた。


「……行こっ」

「えっ、あっ、ちょっ!? 日向さん??」


 顔を俯かせながら近づくと、俺の服の袖を引っ張って、月坂から逃げるように走った。


 雨雲がどんどん空に浮かび、やがてバケツをひっくり返したような雨が降った。


 俺たちは傘も刺さずに走る。

 身も心も、ずぶ濡れになりながら──。

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