第8話  憂鬱すぎる初バイト

「俺が……お前のマネージャーだと!?」

「アンタが私の……マネージャーなの!?」

「そーだよ。それにしてもやっぱり、仲良いんだね? 二人とも」

「「いいえ!!」」

「あっ、揃った~」


 にらみ合う俺たちを見て、黒川さんはケタケタ笑った。

 てか俺、本当にコイツのマネージャーやらなきゃいけないのかよ……。


「なんで彼が、私の……」


 月坂が歯ぎしりして、こちらを見ている。どうやら月坂も俺と同じことを考えているみたいだ。

 彼女のその様子にムカついた俺は再び威嚇する。


「……なに?」

「くぅぅぅん……」


 ダメだ、怖すぎる……。俺は怯えた犬の鳴き真似をして尻込みした。


「べっ、べべっ、別にぃ。お前みたいなひねくれ陰キャでもアイドルになれるなんて、日本はチョロいんだなって思っただけだしぃ」

「あら? そんな日本でも日の目が当たらない雑草がそんな失礼なことを言える立場かしら?」

「あ?」

「なによ?」


 口を開けば俺たちは喧嘩に発展。アイドル事務所を目の前に、俺たちは容赦なく言い合った。


「そ、そろそろ入ろっか??」


 それを見限って、黒川さんは事務所の扉を開いた。

 その途端、俺は月坂から目を背けて事務所へ身体を向ける。背筋をぴんとさせて、顔を上げた。



「あっ、おはようございます!!」


 事務所に入るとすぐ、一人の少女が元気よく挨拶してきた。

 白く綺麗な肌に、二つ結びの長い髪とテッペンで跳ねるように動く毛が特徴の、俺には幼げに見える女の子。

 可愛い笑顔と声で出迎えるその姿はまさに、アイドルだ!!


「ようこそ翼くん。トゥインクルムーンへ!!」


 黒川さんが手を広げ、俺を歓迎した。

 木の床、一般的な家でよく使われる普通の白い壁。鉄製のシンクに蛇口式の水道などなど……。豪華とは程遠く、飾り気のない。だけどすごく心地がよい事務所だ。

 自分が住んでいる家も質素だからか、親近感が沸いたのと同時に「アイドル事務所ってこんなところなんだな」と、驚きもした。


「さてさて、そこ座って?」

「あっ、はい」


 促され、俺は椅子に座った。

 さっきの女の子はこちらに来て、「粗茶ですが」と言って、俺の前にコーヒーを置いた。「粗茶ですが」って言いたかったんだな。うん、可愛すぎ。


「あっ、ありがとう」

「いいえ、どういたしましてです! あっ、私、咲良さくらモコと申します! 『モコ』って、呼び捨てでお願いします!!」


 そして満開スマイル。ほんと、アイドルって感じ。誰かさんとは大違いだ……。


「なに? その下卑た目でその子を見ないでくれる? 気持ち悪い……」


 後ろから冷たい声で月坂にそう言われたが、俺は関わることなくコーヒーを口にした。


「ちょっと! 相手はお客さんですよ!?」

「いいえ、彼はれっきとした私のストーカーよ?」


 目の前に天国、背後に地獄。もうよくわからないや。


「ほら、行きましょ? あの人ロリコンだから、襲われるわよ?」

「えっ! ロリコンさんなんですか……」


 月坂の言葉のせいで、少女は顔を引きつらせた。てか俺、ロリコンじゃねぇし。


「てことは──」

「モコ。あそこでお茶でいただききましょ? 今日はモコのためにクッキーを焼いてきたから」


 月坂を見て何か言おうとした少女『モコ』を、月坂は無理矢理遮った。


 ──きっと月坂のこともロリコンですね!って言おうとしたんだな……。


 事実言えば、月坂の方が重度のロリコンである。詳細は気持ち悪いので伏せておこう。


「さてさて、そろそろ説明しても良いかな?」

「あっ、はい」


 説明が始まると、少女は月坂を連れてどこかへ行った。

 その様子を見た後に目線をテーブルに戻すと、資料が置かれていた。


「まず、マネージャーってなにをする仕事でしょうか?」

「えっと……スケジュール管理と付き添い……ですかね?」


 様々なアイドルアニメを思い出してみた結果、それしか頭に思い浮かばなかった。


「それもあるね。他にも売り込みとか、お仕事取ってきたりとか、車での送迎とかあるけど。高校生のキミに任せるのは主に管理と付き添いだね」

「じゃあ他の仕事は?」

「それらはプロデューサーであるアタシのお仕事よ!」

「……はぁ」

「ちなみにキミはスケジュール管理って言ったけど、他にもいろいろ管理してもらうわよ?」

「他、というのは?」

「ひとつは体調管理。あの子すぐ無理するから、無理はさせないことね?」


 それを聞いて俺は即座に納得した。アイツは昔から無理をしてなんでも抱え込む面倒なヤツだと知っていたからだ。おそらくこの仕事は一筋縄ではいかないだろう。


「もうひとつは、メンタル管理ね」


 そして、この使命は体調管理よりもキツい。そう思った。

 なんでも抱え込むが故に悩みとか弱音を吐かずにいつも強がるのが、俺の知ってる月坂美狐乃だ。その認識が変わらず正しいのならば、縄が何筋あっても足りないだろう。


「アイドル、芸能人とはいえ、所詮はか弱い女子高生。心は繊細でメンタルは豆腐。身体はすぐズタボロになるし、動けなくなったりもする。だから、しっかり支えてあげるように」

「はっ……はい」


 なんでアイツなんかのために……という気持ちを殺して、俺は返事した。


「ちなみにアタシ、元々はあの子のマネージャーやってたんだけどさ? もうね、超大変! お母さんくらいにしか本音吐かない子だからさ」


 黒川さんが月坂のマネージャーだったことは驚きだが、月坂の扱いに苦戦していたのは別になんとも思わなかった。

 彼氏だった俺ですら扱えなかった厄介な姫なのだから、マネージャーという関係でしかない黒川さんにも、彼女に心を開かせるなんて不可能な話だ。巧みな話術や催眠術が使えるならば話は別なんだが。


「でも、そんなところが可愛いんだけどねぇ~」


 そう言って、にま~っと笑った。

 月坂が可愛い? 心を開かないクール気取りの根暗陰キャが可愛いとか──全く、反吐が出る話だ。

 俺は口元を歪ませて、黒川さんを見る。


「……コホン。ひとまずキミにはスケジュール管理を頑張ってほしいね。ダブルブッキングとかスケジュールのミスとか笑えないからね? だからスケジュール帳は肌身離さず持っておくこと!」

「肌身離さず……ですか?」

「そう。いつでも予定を確認できるように。いつ予定が入っても対応できるようにね。おっけ?」

「あっ、はい」

「以上。後は……はい、これ。マネージャーの就任祝い」


 黒川さんはポイッと何か黒いモノを投げ渡した。手で受け取ると、それがスケジュール帳だとすぐわかった。触り心地良さげな紙と、皮の表紙……めちゃくちゃ高そうだ。


「今からの予定を言っていくね?」

「えっ? リリちゃん?」

「んっ?」


 初耳のその言葉に、俺は首を傾げた。その姿に黒川さんは頭の上に「?」を浮かべるが、数秒後にはっとして、『リリちゃん』について教えてくれた。


「リリちゃん──月夜凜々つくよりりは、月坂美狐乃の芸名よ」

「月夜……凜々……」


 その名前を馬鹿にしてあざ笑ってやろうと思ったが、普段の凜々しい月坂の「らしさ」が詰め込まれたカッコイイ名前に何も言えなかった。


「まぁ、キミはプライベートでも仲が良いみたいだから、月坂なり月夜なり……なんでもいいけどね?」

「じゃあ、根暗陰キャで」

「あっ、そういうのは無しね? イメージダウンに繫がるから……」

「あっ、はい」


 ならば俺はアイツのことを『月坂』と呼ぶとしよう。

 アイツは大っ嫌いな元カノで、担当アイドル。だけど、所詮は他人。そう呼んで距離を取っても、別に罰は当たらないだろう。


 それにあんな芸名で月坂を呼ぶなんてゴメンだ。ましてや『美狐乃』とか『リリちゃん』とか……『ミコ』って呼ぶなんて……うっ、頭が……。

 コーヒーよりも黒く苦い過去を思い出して、ひどく不愉快な気分になった。


 こうして月坂と関わりたくないと願った俺の日常は、神様のいたずらによって都合の悪いように変えられてしまった。


「それじゃあ、お仕事行ってきます」

「あっ、リリちゃん。ちょっと待った」


 外出しようとする月坂を呼び止める黒川さんは、俺を見てニタ~っと笑った。


「マネージャーくん、お仕事だよ?」

「うっ……」


 かなりの憂鬱。だけど仕事だから仕方ないと言い聞かせ、俺は重い腰を上げて月坂に近づく。


「どうして、あなたと行かなきゃいけないのよ……」


 するとどうだ。

 俺の家でゴキブリを見たときの表情で、腕を組んで震えてらっしゃる。


 あぁダメだ。俺、コイツと仕事なんてできねぇわ。

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